閑話 サラン平原へ(クローム視点)

クローム=フィジュルビ。サイクル王国の伯爵家の三男で、神殿の聖女に仕える神兵の一人だ。

赤茶色の髪色に、青い瞳。この大陸では特筆すべき容姿ではない。体躯も中肉中背だが、日ごろから神兵として鍛錬は欠かさないので、ほどよく引き締まってはいる。

神殿に入ったのは10歳の時で、洗礼式と呼ばれる神殿で行われる木札を引いてしまったからだ。だが、慈母神に選ばれた地位に不満があるはずもなく、喜んで引き受けた。そもそも拒否権もない上に、身分もはく奪されるので、クロームは神兵になるしかなかったが。

同じ頃に聖女として神殿入ったタミリナ付きの神兵となった。このタミリナという少女は黒髪に藍色の瞳をした驚くくらいに綺麗な少女だった。真っ白な肌に濡れた眼差し、熟れたような赤い唇にはいつも儚げな笑みが浮かんでいる。

一目で誰もが虜になり、彼女の前にひれ伏したくなるような、彼女の願いならばすべて叶えてあげたくなるような末恐ろしい少女だった。

結果的に神官長をはじめとした神官たちは目の色を変えて彼女に近づこうとし、彼女は慈母神の護りの結界が張られている自室からほとんど外に出ることはできなくなった。

神兵は神殿の中でも神官たちとは別の権力を有する。独立した組織であり、牽制力もある。当時の神兵長は事態を深刻に見ており、彼女付きの神兵は異例の12人となった。10歳のクロームは外されるはずだったが、タミリナから懇願されそのまま傍付きを許された。


「弟がいるの。ものすごく可愛いのよ」


だから少年のクロームが傍にいてくれると懐かしくなって嬉しいのだと彼女は笑った。

聖女は神兵と同じく身分ははく奪され、戸籍もなくなる。

彼女が家族と一緒に暮らすことも、家族として会うこともできない今、思い出だけはせめて彼女に優しくあってほしいとクロームはできるだけ彼女の希望に沿うようにした。

洗礼式で称号を手に入れた子供たちは基本的に文句は言わない。神に愛されてしまった結果なのだから、粛々と受け入れる。それが世界の掟で、理だ。親からも言い聞かせられている。だから、彼女は帰してとも帰りたいとも言わない。静かに神殿で暮らしていた。


だがある日、クロームが使いで外に出ると神殿の前で子供が騒いで門番である二人の神兵に止められていた。黒髪はキラキラと日を受けて輝いている。タミリナと同じだなと思い眺めていると、ふと子供と目があって思わず息を飲んだ。

小さなタミリナがそこにいた。

彼女よりも少し気が強そうな顔つきでもちろん髪は短いのだが、瓜二つというほどそっくりだ。

藍色の瞳を吊り上げて大声で叫んだ。


「ねぇちゃんを返せっ!」


タミリナが話していた弟だとすぐに分かった。クロームは瞬時に顔色を悪くした。相手をしていた神兵も同じ気持ちだっただろう。

タミリナは聖女だから、慈母神に護られている。だが、そっくりな彼は単なる子供だ。神官長始め神官が彼に目をつけるのは時間の問題だ。どこかへ連れていかれて手籠めにさえてしまう可能性もある。


「ここは神殿だ、子供が遊んでいい場所じゃない、さっさとどこかへ行け!」


追い払う言葉には懇願が含まれていた。クロームも願わずにはいられなかった。だが、少年はなかなか立ち去ろうとはしない。


「親はどこだ? すぐに帰れ」

「神殿は子供一人で来るところではないからな」

「この前の流行り病で死んださ。俺にはもうねぇちゃんしかいないんだ」


聖女の親が流行り病で亡くなるとは、憐れな話だ。聖女は万能薬とも呼ばれる聖水を生み出すことができる。振りかければ簡単な傷を癒し、飲めば病を立ちどころに治してしまう。かなり高額なため、王侯貴族にしか出回らないが。そもそも聖女が1年かけて作り上げる霊薬でもあるから絶対数が少ない。しかしタミリナはそれを一月で仕上げてしまう。だからこそ彼女は聖女の最高位である光の聖女と呼ばれている。神官長は聖水の価値を保つために彼女の力を秘匿しているが。

そのタミリナの親が亡くなったのだからクロームは言葉にならない。タミリナには教えられないと思うだけだ。


クロームが物思いに耽っている間に少年は自分を捕まえている神兵の脛を蹴りあげて走り去って行った。


「この人拐いの悪徳集団め、絶対ねぇちゃんを取り返してやるからな!」


威勢のいい捨て台詞をできれば二度と聞きたくなかったというのがその場にいた神兵の共通の想いだろう。だが、彼は度々現れ、追い返されることを繰り返した。いつか神官にバレるだろう。誰か彼を護ってくれと願っていると、パタリと彼は姿を現さなくなったのだ。


#####


今日も平和な1日だ。むしろ、ご褒美と言っても過言ではない。クロームの立つ扉の前で、お人形のように愛らしい二人が肩を並べて座っているのだ。


「そういや、最近はこんなのが流行りらしい」


ディーツがコトリとテーブルの上に置いたのは紙袋だった。


「ディーくん、なんかいい匂いがするよぅ?」

「お菓子だってさ。ねぇちゃん好きだろ?」

「うわぁい、ありがとうぉ」


少女の言葉に満更でもなさそうに少年が笑う。穏やかで優しい光景だ。

彼女は弟の前でだけ、やや幼い口調で話す。二人きりの姉弟など世の中、珍しくもないが洗礼式で称号持ちになった姉弟がこうしてまた一緒にいられるようになるのはとても稀なことだ。

ディーツが洗礼式で勇者の札を引いた時は鳥肌が立ったものだ。神は本当にこの姉弟のことを愛しているのだと実感する。

愛された二人の世界が優しいだけのものではないことは知っているけれど、それでもこうして二人で過ごす時間はいつまでも変わらないで欲しいと願う。


しかしこの二人の肖像を描いた紙片は神官たちの間で高値で取引されているらしい。タミリナ付きの神兵は皆、絵を描いてくれと迫られるほどだ。

絵心なんて皆無なクロームはせめて二人の会話の内容を教えて欲しいと懇願される。会話を聞いてどうするんだ?と思わないでもないが、想像だけでは難しいと泣かれる始末だ。

何をするのに想像だけでは難しいのかと言いたい。

だが、あまりに強く乞われるので正直、恐ろしくもある。

タミリナが神聖視されるのは当然としても弟の勇者まで巻き込むのはどうなのか。

仲の良い姉弟だと微笑ましく見ればよいだろうに。


だがそれもタミリナが女児を出産するとピークに達した。

妄想ばかりを膨らませていた神官たちが一斉に勇者を攻め立てる。お前たちの虚言に付き合っていられるかと怒鳴りたかったが、神兵でも信じる者が出る始末だ。

他所の姉弟は知らないがあの二人が男女の仲であるはずがない。ただ純粋に家族として支えあっているだけだ。だからこれほど尊く、見ているだけで癒される。

だが、聖女から遠い者ほど妄想が酷い。ある意味、恐怖だ。抑圧された欲望が暴走するとこれほどの事態になるのかと頭を抱える。

聖女を護る神兵が勇者を取り囲むだなんて正気ではない。

とにかく勇者に伝えたい一心で、一両日馬を駆る。伯爵家で乗馬を習っていて本当によかったと生まれに初めて感謝した。


願わくば、あの姉弟の優しい世界が取り戻せますように。

祈りながら、ひたすらに東のサラン平原を目指した。



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