墓守ジャック

明通 蛍雪

第1話

『挽星祭(ばんせいさい)』

 それは年に一度開かれる祀り。死者を悼み、迷える魂を正しい世界に導くための祀り。

 星が姿を隠してしまうほど夜景が綺麗な街は、年に一度だけ光が消える。街の誰もが光を消し、蝋燭や提灯の明かりを頼りに街を練り歩く。

 手に持った火を、街に一つ通る大きな川に流す。

 死者を葬い、還るべき場所に導くために、光の川となる。光に導かれた魂たちは、流れる光と共に現世から決別する。

 死者が迷わないように、生者は光を持ち川まで歩く。亡くなってしまった魂を川に導くのが生きている者の務めだ。

 今年もこの日がやってくる。彷徨える魂が、救いを求めて光に手を伸ばす日が。


 墓守のジャックは、墓の近くにある小さな一軒家に住んでいる。普段は墓の掃除や管理をしながら暮らしている。

 ジャックは人と接することができない青年だった。墓を守る仕事に精を出し、他人と関わることを極端に避けていた。

 近所の人との接触も極力避け、ジャックが出歩くのは決まって夜だった。

「おや、墓守のお兄さんじゃないか。どうしたんだね、こんな夜遅くに」

「……星を見に」

「ははは、この街で星を見るなら、八番街の丘まで行かなきゃいけないぞ」

「……はい」

 ジャックは短く返事をすると、会話を続けるつもりはないらしく、そのまま去っていく。ジャックに話しかけた男は、キセルを口から離し煙を吐いた。

「難儀な性格になってしまったな」

 ジャックがこんな性格になってしまったのには原因がある。

 ジャックは本来、元気のいい青年だった。街の人たちともうまくやっていて、ジャックは人気者だった。子供たちとも仲が良く、面倒見のいいお兄さんだった。

 そんなジャックには恋人がいた。将来を誓い合った娘だ。娘はミリアという名前で、街の大きな屋敷に住んでいるお嬢様だった。

 笑った顔が花のようで、チラリと覗く八重歯がチャーミングポイントの娘だった。

 それはジャックとミリアが共に街を散策した、よく晴れた気分のいい日だった。

 太陽も姿を消し、少し遅くなってしまった時間。ジャックはいつものように中央広場でミリアと別れた。

 家まで送るとジャックは言ったが、ミリアはそれを断った。「もう子供じゃないんだから」と言ったミリアの顔には照れ笑いが浮かんでいたのを、ジャックは今でも覚えている。二度と忘れることはないだろう。

 その日の夜だ。ジャックの家に人が走ってきた。

「ジャック、ミリアさんが、殺された……」

 ジャックは慌てて事件現場まで駆けつけた。その時には警官が周りの野次馬たちを抑えていた。

 遅れたジャックはミリアの遺体を見ることはなく、ミリアの死という現実だけを叩きつけられた。

 ミリアに会いに行こうとしたジャックは、ミリアの父に殴り飛ばされた。

「お前のような者に誑かされたからミリアは死んだ!」

 雨の降る日だった。屋敷の前で尻をつくジャックは、呆然として固まった。雨がジャックの頬を伝い、ジャックの下に水溜まりを作っていく。ジャックはこの時初めて理解した。

 自分がミリアを殺してしまったのだと。自分がミリアを家まで送り届けていればミリアが死ぬことはなかった。

 ジャックは曇天の下で声を上げて泣いた。枯れるほど涙を流した。通行人の目など気にもならないほど、ジャックは打ちのめされた。

 それからジャックはガラリと人が変わってしまった。

 ミリアの父の言葉がジャックの頭で何度も再生される。

「お前がミリアを殺した」

 その言葉に囚われたようにジャックは塞ぎこむようになった。生きながらに死んでいるかのような表情を浮かべ、他者との接触を絶った。

 この頃からだ。ジャックが深夜に徘徊するようになったのは。

 街は街頭や家庭の光で明るいというのに、ジャックはランタンを持って街を彷徨った。その顔は死者のようで、だが目だけは力強く灯っていた。

 ミリアを殺した人間に復讐するため、ジャックは犯人を探し続けた。

 ジャックが生きる亡霊と化してから一年と数ヶ月。ジャックはとうとう復讐を果たした。

 犯人を見つけたジャックは、怒りと悲しみに心を焼かれ、理性を失った獣のように襲いかかった。

 復讐を果たしたジャックは、八番街の丘の上で星を見上げた。

 死んだ者は星となり、地上を見守っている。

 この街で一番星に近い、ミリアを近くで感じられる場所でジャックは再び泣いた。ミリアを失ってから一度も泣かなかったジャックの目からは、大粒の涙が溢れて止まらなかった。

 復讐を遂げた後もジャックは深夜の街を徘徊し続けた。この時、既にジャックの心は治らない場所まで来てしまったのかもしれない。

 何も求めることのない亡霊は、手元の明かりだけが頼りだというように彷徨い続ける。

 遠い霞に揺れるジャックの影が、夜闇と街明かりの中に消えていく。


 今年も挽星祭がやってくる。挽星祭に向けて街は準備を始める。蝋燭を用意したりランタンに電池を入れたり。

 街が死者を導くために準備を始める。それぞれが抱える悲しみと喪失感を胸に、それぞれの愛しき人に想いを馳せる。

 既に星に登った人に。まだ彷徨っているかもしれない人に。帰ってきてほしいと願う人に。

 火に籠る想いは千差万別。されど、光の川に導かれる魂に救済と祝福を思う気持ちは同じ。

 ジャックもまた、愛したミリアのために手向ける光を用意していた。

 ジャックには毎年導き手の仕事が割り振られている。

 導き手は、街の人間と死者の魂が迷わないように案内する役割だ。街の人間と極端に接点の無くなってしまったジャックのために、街の人間たちが話しかける口実を作ったのだ。

 普段のジャックは家に篭って出てこない。出歩くのは人気のない深夜だけ。

 ジャックは手作りのランタンを見て満足気に頷く。

 浮世から離れてしまったジャックだが、この祀りは毎年の楽しみであった。人間らしい表情を浮かべたジャックは、ランタンを机に起き家の明かりを消した。

 夜の七時。街から明かりが消える。新月のこの日、空は星の独壇場となり、誰もが上を見上げる。

 ジャックは家の前に立ち、人が訪れるのを待つ。数分も経たぬうちに道の先から揺れる大量の光が近づいてくる。

 鬼火のようにも見えるそれらは、全てこの街の人間が手にする火だ。死者を川に導くための灯りだ。

 ジャックの家から川までは歩いて二十分ほど。流れていく光をボウっと見つめるジャック。手に持ったランタンが暖かな光を放ちジャックの顔を照らしてる。

「導き手のお兄さん。私の話を聞いてくれますか?」

「……はい」

 人の群れが流れていく中、一人の女性がジャックに声をかけた。

「私の夫は今年の春。初夏を迎える前に亡くなってしまいました」

 女性は静かに、最愛の人を心に思い浮かべながら話し出した。

 年内に身内や自分と関わりのある人間が死んでしまった人は、死者を正しく導くため、導き手にその人間の話をする。

「私の夫は戦場に旅立ちました。私はそれを、仕事だから仕方がないことだと、自分の気持ちを押し殺して、夫の背中を押しました。でも、夫は生きて帰ってこなかった。あの時、私が行って欲しくないって言えば、夫は死なずに済んだかもしれません」

 女性の目尻に雫が浮かぶ。

「でも、もう夫は帰ってこない。過去のことを悔やんでも今は変わらない。後悔していないと言えば嘘になります。でも、夫が残してくれたものを大切に、私は夫の分まで生きたいと思います」

「星の導きに、かの方に冥福のあらんことを」

 ジャックは導きの祝詞を口にする。女性はジャックに一礼して流れの中に戻っていった。

 その背中を見つめるジャック。自分と重なる後悔と、自分とは違う答えを導いた女性に、僅かながら瞳を揺らした。

「導き手のお兄さん。私の話を聞いてもらっても、いいですか?」

「……はい」

 ジャックは目線よりも下から聞こえる声に反応する。手に小さな火を持った少女が、ジャックの目の前で今にも泣き出しそうな表情で立っていた。

「私はマーラ孤児院で暮らしています。最近、私のたった一人の家族の、お兄ちゃんが病気で死んでしまいました。感染病でした。治らない病気でした。お兄ちゃんは私にいつも優しくて、大、好きな……」

 少女が嗚咽を漏らす。ジャックは流れていく火を尻目に、少女の言の葉に耳を傾け続けた。途切れる想いと悲しみの言葉を、しっかりと聞き届ける。

「お兄ちゃんは死にたくないって言ってました。お兄ちゃんはもう私の手を引いてくれないって、そう思うと、私は寂しくて、悲しくて……」

 少女はそこまで言って、とうとう声を出して泣き出してしまった。

 挽星祭では珍しいことではない。流れ行く人々の誰も、少女の慟哭を咎める者はいない。むしろ、この若さで愛する家族を失った悲しみに同情すら浮かべる。

「ジャックさん。この子とこの子の兄を導いてくれますか?」

 少女の後ろに立っていた男性。院長のマーラが少女を宥めながらそう言った。

「星の導きに、かの方に冥福のあらんことを」

「行きますよ。サラ」

「……うん」

 少女は院長に手を引かれ川を目指し歩いていく。目的も目標も失ってしまった少女の背中は、迷子のように寂しさを表している。

 その背中を見送ったジャックは揺らめき流れていく光に、過去を思い出した。

「導き手のお兄さんや。わしの話を聞いてくれるかい?」

「……はい」

 ジャックの前に一人の老人が現れた。顔にたくさんのシワ作っているお爺さんは、今にも消えてしまいそうな弱々しい蝋燭を持っていた。

「わしには五十年連れ添った女性がいてな。今年もこの挽星祭を一緒に歩こうと約束していたんじゃ。でも、その約束は果たされずに、今日が来てしまった。老衰じゃった。婆さんはとても元気のいい女性でな。いつもわしが振り回されていた。結婚してからも、何度も困らされた。悪戯好きな女性じゃった」

 最愛の女性との思い出を語るお爺さんは、過去を思い出しながら話す。

「最後に婆さんは言ったよ。幸せだった。わしに会えて良かったと。それはわしも同じじゃ。人はいつか死ぬ。それは避けられん。だが、婆さんは生き切った。先に逝かれてしまったが、わしは悲しくなんかないんじゃ。婆さんをあの空に導く役割が、婆さんの手を引けることが嬉しい。わしもいずれはあの空に登る。その時に婆さんとまた会えるように、今わしが婆さんを導く。迷わないように」

「……あなたは」

 ジャックは口を開いた。今まで人との接触を避けていたジャックが、自ら話しかけた。

「今幸せですか?」

「ああ。幸せだ!」

 お爺さんは泣き笑いを浮かべながら、自信満々に答えた。

「星の導きに、かの方に冥福のあらんことを」

 お爺さんの答えにジャックは冥福を祈った。お爺さんはそれを胸に受け止め、遠くに見える星と光の川を目指して歩き出した。満足感と少しの寂しさ。その間で揺れるお爺さんの表情に、ジャックは気づけば涙を流していた。

「導き手の青年。この地域はもう最後だ」

 涙を流すジャックに聖職者の女性が話しかけた。

「もう、この街に迷える魂はいない。皆あるべき場所に還ったのだ」

 聖職者はジャックが何に想いを馳せているのか。それを察して言葉をかける。その声に乗せられる感情は、同情。されど、今のジャックには届いていないかのようにも見える。

「星の導きに、かの方に冥福のあらんことを」

 聖職者の女性はジャックのために、ジャックの想う人のために祈りを捧げた。それからジャックは取り残された。家の前で静かに涙を流すジャックは、明かりを手に家の中に戻る。

「ミリア。今年も、僕は空に行けなかったよ。でもさ、そろそろ変われそうなんだ」

 ジャックは家の窓から見える川を見ながら、空に還ったミリアへと声をかける。

「早く君に会いたいけど、君は怒りそうだから、もう少しだけ頑張ってみるよ」

 ジャックは家から見える万感の火を見ながら決意を、覚悟と意志を語る。

 ジャックは導き手として人と話し、そして少しずつではあるものの、影響を受けていた。

 後悔と悲しみの末の、寂しさと満足感。復讐に駆られ生きる目的を失っていたジャックは、もう迷うことはないと、み人々を導く光はいつでもそばにあるのだと気づいた。

 ジャックはもう道を誤ることも迷うこともない。

 空に広がる満点の星空。そこに見える一つの紅い星。

 ジャックは瞳にその星を写しながら、ランタンを流すために川に向かった。


 今年も挽星祭は無事に終わった。迷える死者の魂は空に還り、迷子のジャックもまた、帰るべき場所に、無事に戻ることができる。

 墓守のジャックは、導き手として、これからも人々を空に導いていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墓守ジャック 明通 蛍雪 @azukimochi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ