ミナミとシンシアの場合
ピクルズジンジャー
第1話
十七歳は特別な時期、という愚にもつかない考えを世に蔓延らせたのは誰か。
十月の頭に誕生日を迎えて一週間、自分が正に十七歳という気恥ずかしい年齢になってしまったミナミの頭に取り付いた考えはそれだった。
「そりゃやっぱり、戦後アメリカの大衆文化由来なんじゃないの? 知らんけど」
運良く座れた通学電車内で、シンシアが雑誌を広げながら気のなさげな調子で答えた。SNS的シメ言葉をリアル世界で使ってしまうような隙があるシンシアは、暇があるとついつい文字を読んでしまうという因果な体質のせいでつまらないことに妙に詳しい。電車内で雑誌を広げてしまうのもそれ故だ。ちなみによくできたもので、その雑誌のタイトルも十七歳の英語表記にしたものだ。
「セブンティーン、いかにもフィフティーズって響きがある。高度経済成長期の日本人がお手本にした豊かな生活の象徴、電化製品、システムキッチン、アメ車、しゃれた生活、それらときめくものの中の一つに十七歳の日々が含まれていたんだよ。知らないけど」
「ふーん、あんたやっぱり妙なことには詳しいよね。すごいや」
「いやだから、知らないけどって念を押してるよね? 迂闊に信じないでよ? 『諸説あります』ってやつなんだし」
ぱらりと雑誌をめくりながらシンシアは素っ気なく答えた。読んでいるのは学校の理解不能な校則というテーマの読み物ページだ。
名前から分かる通り海外にルーツを持つ親がいるシンシアは、白い肌に彫りの深い顔立ちの映える女の子だ。グラビアページでも熟読しておしゃれや身嗜みに対してもっと熱心になれば、この雑誌の看板モデルくらいになれそうになのに、とミナミはしょっちゅう思っている。
今日もシンシアの顔面は、桃の表面のような産毛でちらちらと輝いている。天然のソフトフォーカスかと思えばいいとかそういう問題じゃない。シンプルに勿体無いのだ。体型だってちょっと肉厚だし、勿体無……くはない。ミナミはシンシアのむっちりした体つきと、本人は気にしている体臭が実はちょっと好きだった。ふざけて抱きついた時の具合がなかなかいいのだ。
雑誌の記事を一緒に読むフリをして、ミナミはシンシアのそばに身を寄せる。デオドランドの匂いと制服の柔軟剤、スパイスじみたシンシア自身の匂いが混じり合ったものを気づかれないように吸い込む。やっぱり落ち着く。
「で、あんたはまだ自分が十七歳だってことに耐えられないの?」
「うん。耐えられない」
身を寄せたミナミから拳一つ分離れたシンシアにちょっと傷つきながら、甘えた調子でミナミは答えた。
「これから恋愛だの青春だの、キラキラした青春を過ごさねばならないっていうプレッシャーがキツい。こんなクソ田舎でどうやってきらめけと。しかも十七歳の誕生日が体育祭だったやつに」
「ソーラン節をもっと真剣におどれってメッセージだったんじゃね?」
いいからあんた離れなってば、と、シンシアは性懲りもなく体を近づけるミナミをぐいと遠ざけた。そんなシンシアにふざけてだきつく。やだやだ慰めてよシーちゃん、と教室や学校の廊下のノリで戯れていたら、ボックス席の向かいに座っていた同級生二人ウザいものを見る視線を向けられてしまった。
場を弁えずにはしゃぐとはなんという青春の謳歌っぷりであろう! 十七歳をありがたがる世間に一石投じたい気持ちでいる自分に相応しいふるまいではない。
たちどころにミナミは反省し、きちんと席に座り直した。
そのタイミングで通学電車はトンネルに入る。稲刈りシーズンの田んぼを国道と平行して突っ切る車窓の風景はここでいったん途切れた。どうせすぐ現れるのだが。
ミナミが嘆いた通り、二人の通う高校は四方八方を山に囲まれた盆地にある。三百六十度を見回してもなだらかな山が視界に入り、先祖たちが開墾してきた偉大な稲田と、それをつぶしてチェーンの大型店舗やコンビニを並べた罰当たりな子孫たちの作り上げたロードサイドビューからなる地方の田舎町である。県庁所在地あたりまでいけばそれなりに栄えているのだが、悲しいことに二人の通う高校は十七歳の若人がさんざめく街中とは正反対の位置にあった。二人の成績がもう少しよければ、あるいは経済的に余裕があれば街中にある最難関の公立進学校か、とりあえず中一程度の勉強ができれば誰でも入れるという噂の短大付属校くらいに通えたのだが。
なげいても悔やんでも、受け入れざるを得ない現実というものがある。十五歳をすこし過ぎた四月から二人は、室町時代には山城だった史跡の石垣の上に建てられたそこそこレベルの公立高校に通い、後者が石垣の上にあるために教室の窓からは住宅と田んぼと山ばかりが目に入る学校で過ごして一年と半年が過ぎようとしていた。
ミナミもシンシアも、上昇志向がほどほどしかなく、派手なお洒落よりも独自のブームを追求するタイプだった。ゆえに放課後に流行りのスイーツ屋や服屋雑貨屋の類に寄り道できないことで悲観することもなく、コンビニでパピコを買って分け合うような放課後にさほど不満を覚えなかった毎日を、十六歳から十七歳になるまでの一年と少々分、だらだらとすごしていたのだ。
少女アイドルのPVで見るような華々しい青春とは無縁ではあったが、まあ現実とはそんなものだろう。と、あー糞つまんねーこんな田舎絶対出てってやる、とこれ見よがしにクダをまく流行に敏感な美人ギャルグループのアピールをやや冷ややかに眺めているだけだった。
そんなのったりとした毎日に眠っていた火山が噴火するような衝撃に二人が、というよりもミナミが襲われたのは、先日行われた体育祭の応援席のことである。
二人の通っている高校は、偏差値も部活の成績もなにもかもそこそこの公立校である。特色としてアグレッシブな生徒は少ない。体育祭や文化祭で盛り上がるのは、根っからお祭り好きな一分の目立つ生徒たちのみだった。
今年の体育祭も、意中の男子の徒競走に黄色い声を上げてはしゃぐのは、こんなクソ田舎でてってやると息巻いていた美人ギャルグループの女子たちだった。ミナミとシンシア含む文科系女子グループは、応援席の後ろで堂々と漫画の回し読みを楽しんでいたのである(つまり、体育祭の応援席で漫画を読んでも誰も注意しない程度の高校ということだ)。
晴天のもと、面倒な体育祭の応援席で漫画鑑賞。中学やそれなりに先輩の目が怖い一年時では楽しめなかった背徳的な喜びが、そこには確かにあった。
ミナミもシンシアもリラックスして、漫画に詳しいクラスメイトたちがもちよった選りすぐりの作品を読んでいた。すっかり精神を弛緩させた状態で手を伸ばした漫画で、ミナミはどかんと打ちのめされてしまうことになる。
それはベテラン少女漫画家が手掛ける、いわゆる大人女子むけの漫画だった。
やたら異性にもてるイケメンの高校生が、魅力的な大人の女性と出会いやがて本気の恋に落ちるという内容であったはずである。が、後に述べるショックのためミナミの頭にはすでにストーリーの本筋が消失している。
件の漫画の話にもどそう。主人公の少年にはやたらモテる上に去る者は追わずという性格のために、彼女というポジションではあるが実質セフレであるというクラスメイトの女友達がいた。
主人公も彼女も都心の高校に通う高校二年生である。高二である。現実と二次元を比べても仕方ないが、同い年だ。
そこでミナミはまず、ふーん、と思った。
高二の分際で既にセックスなるものを体験している連中がいるとは。噂にはきくが、よくもまあ裸でくんずほぐれつするような行為を率先してやってみる気になるものだ、と、多少鼻白みながら漫画を読み進めた。
しばらく読むとエピソードが切り替わり、少年と少女のなれそめが語られだす。その流れで、二人が初めて同衾する経緯も語られたのだ。
曰く、彼女の方から彼を誘ったのである。「十七歳の誕生日に好きな男の子と初体験するって決めてたんだ」という理由で。
うひょー、漫画みたーい……ってマンガだっつの、と心の中で一人ボケてツッコんだあとにミナミは気づいたのだ。よりにもよって今日という日は自分の誕生日なのだった。
しかも十七歳の。
よりにもよって十七歳の。
その時手の中にあった漫画本の美少女が、己の性器に同級生のイケメンの性器を突っ込ませてる。同じ十七歳の誕生日だっていうのに。
ミナミは思わず自分を省みた。体育祭の最中ゆえ、恰好は半そでシャツとハーフパンツという体操服姿でネクタイ状に結んだ赤い鉢巻を首から垂らしていた。晴天ゆえに十月でも暑く、髪をざっと二つにわけて結んでいた。ツインテールなどという甘えたものでは断じてない。ここ数日は乾燥気味で、全身の肌はかさついていた。日焼け止めが合っていないのかもしれない。
さっきまで読んでいた漫画の世界と自分をとりまく現状のあまりのギャップに、ミナミは眩暈を催した。墜落するような恐怖を覚え、隣の傍でスポーツものの少年漫画に読みふけっていたシンシアの腕をつかんで気づけば叫んでいた。
「シーちゃん、あたし今日誕生日っ。十七歳っ」
「あ、そうだっけ? ♪ハッピバスデートゥーユー」
外国人の親を持つが日本生まれ日本育ち、国籍も日本のシンシアは日本人の発音で誕生日の歌を歌いだす。漫画読みグループたちも面白がって唱和する。ワンコーラス歌い終わって拍手が鳴りやむのを待ってから、ミナミはもう一度シンシアの腕を引く。
「ちがうっ、ねえっ。ありがとうなんだけど、ちょっとまって! この漫画のここ読んでっ。この漫画のこの子も十七歳の誕生日で、なのに男子とヤッてるっ!」
「――あんたね、一応考えなよ。TPOってもんをさぁ……」
一応親友の突拍子もない言動をいさめたシンシアだが、混乱するミナミが差し出したページの前後を一通り読み、そしてミナミの顔をしみじみ見つめた後、ブーっと派手に噴き出した。その後はおなかを抱えて体を丸め、ひくひく痙攣しながら、どうしようもない笑いの発作に翻弄される。
シンシアのただならぬ様子にひきつけられたマンガ読みグループたちの女子たちもわらわらと、二人に感心を示しだしたためミナミが説明をすると、イベントの非日常パワーによって彼女らもケラケラと笑いだした。すごーい、そんなことってあるー? 等。
――こうしてミナミは、クラスメイトにちょっとした笑いを提供するという十七歳初日を迎えたわけである。
楽しいといえば楽しかったのだが、それでも俄かに疑問が膨らんでいったのだ。
自分の十七歳の幕開けがこれなのは、あまりにもあんまりではないか?
通学電車はトンネルを通過し、車内は一気に明るくなった。住宅が増え、かつては街道だったという商店街との並走が始まり、電車のスピードが落ちる。次の停車駅は二人が下りる駅だ。
降車準備を始めながら、ミナミはシンシアに語り掛ける。
「とにかく、あの日以来あたしは最悪な十七歳のスタートを切ったって気がして気持ちがおさまらないっ」
「あ、そう」
シンシアは自分のリュックに雑誌を丁寧に入れながら気のない返事を寄こす。
「この収まらない気持ちを、何かで上書きしたいっ!」
「……ふーん」
電車のスピードはいよいよゆっくりになる。
「十七歳教に振り回されるのはバカバカしいけど、でも何かこのままのんべんだらりと一年すごしたらのんべんだらりとした大人になるような、取り返しのつかないことが起きる気がするっ!?」
「ふーん……、要はイニシエーションってやつ?」
「い、いにし……っ? なんてっ?」
「なんでもいいけど、あんた声が大きい」
もうすぐしたら駅のホームに入るので注意しろという旨のアナウンスが入り、ブレーキがかかった車体は軋んだ音を立てながらホームへ突入、停車した。
がたん、と電車が最後に揺れる際はいつもシンシアの体の一部につかむのが習慣になっている。ひじより上の二の腕あたりにぎゅっとしがみついた瞬間、電車が最後にまた、ガタンと揺れた。その日の運転手の腕は今イチだったのか。
そのせいでバランスをくずしたミナミはシンシアの体に密着する結果になったが、親友は冷静にミナミの体を立て直した。これまでに何度かあった出来事だから、慣れた調子で、ごめん、と、大丈夫、のやり取りを交わす。
ぷしゅ、と音をたててドアが開く際、シンシアはふとミナミの黒髪に触れた。
左サイドの髪をひとつかみとって、耳の後ろあたりでまとめた様子を顔の正面から確認する。
「……何?」
今度はミナミが尋ねる番だった。しかし、シンシアはあっさりミナミの髪から手を放す。
「いや、ミナミは髪くくった方がいいんじゃないって思っただけ」
「そう? でも今長さが中途半端でさ、上手く結べないんだよね」
そう言ってシンシアはマイペースに自分から先にドアから離れた。ミナミも後を追って電車から降りた。いつまでも出入口にいては他の利用者の邪魔になる。
こうして二人はいつものように改札を降りて駅の外にでた。
そのタイミングである、シンシアがこう口にしたのは。
「じゃあ今度の日曜、海でも見に行く?」
「は? なんで?」
「その日あたしの誕生日だから。十七歳の」
「そだっけ? ♪ハッピバスデートゥユー」
「……いやだから、今度の日曜だってば」
そんなやりとりをしたせいで、ミナミがシンシアの言葉の意味に気付いたのはその晩風呂上りに体を吹いていた時だった。
意味に気付いた直後、全裸で奇声をあげた。
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