第12話
小佐野はゆっくりと首を古津鹿に向けた。古津鹿はそれを微動だにせず受け止めたがその表情には動揺が見え隠れしていた。
古津鹿は言った。目の前の人間は《神懸かり》だと。
「なんだそりゃあ」
俺は車から聞いた。気になったからだ。この少女はつい先日まで従姉妹だと思い込んでしゃべっていた。催眠術でしかなかったが、それでも親しく話してしまった。だから、なんとなくでもなんなのか知りたかった。
しかし、古津鹿は答えなかった。ただ、目の前の少女を睨んでいる。俺を無視しているのではない。話す余裕さえ無いのだ。
「はは、質問には答えてやれよ。かわいそうだろ」
代わりに小佐野が言った。しかし、それにも古津鹿は答えない。そして、とうとうようやく周りの駆除屋たちも状況に気づき始めた。久保とその周りの人間たちが倒されたこと。この少女が得体が知れなさすぎること。そして、古津鹿が刀を小佐野に構えた。
「やるか? 勝てるとは思えないけどな」
小佐野はポリポリ頭を掻く。
「古津鹿さん、この人は....」
さっきまで紋様の術を発動していた女性も古津鹿に聞いた。
「こいつが管里の仲間、それで多分神懸かりだわ」
「な....」
「ここに居る全員で戦わないと勝てない」
「全員で戦っても勝てないの間違いだぜオネーサン」
そう言って小佐野がぐん、と腕を振るった。それと同時だった。腕を振るった先に居る駆除屋たちが吹っ飛んだのだ。衝撃波かなにかを飛ばしたらしい。吹っ飛ばされた連中は地面を転がるがすぐさま起き上がった。この程度でやられる駆除屋ではない。
そして、ここに居る全員が武器を構えたのだ。
「やる気になったか。暇つぶしにちょうど良いぜ」
「暇つぶし?」
「管里のおっさんはもう路を作る準備を始めた。あとは時間の問題さ。だから、それまでこうしてあんたらにちょっかいをかけに来たってわけだな」
「ふん。つまり、あんたを倒して拘束すれば管里の居場所が分かるってわけか」
「無理だって言ってんだろ」
「本当にこの量の駆除屋を相手に出来ると思ってるの?」
「本当にこの程度の量でオレに勝てると思ってるのか?」
空気が軋む。闘気としか呼べない雰囲気が辺りに立ちこめていく。
最初に戦いの口火を切ったのは古津鹿だった。
「せいっ!」
古津鹿はその刀を小佐野に振るった。目にも止まらない速度、瞬間移動のような移動からの抜刀だ。しかし、その刃を小佐野は容易く掴んだ。手で刀身を掴んだのだ。
「ちっ!」
「峰打ちかよ、舐められたもんだな。殺す気で来ないと勝てないぜ?」
そう言って小佐野は古津鹿の脇腹に蹴りを入れた。古津鹿は吹っ飛んだ。
「チクショウ!」
それを合図に一斉に他の駆除屋たちも小佐野に襲いかかった。
「パーティタイムだ!」
小佐野はだん、と地面を踏みつけた。すさまじい音が起きた。それは地面が吹っ飛んだ音だった。巨大なものが衝突したかのように地面が砕け、隆起したのだ。
駆除屋たちも一緒に吹き飛ぶ。もちろん、
「うわぁああああ!」
俺の乗った車もだ。ワゴンは宙を舞い、横転し、ようやく動きを止めた。俺は体の異常を確認する。腕と腰が痛んだが骨までいっているといった感じではない。打ち身か捻挫か。とにかく命に別状は無い。俺は窓の外を見る。
かち割れた地面、その向こう。
-ドンドンドンドン
あのデブリしか出さないはずの太鼓のような音が響いていた。景色がセピア色に変わっていく。あの異界が発動したのだ。
-ドン!
そして、メキメキと音を立てて地面から水が噴き出した。それは蛇か龍のようにうねる。 駆除屋が戦っている。みな自分の武器を振りかざし、跳流術を駆使し、小佐野に挑んでいく。そこに水が叩きつけられた。暴風も吹いた。たちまち地面も氷ついた。火柱が起き地面も溶けていた。めちゃくちゃだ。
「くそ! 武器が!」
「跳流術も効かねぇぞ!」
口々に駆除屋たちが言っている。見ていれば分かる。何十人と居る彼らは今一斉に小佐野に挑んでいる。たくさんの大人が一人の少女に武器を保って挑んでいるのだ。それは普通なら異常な光景だ。しかし、そうせざるを得ない。いや、それですら足りていないのだ。なにせ、この人数を相手に小佐野は余裕であり、駆除屋たちは次々と倒されているからだ。
空から雷が落ちて駆除屋が吹き飛んだ。駆除屋の跳流術を小佐野は手を振るだけで打ち消した。そして、彼女が空気を手で叩くとそれだけで衝撃波が生まれ人々が吹き飛んでいった。 完全に人間業では無かった。駆除屋の跳流術の限界さえ易々と超えているだろう。
小佐野は、あれは一体なんなんだ。
「《神懸かり》、本当に実在していたとは思いませんでしたよ」
そんな俺の横で言葉があった。見れば九条だ。ワゴンが横転した衝撃で起きたらしい。額からは血が流れ落ちていた。
「なんなんですか《神懸かり》って。あんなの、あんなのメチャクチャだ」
「カミサマと繋がっている人間です。いわゆる《不確定存在》とね」
「繋がっている?」
「詳しいことは分かっていません。そもそも神懸かりは我々の業界でも都市伝説みたいなものです。実在は確認されていなかった。大昔から存在がほのめかされてきただけです」
「それがあの女だって言うんですか」
「そうとしか思えない。私の跳流術のことこどくを無効にしたこと。あの圧倒的身体能力。そして、デブリ特有の存在音。彼女が神懸かりであることはほぼほぼ確実だ」
「なんであんなに強いんですか。あんなの人間じゃない」
「噂では、神懸かりは裏側の王である不確定存在と繋がっているので跳流を完全に制御出来るのだそうです。そして、その体はほぼ跳流によって構成されている。つまり、人間のようなデブリと言えるかもしれない。だから、人間ではおよそ不可能なことも可能なんです」
「でも、俺と話してた時のあいつは人間としか思えなかった。そんな怪物なんかじゃなかった」
「会ってたんですか? あの少女と」
九条は驚いていた。
「ええ、催眠術みたいのをかけられて従姉妹だと思い込まされて。あいつは俺に話しかけてきたんだ。あの時あいつは普通の年相応の女の子だった。そんなデブリなんかでは無かった。人間でしたよ」
俺の言葉に九条は苦い顔をした。何かが喉でつっかえているかのような。
「三好さん。あなたの言うとおり彼女は人間です。元人間と言うべきなのかもしれないですが。神懸かりとは人間を不確定存在がさらった者たちなんですよ」
「な.....」
「小佐野真伊。思い出しました。10年前に行方不明になった10歳の少女の名前だ」
九条は重い口調で言った。
そんな、あの女はそんなものだというのか。訳の分からないものにさらわれて人間で無くなったものだというのか。それが、今俺たちの目の前に立ちはだかっているというのか。これはなんだ。小佐野はなんなんだ。それを連れていた管里はなんなんだ。
俺は疑問で頭がいっぱいになった。
その間にも戦いは続いていく。
小佐野は圧倒的だった。数十人居た駆除屋たちはみるみる数を減らされていった。
「くそ!」
古津鹿はまだ戦っている。もう、なんど弾かれたか、いなされたか分からない刃を必死に振るっている。あの古津鹿でさえ歯が立たない。それだけ強かった。
「術式起動!」
あの紋様の駆除屋も古津鹿の後ろから援護の術を使う。しかし、小佐野は、
-カアっ!!
声で術も古津鹿も吹き飛ばした。爆音だ。それも跳流を伴っているのだろう。それだけで他の駆除屋の術も消え武器が砕けていく。
強すぎる。勝てない。
「ははははは! どうした、駆除屋ってのはこんなもんなのか?」
小佐野は笑う。周りの駆除屋たちはすでに満身創痍だ。立っているやつが少ない。対する小佐野は当然のように無傷だ。
冷たい風が吹く。ぴゅうぴゅうと音が鳴っていた。
「くそ、さすがにデタラメに強いわね」
古津鹿は口の中に貯まった血を吐き出した。そして、刀を構える。その純白の刀身はところどころが刃こぼれしていた。
残った他の人員もぼろぼろの体で小佐野に向かっている。
「相変わらず峰で攻撃しやがって。お前以外のやつもそんなのばっかだ。オレに勝つ気あるのかよ」
「私たちが狩るのはデブリだけよ。人間に刀を向けたらその時点でお縄だから」
「オレが人間に見えるのか? オネーサン」
小佐野が浮かべたのは今まで見たことの無い凄惨な笑みだった。小説なんかの表現でしか見たことの無いひどい笑いだった。その表情で詰問するかのように古津鹿に聞いたのだ。
「ええ、人のナリをして人の言葉を人のように使ってる。だから、少なくともあなたは私にとっては人間だわ」
それを聞いて小佐野は笑った。恐ろしい、地獄の底から響くような声で笑った。
「くはははははははははは! なんだその理屈。そんな理屈でオレが人間だって? オネーサン、残念だけどあんたの理屈は間違ってる。オレは人間じゃないよ。こんな人数相手にして」
小佐野はぐるりと手を広げて辺りをしめす。たった今小佐野がめちゃくちゃな手段でめちゃくちゃにした景色。
「こんなこと出来るやつが人間なものかよ。オレはクソッタレのカミサマどもに化け物にされたんだ。オレはこの十年化け物として生きてきたんだ。それがどういうことかあんたに分かるか?」
小佐野は古津鹿を静かに睨んだ。
「オレはずっと意思のある跳流だった。こんな風に人間の形すら取れてない。ただのエネルギーの塊だった。誰からも気づいてもらえず、誰にも干渉出来ない。そんな風な存在だ。そうして、生きることも死ぬことも出来ないで十年。ただ、日本中を漂うだけの毎日。平凡に暮らす人々を羨むだけの毎日だ。それがどういうものかあんたに分かるか? 分からない。分かるはずが無いさ。だってあんたは人間なんだから」
その言葉に古津鹿は何も言い返せなかった。俺だって言葉を失ってしまった。
「管里が術で形を固定してくれるまでずっとそういう存在だったんだ。そして、ようやくこうしてとりあえず形だけは人間になれた。あとは、カミサマとのつながりを絶つだけだ」
「カミサマとのつながりを絶つ? それがあなたと管里が協力する理由ってこと?」
「ああ。あいつの目的は裏側に行くことだ。そして、あいつは裏側に行って俺と繋がってるカミサマを殺すと言った。そうすればオレは人間に戻れる。元通りなんだよ」
「そんな、そんなことが本当に可能なの?」
路を開くことそのものが机上の空論扱いなのだ。その向こう側に行って不確定存在に手を出すということはその上を行くだろう。俺でも小佐野の言っていることが実行可能なのか疑問だった。
しかし、小佐野は笑った。今度は静かで、寂しい笑顔だった。俺まで寂しくなる、そんな笑顔。
「可能かどうかが問題じゃないんだよオネーサン。オレにはもうそれしかすがるものが無いのさ」
小佐野は絶望しているらしかった。
俺には小佐野の言っていることはなにも分からなかった。そんな常軌を逸した境遇に陥ったことなんて想像すら出来ない。全部が全部理解を超えているのだ。
俺はやはりなにも言えなかった。
俺は無力だった。
「オネーサンが管里の計画を邪魔するってことは、オレをまたそういう風なモノに戻すってことだぜ? 良心が痛まないのか?」
その言葉に古津鹿は長く沈黙した。そして、言った。
「ごめんなさい。それでも私はあなたを倒さなくてはならない。管里を止めなくてはならない。それが私が決めた私の役割だから」
「そうか」
「本当にごめんなさい」
古津鹿は絞り出すように言った。
乾いた時間だった。誰も小佐野の絶望を消す術を保たなかった。誰も小佐野の絶望に正面から向き合うことさえ出来なかった。誰も小佐野を救えなかった。そういう話だった。
「くそ.....」
気づけば俺は漏らしていた。
「なに泣いてんだあんた」
小佐野に言われて俺は初めて自分が泣いていることに気づいた。あんまりにあんまりだったからだ。俺はこんな悲しいことが世の中にあるのを初めて知ったのだ。
多分俺が無知なだけだったのだ。知らなかっただけできっと世の中にはこうしたことがゴロゴロ転がっているのだ。だから、悔しくて悲しかったのだ。
小佐野はそんな俺を不機嫌そうに見ていた。
「いいよ、清々した。これではっきりしたじゃないか。あんたらはオレを敵にするしかない。だからオレもあんたらを全力で叩き潰すしか無いってわけだ!」
そう言って小佐野は地面を思い切り殴りつけた。地面が割れ吹っ飛ぶ。
「ちぃ!」
古津鹿は刀を構え小佐野に斬りかかる。やはり、峰だった。
「日向流二之太刀、重ね吹雪!」
鋭い古津鹿の太刀筋。しかし、小佐野はそれをいとも容易くかわしてしまう。
「四之太刀、呑雪!」
文字通り目にも止まらない速度で刃が振るわれる。白銀の嵐。しかし、小佐野はその一太刀一太刀を手のひらで弾いて受け流していた。
古津鹿は後ろに飛んで中段に構える。
「白断!」
古津鹿の最高速度の型が放たれる。
「無駄だオネーサン」
そして、それを小佐野はまともに受けた。激しい音が響いた。金属と堅いモノが激突する音。そして、それの直撃を受けた小佐野はしかし無傷だった。
「あんたの、あんたらの攻撃は全部オレには当たらないし当たっても効かない。もうはっきり分かった。ちょっとは楽しめるかと思ったけどやっぱり自分の想像以上にオレは化け物だってだけだ。あんたらの誰もオレには勝てないよ」
「くそ!」
斬りかかる古津鹿、それを小佐野は蹴り飛ばした。
「身の上話したら変に場も冷めちまったしこの辺が潮時だろうな」
小佐野は適当に足をぶらぶらと振った。戦闘中とはまったく思えない緊迫感の無さだ。他の駆除屋たちが斬りかかるが小佐野はそれを避けずに全部受け、そして殴り飛ばした。
勝てなかった。誰も勝てなかった。もはや、小佐野をどうにかすることは明らかに不可能だった。
皆、苦悶の表情で小佐野を睨んでいる。だが、どうすれば良いのか。跳流術も武器も全部効かない。身体能力は人間では到底付いていけない。そんな相手どうすれば良いのか。
誰も彼もが全力で頭を回していた。しかし、答えなど出るはずが無かった。
「ああ、もう時間か」
その時だった。
小佐野の体が淡く光り始めたのだ。セピア色だ。そして、
-ズン
と、なにか鈍い音がした。それは地面なんかが鳴っている音では無かった。明らかに物理的な音では無かった。
-ギリギリギリ
音が鳴る。小佐野の周りから。そして、景色が変わり始めた。そう、景色が変わったのだ。吹き飛ばされて地形が変わったのでは無かった。今までの景色を別の景色が塗りつぶしたのだ。それは黄金の風景だった。金色の草のようなものが広がる景色。黄金の草原という形容が一番近いだろうか。それが小佐野を中心に発生していた。
「これは.....くそ!」
九条が叫んだ。
「ああ、路が開いたんだよ」
小佐野は言った。
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