少女
翌日は、夕刻から必修科目の実習があったために、どうしても休むわけにはいかなかった。それにしても頭痛がひどいので、午前中だけでも休もうかと考えたが、しばらく寝台の上で寝がえりを打った末、ついに決心して洗面台に向かった。寝台から洗面所まで歩くだけで骨が軋んだのは月光のせいであるような気がした。朝の冷え冷えとした洗面台は青い冷笑を彼に浴びせかける。洗顔を終えて鏡に向かった真拆は、はっとして、逃げるように寝台へ戻った。おそろしいことだけれど、その兆候は以前からあったように思われた。やはり月の影響に違いない。柱時計に眼を走らせ、ふと諦めに似た感情が彼に芽生えた。なるようになればいい。彼は再度、洗面台に立ち、半ば自棄になって乱暴にがしがし歯を磨いた。
……鏡に映る、不機嫌に歯を磨く真拆の姿には、以前のそれと異なる点が多く見受けられた。例えば霧雨のようだった髪は蔓薔薇のように、例えば新月のようだった瞳は黒水晶のように、例えば瓦斯のようだった肌は角氷のように――変化している。すこし小柄になったようだし、睫毛が伸びていた。ためしに発声してみると、秋風のようだった声は春風のようになっている。変化のひとつひとつは些細なものに過ぎなかったが、それらがいっぺんに重なったとあっては、もう誤魔化しようがなかった。狼男だなんてとんでもない。真拆は鏡の向こう側にいる、きわめて不機嫌そうな少女を、凝と睨みつけた。忘れかけていた頭痛がまた始まった。そういえば月は女性を象徴すると言うが、だからといって何ということだ、これは。
袖の余る男物の外套をはためかせて歩くその姿に数多くの好奇の視線を集めながら、どうにか大学まで辿りついたのはよかったけれど、今回の出来事には彼の数少ない知己もさすがに呆れ果て、彼を責め立てるのだった。
「真拆、君はどうも掴みどころのない靄のような男だが、それにしても大概じゃないかと思う。その姿は一体――」
それは私の知ることではないと真拆は答えた。事実そうだった。一日中、真拆は不機嫌そうな顔をしていた。夕刻からの実習が終ったのは20時過ぎで、今夜も晴れ渡った夜空に月が微笑している。今宵は満月だ。
眩い月光が降り注ぐ並木道を駆け抜け、真拆は急いで帰宅した。その際、隣室の美大生は、平生から女の気配など感じさせない隣人の部屋へと一人の少女が駆けこんでゆくのを眼にして奇異に思ったものの、事の真相など思いもよらぬことだった。
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