砕け散る月光の破片
北条雨傘
街灯家・マサキ氏について
Trachelospermum asiaticum.
真拆――彼の名は、天の岩戸で天宇受賣命が身につけた「眞拆の葛」に由来する。和名テイカカズラ。螺旋状の白い花弁をつける、可憐な毒草の名前。
真拆は軽度の不眠症と偏頭痛を患っており、その長身痩躯を持て余して猫背に歩く青年である。通学鞄には常に、横罫線の入ったモレスキンの手帳と、リルケの『形象詩集』と、そして頭痛薬の小瓶とを入れている、夕暮れの街灯のような人物だ。そう、夕暮れの街灯のような――それに加えて、霧雨のような髪と――秋風のような声と――新月のような瞳とを所有する人物だった。
そんな彼にあっては、「真拆」などよりも、もっと別の名前が相応しいようにも思われたが、名前というものは帽子や靴のように、似合わないからといって仕立て直しの利く代物ではない。真拆氏――それは夕暮れの街灯のような人物。そんな彼が冷たい情熱を燃やすものに時計がある。腕巻きの安価な水晶時計に始まり、機械時計、電気時計は勿論、日時計、月時計、星時計、砂時計、花時計、水時計、火時計、果てはアストロラーベにまでその嗜好は及び、とにかく『時を計るもの』に惹かれるらしい。その関連の書物は彼の私室に山積で、工具類なども一通り揃えていた。機械時計の規則正しい音が好きなのだった。凝と耳をすましていると、歯車が計る一秒々々の中に自分自身の意識が埋没していくように思われたし、時計と関わることは氏にとっては何か特別な、哲学的要素をも含む事柄であるようだったから。
Tick-Tack.Tick.……
記述を続けよう。真拆氏の年齢に就いてはどうも判然としない。M大学の薬学部に籍を置いているのは確かなようだが、或る年の晩夏に出逢う真拆は27歳ほどの精悍な顔立ちの青年だったし、ところが、その同年の初冬に出逢う真拆は16歳くらいの未だ仇気無さをその顔に残す少年なのだから。いや、そればかりではない。たとえ同日同時刻のことであっても、「街の灯」や「夕日」の当たり方によって前後3歳ほど年齢が異なって見えることもある。昼と夜とではまるで別人だと証言する者は一人や二人ではないし、学生証には21歳と明記されているけれど、氏を前にしてはそれも定かではないように思えてならなかった。つまり、この「存在における輪郭の曖昧さ」「存在の不連続性」こそ、M大学の学生らをして「夕暮れの街灯のような人物」と言わしめる主な要因である。
全く以て彼は夕暮れの街灯家なのだった。
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