舞台をみるねずみ。
ねずみ
第1話 逃げ出す権利が欲しい。
生まれて初めてライブというものを見てきた。今までライブに行ったことがなかったのはライブというものを意識的に避けてきたからだ。それなのに参加したのは、まあ完全なる成り行きだった。仕事で色々あって仕事でないことでも色々あって判断力と読解力が低下していた、そこに推し、推しというべきかわからないが出演作品は追っている役者さんのコンサートがあった。1日だけで平日の夜で多ステをキメる予定の演目がちょうど終わった頃だ。それに歌がありそうだった。もしかするとこれはライブというものではないか? そう気が付いた頃には公演2日前になっていた。タイトルにちゃんと書いてあったし発券の呼びかけメールが3通くらい溜まっていた。ついでにファンイベントだったことをここで知った。我ながらちょっとどうかしている。
シンバルとギターと背後で叫ぶ人間が苦手なのでライブというものを避けてきた。世界で一番愛しているアーティスト(某音楽劇団)のコンサートですらライブ風だと聞いて逃げてきたぐらいだ。でも申し込んでしまった。しかも立ち見ではなく指定席だ。行かないと空白ができてしまう。立ち続ける体力はないと判断した過去の私は正しかったがそこまで理解していてなぜライブだと思わなかったのか。
やめようかと思いながら定時で仕事を切り上げやっぱりやめようかと思いながらいつもと違う電車に乗り帰りたいと思いながら自宅から5分の駅を通過し投げ出したいと思いながら会場に到着した。乗換えを間違えたうえ目指す改札は見つけられなかったがいつものことだ。駅を出てからは迷わなかったので好調ですらあり30分前に着いてしまった。もう後には引けない。
結論から言おう。おもしろかった。おもしろかったがしかし、会場を出てまず口をついたのは「疲れた」だった。そのことに自分で驚いた。主観は「おもしろかった」だったので。
演奏は賑やかだが想像よりは穏やかで、参加者も比較的若い年代が多かったからか(経験則だが舞台の上演中に私語や飲食する輩には年配の客が多い、)噂に聞いていたような突如歌いだしたり舞台に突進したりする人もいなかった。何にそんなに疲れたんだろうと考えて、すぐに答えが出た。役者さんとの交流イベントがあったのだ。
握手会、サイン会、ハイタッチ。今まで避けてきたもののもう1つが交流イベントだった。もちろん役者さんを近くで見られるのは嬉しい。だが接触の機会があるとなると話は別だ。何か粗相をしたのではないか、不安や後悔が感動を大きく上回り、余韻も何もあったものではない。一応言っておくと交流イベントがサービスの一種だということは理解しているし、この一瞬(参加者にとっては。主催側には結構な時間だろう)のために役者さんや事務所や会場の方が準備してくださっていることには感謝と尊敬の意しかない。そもそも世の中には一瞬でも推しと触れられた喜びを素直に享受できる人間が多く、だからこそこういうサービスがどっきりもといサプライズとして提供される。需要は高いのだ。ただそうでない生き物もいて自分はそちら側だというだけだ。太陽に向かって飛ぶ虫もいればじめじめした石の裏を好む虫だっている、それと同じことだ。
会場出口に設けられた交流スペース、テンポ良く動く列と繰り返される挨拶、前の人が去って行ってもう逃げられない、自分が真顔をしているのがわかる、高揚がすっと消えた。役者さんに触れた瞬間背中がひやりとした、その感触がいま一番鮮明に思い出せるものだ。顔を見ることはできなかった、整えられた笑顔の下に万一にも何か見えたら、見て取ったつもりになってしまったらという恐怖しかなかった。一挙一動に相手の感情や行動動機を見つける、そういう仕事をしているので絶対にこじ付けてしまう自信があった。
心底疲れて高揚もなく駅への道を歩きながら、上演中に隣でずっとオペラグラスを構えていた彼女が列にいなかったことに気が付いた。交流スペースが整えられる前に席を外し、そのまま戻って来なかった。
彼女のようにすればよかった。お待ちくださいの指示になんて従わずに。そうしていれば「おもしろかった」のまま帰れたのだ。きっと。
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