Life is ephemeral
九重工
第1話 序章
「こんにちわ、こんな暑い中ご苦労なこったねぇ」
「いえいえ、仕事なんで」
京都の町外れで今日も僕は取引先の鈴木さんのもとを訪れていた。建てられて何十年も経ったであろう民家は古いながらもよく手入れされている。歩くたびにギシギシとなる廊下は少し頼りない。鈴木さん一人で住むには広すぎる家の中を見回し、ふとタンスの上に置かれた狐の置物と目があった気がした。
差し出された座布団に座り、カバンから書類を引き出す。
「では早速、こちらの書類に目を通していただけますか。鈴木さんがあとこの家に住める期間は1年ですのでその間にできる手続きは終わらしてしまいましょう。」
「そうねぇ、なんだか変な気持ちだわ。ずっとこの家で生活して死ぬもんだと思っていたから。いざ離れるとなると少し心残りだわ。」
「そんなに長いこと住んでいらしたんですか?」
「えぇ、結婚してからだからもう70年になるわねぇ。」
「70年・・・」
その半分も生きていない俺からしたら想像もできないが離れがたいという気持ちはわかるような気がした。ずっと暮らしてきた家を手放し、もう戻れないといのは寂しい。仕事で何度もこの家を訪ねているからこの家が大切にされているのがよくわかった。ところどころ傷のついた柱は家族の成長の記録だろうか。
「あんたはどうしてもやり直したい後悔ってあるかい。」
鈴木さんはペンを走らせながら問いかける。
「ありますよ・・・。鈴木さんは何か後悔していることがあるんですか?」
「いーや、こんだけ長生きしたら諦めもつくもんさ。ただ若い頃はどうしてもやり直したい過去があってね。その頃は神社で白い狐を見ると過去に戻れるっていう噂があってね。何度も神社に通っていたさ。」
「それで、その白い狐には会えましたか?」
「ついぞ会えなんだ。」
首を振りながら昔を懐かしむように目を細めて鈴木さんが笑う。あぁ、確かに。諦めがついたとは本当なのだろう。
ずっと過去を悔やんで生き続けるよりはよっぽどいい。
「そういえばその神社ってまだあるんですか?」
「あぁあるよ。結構近いから行ってみてもいいんじゃないかい。うちから左に行って、階段があるからそこを登ったところに小さなお社があるからわかりやすいと思うよ。そもそも、こんな場所に白い狐がいるわけないんだけどねぇ。」
「その階段の前を通ったことあるので今日の帰りにでも寄ってみます。そういえば何の神様なんですか?せっかくなら商売繁盛祈願でもしたいところですけど。」
「残念だけど縁結びの神様だよ。いい出会いがあるといいねぇ。」
そう言ってクツクツと笑う。全く、好きで独身なわけじゃないが出会いのなさにこじつけるのも言い訳じみているように思えて、苦笑いで返す。
「でも、本当に誰かに会えるかもしれないね。ずっと忘れていたけど昔あそこで人に会って話をしたことがあるんだよ。今更思い出すなんて歳はとりたくないもんだね。」
「他の参拝客の方ですか?」
「うーん、よくは覚えてないんだけどね。白い着物を着た若い男の人だったねぇ。多分あのお社の神主さんなんじゃないかと思うんだけど。まさか人に会うと思ってなかったからそりゃあもうびっくりしたもんだよ。なかなか巷で見ないような男前だったねぇ。」
「それ急に人が現れたからっていうよりも、すごいイケメンが現れたことにびっくりしたんじゃないですか・・・」
そうこう言いつつも鐘がなり、時計を見ると針は16時を示していた。俺はちょうど書き終わった紙を置き。帰る準備をする。
「じゃあここら辺で終わりにしましょうか。続きは明日でも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。時間も今日ぐらいだとありがたいね。」
「わかりました。予定が変わりそうなら電話してください。日にちを改めますので。」
「ご丁寧にどうもね。年寄りになるとすることがなくてね。明日も暇なんだよ。あんたが来てくれるのもちょうどいい話し相手になってもらえて嬉しいもんさ。」
「こちらこそいつもありがとうございます。ではまた、お邪魔しました。」
軽く会釈して家を出る。俺が鈴木さんに会うのは仕事だからだ。だから、この契約期間が終われば会う機会もなくなる。そう思うと少し寂しいような気がする。
営業はいろんな出会いを繰り返して、契約期間が過ぎれば会うこともほとんどない。それは毎回のことなのに心に小さな空虚感を生み出していく。こればっかりは慣れないものだ。
そんな風に物悲しくなるのは夕暮れ時だからだろうか。
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