笑顔の花
少年は河原で一輪の花を見つけた。ヒマワリに似た小さな花は、草むらの中に隠れていた。だがそれでも少年の目を引いたわけは、その花はまるで絵本から出てきたようにニコニコしながら咲いていたからだった。
驚く少年は急いで家に戻り、庭に放り出されてあった鉢植えを持って河原に向かった。彼は息を切らしながら、さっきの見た物は幻だったのではないかと何度も考えながら自転車を漕いだが、その花は変わらない笑顔のまま咲いていた。
少年は花を傷つけないように、そうっと鉢に移し替ると家に持ち帰って自分の部屋に飾った。
それから毎日、少年は学校から帰ると今日起こった出来事を花に喋った。花はその話を聞いて楽しそうに相槌を打った。少年と花は友達になっていた。
だがしかし、やがて別れの時が訪れた。花が萎れてしまいそうだったのだ。少年は少ないおこずかいを費やして、花を長生きさせようとした。音楽が植物の成長に良いと聞いて、自分の好きなヒーローソングを聞かせたりもした。けれども、楽しく過ぎていくはずの時間だけが彼らの関係を蝕むことには抗えなかった。
枯れる直前にその花は初めて口を開いた。
「僕の種を撒いてくれたら、君のために歌を歌おう。」
しぼみきった花はやがて実をつけ、その種を少年は庭に植えた。すると、一カ月もしないうちに花々は咲いた。まるで再会を祝福するような笑顔を見て、少年も微笑んだ。
少年は笑顔の花を一層大事にした。たとえ枯れてしまったとしても、その度に花の数は増えて賑やかになっていく。花達も約束通り、少年のために合唱をしてくれた。その歌声はよく響いた。
やがて少年の元に、歌う花の噂を聞きつけた大人たちがやって来た。彼らは実際にその光景を見て驚き、世間の人々もテレビに映るそのお伽噺のような姿に騒ぎ立てた。
大人たちに頼まれて、少年は余っていた花の種を渡した。代わりに受け取った僅かばかりの礼品を見て、これでもっと立派な花を咲かせることができると少年は喜んだ。
花の種は工場に運ばれ、人工照明の下で瞬く間に数を増やしていく。
世界中の人々が笑顔の花を欲しがっていた。一人暮らしのパートナーとしてはどのペットよりも手間がかかることはない。孤独な高齢者でも花ぐらいなら自分で世話ができるのだ。なにより誰もが都合の良い話し相手を求めていた。
そんなある日事件は起きた。少年の花壇が踏み荒らされていたのだ。
すぐに犯人が見つかった。それは凶悪な犯罪者ではなく、ただの近所の男性だった。毎朝聞こえてくる歌にストレスが溜まっていたのだと言う。
少年は一人庭先で泣いていた。彼の母親は花の種を買ってきたが、少年はもう二度と花を育てようとは思わなかった。踏みにじられて折れてしまったのは少年の心の方だった。
花に対する事件はその一件だけではなかった。管理しきれずに増えすぎた花を公園や道路に廃棄する者、そうして野生化した花々を気晴らしに折る者が後を絶たなかったのだ。
そのニュースは社会問題になっていた。花は潰されているのではなく殺されているのだと、ある活動家が主張した。彼らには感情があり、私達と意思疎通ができる。花達を守るべきだと。
その意見に対して専門家の間では賛否両論があったが、良き隣人である花に世間の大衆は同情し、すぐさま笑顔の花に対して人権が与えられた。
それまで野ざらしにされ日陰に縮こまっていた花々は、遂に日の目を浴びることになった。堂々と道の真ん中に咲くことができるようになったのだ。
だがそこからが問題だった。
花達は誤って踏み潰されるごとに、苦悶の表所と悲痛な叫びをあげ、加害者に賠償を求めた。咲いている位置が悪いんだと犯罪者達はわめいたが、無責任に産んだのはお前達だと、花達は言った。
何時からか、話し相手になった老人は彼らに丸め込まれて、少ない年金を巻き上げられていた。
そうして得た金銭を使って花は自らの数を増やすのだ。もっと良い環境に自分は住むべきだと、ニヤニヤ笑うようになっていた。
やがて彼らは喋ることのできない在来種を自らよりも劣っているという理由で排斥し始めた。花は増え続ける。もう既に世界各地に咲いたそれを根絶やしにしようなどと考える方が間違っていた。
ある青年は昔よりも走りにくくなった川沿いの道を自転車で駆けていく。
土手から見下ろすと、河原には一面に笑顔の花が咲いていた。
だが互いに、純粋だったあの頃の姿はもうどこにもなかった。
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