鉄の右腕、首のない犬
subwaypkpk
第1話 鉄の右腕
義手。
先天的・後天的を問わず、腕を失くした人が生体の代わりに装着するもの。ティーン最後の年、私は右腕を電子義手に取り替えた。理由は生身の腕が不便で、何より電子義手がかっこよかったからだ。肘から先を自分で切り落とし、死にかけながら義手を取り付けた。その後一ヶ月間に渡り高熱と嘔吐を繰り返し、最終的には接合部から腕が腐り始め、結局正規の医院で肩から先すべてを義手に取り替えることになった。
腐った腕を切り落としてからも痛みは続いた。傷からは膿が滲み出して、包帯ごしに匂いが漏れ出しひどく周囲に満ちていた。一日に何度もある包帯の交換時ははじめこそ恥ずかしかったが、すぐにそんなことよりいかに多くの痛み止めを飲むことができるかに執心するようになった。わたしは看護師に笑いかけ、懇願し、それでも痛み止めの量を増やしてもらえないと分かると馬鹿みたいに怒り散らした。困った表情の彼や彼女にどんな風に思われようと構わなかった。また、目で見ても肩が腫れていることは明らかで、このまま腫れが引かなければさらに腕を削るしかないのだろうかと想像した。夢では虫に身体を食い削られた。腫れや痛みが完全に消えたのが手術から一ヶ月後のことで、そこから電子義手用の接合機器を肩の神経と連結した。
腕ははじめ持ち上がらなかった。というより、持ち上げるという感覚をつかむことができなかった。動かせるようになるまで一ヶ月かかり、そこから粗大運動、微細運動と経てそれまでの生活を再現できるようになるまでは半年近くかかった。右腕だけが赤ん坊に戻ったようで、2つの体を同時に動かしている気分だった。箸を使ってご飯を食べられるようになった時は感慨深いものがあった。
ある程度腕が自由になってからは電子義手のカスタマイズに明け暮れた。全てのデバイスを腕に埋め込んだり、年末にゴテゴテと明るい電飾で腕を飾り、街をスクーターで走った。
それからわたしは奨学金をとって地元の大学に進学し、三年で過程を終え、ダウンタウンの中華屋の2階で整備工をはじめた。
今では、すっかり馴染んでいる。
*
道の真ん中でスクーターにまたがり、なかなか変わらない信号を眺めていると、自分がそのまま機械になったような気分になってくる。今か今かと待っていてようやく信号が青色に変わった。緩やかにエンジンをかけて走り出す。
荷台には中華屋の出前箱が2つ乗っている。
あるアパートメントの前にスクーターを止める。手元の端末で電話をかけ、耳と肩で挟みながら出前箱を両手に提げる。階段を数段登ってエントランスに入ると、通話口の相手が出た。
「今表についたんだけど、開けてもらってもいい?」
「ありがとう、ちょっと待ってて」
言われた通り待つ。ふと視野の上の方で何かが動いた。視線だけあげると、向かいのアパートのベランダから、白いもこもことした犬が首を突き出している。
少しするとメガネをかけたキム院生がパタパタとつっかけ姿で駆け出してきた。
「悪いね、ケインがきてるから馬鹿みたいな量になっちゃって」
「だと思ったよ。全部チャーハンと鶏肉だしさ」
扉を押さえてもらいながらわたしはアパートメントに踏み入れる。
「キム氏は調子どう?」
「どうもおかげさまで。出前の箱ひとつ持つよ。シマムラは?」
「ありがと。わたしもぼちぼちですよ」
アパートメントの一室では、ケインが巨体を窮屈そうに椅子にねじ込みながら作業していた。タバコを吸っているらしく、部屋中が燻されている。
「おー兄弟! 今日も相変わらずのハイカロリー?」
「うるせえ奴がきたなおい」
「呼んだ理由の八割がたはケインの注文だろ」
苦笑しながらキム院生がわたしを追い越していく。すれ違いざまにわたしの持っていた出前の箱を渡すよう催促される。箱を渡す。
「ありがと、窓開けていい?」
「いいよ、ケインも汗かいてるみたいだしね」
わたしはケインの後ろを通って窓を開けにいく。窓を開けると一気に風が吹き込んで、胸の息苦しさが消える。二階の部屋なので少しだけ見晴らしがいい。表はダウンタウンらしく人通りも多く、しかしそれより目につくのがブロックごとに積み上がった廃棄物の山だ。廃棄物からは多くの腕や脚、『人体』が飛び出し、折り重なっている。
眺めていると、ケインが上から覗き込んでくる。
「何見てんだ?」
「ほら、すごいことになってる」
わたしは指を差す。
「あー、新発売、俺もああいう金持ちの使う機体を使ってみたいもんだぜ」
ケインはゴミ山に興味を示すこともなく、遠くのビルにかかった電子広告をみているようだった。最新の汎用人型ロボットが昨日発売になったばかりだった。フルカスタムはゆうに$10,000を超える。
「なんか言いたそうな目だな」
「古い機体メンテして使ってる方がよっぽど誠実だよ」
「なんだそれ、新型が発売になったんだから古い機体が捨てられるのは当たり前だろ」
「シマムラは義手だから感情移入してるんだよ。ケイン、早くしないと冷めちゃうよ」
「今いく」
「ケインいらない部品漁ってていい?」
「どうぞご勝手に」
わたしはケインの作業机に腰掛けて、積み上げられた機材やガラクタ箱をかき混ぜる。ケインがすでにめぼしいものを回収した後だから、使えるものは中々に少ない。
食事が終わったのか、キム院生が赤いコーラの缶を片手にやってくる。
「いいもんあった?」
「うんー......ぼちぼち」
思い出して、話を振る。
「向かいのアパートに犬がいるね」
彼は手元の朝刊に目をやっていたが、顔を上げる。昨年起きた滑落事故が取り上げられている。
「あーあの白い犬。ちょうどベランダに出てきた」
「あほんとだ、なんかめっちゃ暴れてる......」
向かいのベランダでは、先ほどの白くてもこもこした犬が飼い主らしき男性に抱えられている。犬は興奮した様子で、危なそうだなと思って見ていると、次の瞬間にはベランダの手すりを超えていた。
わたしとキム院生は同時に叫ぶ。
「お、落ちた?」
「いや」わたしは訂正する。「落としたんだ。落ちる直前、あの男ベランダの下を覗き込んでた、わざとだ」
落ちた先を確認すると、犬は積み重なったゴミの中に頭を埋もれさせている。
「ちょっと見てくる」
窓辺から離れ扉を蹴り開け表通りまで駆け下りる。ゴミの集積所に近づくと、犬は丸まって、しかしわずかにもごもごと動いていた。この集積所にもいくつかのロボットが折り重なっており、ゴミ自体がクッションの役割を果たしたとは言えなさそうだった。それにも関わらず犬は動いていた。
「この子......」
手を伸ばそうとすると、横から声がかかる。
「あの」
わたしは身構える。先ほどのやべえ男が来たのかと思った。ただ、声の主は先ほどの男とは背格好がまるで違っていた。背丈はわたしと同じくらいで、あまり肉付きがいいとは言えない体つき。中性的で、一瞬女かと思ったが、喉仏らしい影があった。
わたしと彼の間に間ができると、彼はそのまま犬に駆け寄りお腹のあたりを手で探る。すると、電子音がして犬は動きを止める。
「電子犬だったんだ」
「ごめんなさい、見てたんですよね。驚かせてしまって」
「驚いたっていうか、なんだ、もうめちゃくちゃ驚いたよ、急に犬を投げたら、わたしはめっちゃ驚く」
「ですよね、僕もそう、めっちゃ驚いて......」
彼は申し訳なさそうな顔をする。電子犬だからといって投げて良いという訳では全くないが、とりあえず喫緊の問題が無くなったことでわたしの緊張はほぐれていた。同時に様々な疑問が湧く。
「その子大丈夫かなあ、なんで投げられたの? っていうか投げたやつは誰なの?」
「あの人は親戚で、この子が元々壊れてるからもう捨てろって言われてて、それで怒ってこうやって捨てられて」
うわあ、と口から漏れる。
「こわ。それ、あなたは大丈夫なの?」
「......一緒に暮らしてる訳ではないので」
「そっか。一時的なものなんだ。ちなみに聞いていいのか分からないけど、壊れてるらしいその子は直さないの?」
「それは......」
彼がためらう。その理由はおおかた金銭的な問題か何かだろう。もしくは、家庭内のなんらかの事情が関わっているのかもしれない。
「ごめん、言いにくいならいいんだ」
「ええ、じゃあその、もう戻ろうかと」
「あ、待って」
わたしは彼を引き止める。
「わたし、整備士だから。その子直させてよ」
*
窓から外を眺めていると、遠くから犬を抱いた男性がこちらへ歩いてくるのが見えた。彼の名前は羽田凌二で、犬の名前はモップと言うらしい。昨日届いたメールにそう書いてあった。わたしは羽田にわたしの作業場の住所と注意事項ーー作業場は中華料理屋の2階を借りていて、ひと目ではなかなか気づけないことを返信した。窓から身を乗り出し羽田に手を振ると、彼はこちらに気づいて手を振り返す。
表に出て羽田を迎える。
「本当にご飯屋さんなんですね」
「そ。どぞ」
羽田は犬を抱いてわたしに続く。階段は薄暗い。何かに足を引っかけないようにゆっくりと登っていく。
「そういえば、シマムラさんも義手なんですよね」
「うん」
「.......なんか、よかったです。義手の技師さんに見てもらえて。昔、完全に生身の人に整備してもらったことがあるんですけど手つきが荒くて、なんか嫌になっちゃったことがあって」
そこまで言って、申し訳なさそうに止める。「というか、失礼ですよね急に。望んで義手にしたわけでもないのに。ごめんなさい」
「いや、大丈夫。わたしこの腕、事故とかで失ったわけじゃないから」
「え?」
「便利だから義手にしたんだよ」
階段を登りきったわたしは作業場に足を踏み入れると「例えばこんな感じで、」腕を横ざまに払う。
すると、それにつられるようにして、作業部屋内の照明が順々についていった。
「めっちゃ便利っしょ」
羽田が歓声をあげる。
「消すのも簡単、お湯も沸かせます」
「うわーすごいな、便利だな」
「今お茶入れますよ」
「あ、ごめんなさい、できたら普通の水を」
来客用の棚に伸ばしていた手を引っ込めて、冷蔵庫を開ける。しかし何もなく、隣の棚の整備の際にさすための水しか残っていなかった。まあ飲めない水ではないと思ってコップに注いで出す。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます。.......へー美味しいですねこれなんていう水なんですか?」
「モップちゃんにはなんか出します?」
結局モップちゃんにも同じ工業用の蒸留水を出した。一人と一匹、揃って美味しそうに飲んでいる。羽田にはさらに問診票のようなものを渡す。
「書いておいてもらっていいですか?」
その間にわたしは作業着に着替える。
着替え終わって戻ると、羽田は膝の上に問診票をおいて座っていた。受け取る。モップちゃんの不調は主に首と足に出ているようだった。加えて以前好きだったはずの遊びに興味を示さないなど、記憶に障害が出ている様子でもあった。それらの情報はとても整った文字で書かれており、羽田の性格を思わせた。問診票のすみもぴっちりと揃えられている。
「ちなみに予算はどれくらい? 普通にメーカーで直そうとすると多分$1,000くらいになると思うけど、頑張れば700とかでできるよ、もしくは、手伝ってもらえるならもっと安くできる」
「あ......それなら、手伝わせてもらっても......」
「オーケー。今全部一人でやってるから荷物運びだけでもすごい助かる。あとはね、これは羽田が気にするかどうかってことでもあるけど、部品の仕入れ方を変える」
「仕入れ方ですか?」
「そう、ジェネリックみたいな」
「というと?」
「うん、スクラップ場で部品を集める」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます