第2話


  あれから私達は仕事帰りのタイミングが合う日には自然と一緒に帰るようになっていた。

 大学四年生の三山君は前よりもバイトに入る時間は減っていたのだけど、出勤した日は毎回私を待ってくれていた。

 年齢が離れているのですぐに話が合わなくなるのではないかと不安に思っていたりもしたのだけど、不思議と会話が途切れる事もなかった。

 その理由は彼が多くの話題を提供してくれるからなのだけど。

 それでもどんなに些細な話でも三山君の話を聞けるのは嬉しかった。

 駅までの短い道程だけど、私にとっては何よりも楽しみになっている。


「俺、本当はもっと昔から長田さんのこと知ってました」

 いつもの帰り道の道中で突然そんなことを切り出され大至急で自分の脳内は過去を巡るが、私は彼が花屋で働き始めるよりも前に会った憶えはない。

「高三の時、俺クレールにケーキを買いに行ったんですよ。きっと長田さんは憶えてないでしょうけど」

 三山君が高校三年生というと四年前か。申し訳ないけれど、憶えていない。

「長田さんを初めて見た時、子供でもご年配の人でも目線を合わせて、一人一人のお客さんに応じた優しい接客をする人だと思いました。…俺の時もそうでした。他のお客さんの接客が終わった後に、わざわざショーケースの前に出てきてくれて、ずっと漠然とケーキを悩んでいる俺の横に立って、要望を丁寧に聞き出して男の俺でも分かるように細やかに説明してくれました。感動したのと同時にこんな素敵な大人がいるんだなって尊敬しました」

 丁寧な接客と言ったって長くても10分くらいの出来事のはず。

 それを未だに憶えていてくれるとは。

 自分にとっては、もはや当たり前になっている事を褒めてもらえるのは気恥ずかしいがとても嬉しい。

「あの時から長田さんは俺の憧れです。初めて会ってからずっと変わらずに素晴らしい接客をしているし、仕事も素早くこなして。何より相手に寄り添い気遣えるのが長田さんの良い所です。俺もそんな人になりたい」

  過大評価なのではないかと否定したかったが、彼の輝いた瞳を見るとどうにも謙虚にも卑屈にもなれなかった。

 私は三山君の言う様なそこまで出来た人間ではないのだけれど、彼の理想像を壊したくもないと思ってしまったのだ。


「三山君は充分良い接客してると思うけど」

「俺なんてまだ駄目です。知識も足りてないし、包装も下手くそだし…改善の余地があり過ぎて」

「それは私だって同じだよ。何事も突き詰めたらキリなんてないんだから。三山君は誠意あるのが良く伝わって来るし接客に何より大事な笑顔が素敵。私は三山君の接客好きだよ」

  すると三山君は人差し指でこめかみの辺りをかいた。

 これは三山君が照れている証拠。今日までの間に何度か目にした彼の癖だ。

「俺なんてまだまだ…でも少しでも良く見えるのなら、それは手本にしている長田さんのお陰ですね」

「そうかな。これは三山君自身の努力の成果だと思うけど。もっと自信もっていいと思う」

「長田さんは本当優しいですね」

  お世辞でもなく率直な感想に近かったのだけど、三山君は私が気を使って褒めたのだと思っているようだ。

 決して驕らない態度から良い子さが滲み出ていた。


「長田さんってモテそうですね」

「へ?」

  脈絡のない、それも見当違いな言葉に私は間抜けな声が出た。

 この子の目はどうなっているのだ。

 残念だけど私は一度もそんな事言われたこともないし、事実としてモテた事はない。

「いつも俺と話してる時も真面目に話聞いてくれますし。話題が広がるように質問もしてくれるし、話した事を憶えていてくれます。長田さん聞き上手なので俺つい何でも話しちゃって。誰でも長田さんを好きになると思います」

「私モテないよ。むしろ友達のままがいいって言われることの方が多いから。恋愛対象で私を見る人なんて居ないに等しいの」

  ここはきちんと訂正しなくては。

 三山君が思っているほど私は出来た大人でも男性に好感を持たれる女性でもないのだから。

 誤解を早く解いてやるのも大人の優しさだろう。

 自分で言葉にするのは悲しいけれど。

「そうなんですか?それは周りの男の見る目がないんですよ」

  淀みなく、真っすぐとした目をして彼は言い切る。

 私は日本語の使い方を間違えた?いや、合っている筈だ。

 言語が通じていないのか。確かに否定したのにどうしてそこまで疑わずに言える。


「じゃあ今誰とも付き合ってないんですか?」

「いないよ、そんな物好き」

「そうですか。よかった」

「よくはないけど」

「まさか好きな人がいるんですか?」

「え、それは…いない訳でもないけど」

「誰ですか?」

  今の気持ちを明確に好きと呼べるか自分でも判断がつかない。

 少なくても気になっている事に違いないが本人を前に言える訳がない。

 大体私がよくはないと言ったのは30歳手前なうえに20代後半になってから誰とも交際していない自分の現状について、世間体的によろしくないかなと思ったが故でこんなにぐいぐいと質問攻めにあうとは思っていなかった。

 やはり若い子らしく恋愛の話には興味があるのだろうか。

「…秘密」

「やっぱり好きな人いるんですね」

「ノーコメント」

「いいです、俺諦めませんから」

「うん?」

  さっきから少し感じていたけど、会話が微妙に噛み合ってないな。

 これではまるで三山君が私に好意以上の感情を抱いてくれている…ように聞こえるではないか。

 いや、自惚れてはならない。揶揄われているだけかもしれない。

「長田さん。俺の言ってる意味、本当に分かってます?」

  私の焦っている心を見透かすかみたいな質問に答えが詰まる。

 正直に感じた通り答えるべき?それとも気づかぬふりしてとぼける?分かってはいても日常会話みたいに冗談めかして返すべきなの?

 29年生きようが恋愛の経験値は乏しいのだ。駆け引きは苦手だ。


「やっぱり長田さんは真面目だ。一生懸命考えてくれてる」

  黙り込んでいると三山君は悪戯っぽく笑って見せた。

 やはり揶揄われているんだ。悩んでしまった自分が恥ずかしい。

 それなのに初めて見る三山君の新しい笑顔に不覚にも胸が大きく高鳴った。

 動揺している自分を誤魔化そうと一言彼に文句を言おうと口を開きかけた。

「可愛い人ですね」

「なっ…」

  悪戯っぽく笑ったかと思えば今度は無邪気な笑顔でそう言いのける。

 意図して使い分けているのならばとんでもない小悪魔だ。

「もう駅ですね。それじゃあ、また。帰り道気を付けてくださいね」

「うん、また」

  ここで何か言い返すべきなのに私の頭は完璧にショートしてしまい、ろくな挨拶もしないまま逃げるように改札を通り抜けホームへと続く階段を早足で駆け上がる。

 大人の余裕は何処に行ってしまった?今の私はさぞ滑稽だろう。

  私だってそこまで鈍感ではない。

 期待してしまうから揶揄っているだけならばお願いだから止めて欲しい。

 心臓が持たない。どうしよう。いろんな三山君を知るたび、もっと知りたくなる。

 夢中になっている。普段の淡白な自分は消えてしまったのか。

 胸が苦しい。心が制御できない。頭がいっぱいになる。


 これはまるで恋みたいじゃないか。




  昼夜ともに暑さが猛威を振るわせ続ける八月。

 ゼリーや果物を多く使ったさっぱりとした商品が売れる時期だ。

 夏は御中元に始まり暑中見舞いや残暑見舞いと贈答品のやりとりが頻繁になる季節でもある。

 生菓子の売り上げが落ちるので単価も高いギフト商品は夏の間の売り上げを多く占める。

 同じような状況になる商店街にある和菓子屋も涼しげなレイアウトに綺麗な包装見本でアピールを欠かさずしていた。

 こちらも八月に入ったし新たな装いや変化が必要だろうと客足が落ち着く夜に私は頭を捻らせていた。

  通りに面する窓ガラス部の空間は毎月恒例になった佐和さんの協力を得て向日葵などを使った人目を引くレイアウトにした。

 和菓子屋さんは水色や緑などでとにかく涼しさをアピールしていたが同じ攻め方ではインパクトに欠けるかと思い、私は青と白を選んだ。

 白い浜辺をイメージし、夏特有のキラキラした中にも爽やかさが出ればいいと商品と共に貝殻やパールを模した小物も配置した。

 喜ばしい事に立ち止まって覘いてくれる人も多くいたし、中には「あそこに置いてある物が欲しい」と指定してくれるお客様もいた。

 もう一押しと今度は店内も雰囲気を統一し、今は細かい包装見本を工夫しているところだった。


「長田さん最近可愛いですね」

  マニュアルには無いラッピングをしている私の方法を見て覚えようと眺めていた晶菜がふと私の顔を見て呟いた。

 彼女が指摘するほど私は自身に何も手を加えていないし、特に変えた箇所もない。

 どこを見てそう思ったのやら理解が出来なかった。

「それは晶菜の感覚が変わったんじゃないの?」

 気にもとめず私は手を動かし続ける。

「違います。最近の長田さんは毎日楽しそうです」

  実は接客よりもこのようなラッピングやレイアウト作業を集中してやるのが結構好きな私は現在楽しい気持ちにはなっている。

 この職業を選んだ理由もこの作業が気に入っていた事もある。

 でもそれは昔からでいつもだ。最近と言われるものではない。

「そう?まあ楽しいけれど」

  頭で思い描いてた通りに完成した事に満足しつつ、私は出来上がった包装した商品を飾りに行く。

「恋でもしましたか?」

 手にしていた商品を思わず落としそうになるのをぐっと堪える。

 それは私がここ最近まさに悩んでいる事案で動揺が隠しきれなかった。

「え、彼氏できたんですか!?どんな人ですか!?教えてくださいよー!」

 それを肯定と受け取ったのか、生き生きした表情になる晶菜。

「年上、年下?イケメンですか!?どこで知り合ったんです!?」

  ショーケース越しに身を乗り出さんばかりの勢いで質問を畳みかけて来る。

 女の子って本当に恋愛話が好きだよな。

 私もそんな気楽に考えられていた年齢に戻りたい。

 

  私の今抱いている感情が恋だとしよう。

 そうだとしてもそれは晶菜みたいな学生が考える恋と三十路手前の私の恋では重さが違う。

 きっと私がそう言えば本質は同じなんて軽く返されてしまうのかもしれない。

  でも絶対に違う。私はもう軽い気持ちで付き合えない。

 付き合ってから相手を知ればいいなんて挑戦は怖くてできやしない。

 恋愛に対する価値観に差が大きく生じてしまうのならば付き合えはしないだろう。

  単に臆病だと言われてしまえばそれまでだけど、もう五年近く交際もしてなければ長続きした記憶もない。

 臆病にもなる。恋愛の仕方なんて分からない。

「私の事はいいから。ほら、そろそろ閉店準備始めて」

「えー男っ気ない長田さんにも遂に!と思ったのに」

「晶菜」

「はい、ただちにやらせていただきます!」

  ちょっと語気を強めて言えば、そのあと晶奈は素直に仕事に集中した。

 晶菜に勘付かれてしまう程、私は分かりやすいのかな。少し行動を改めなくては。



「こんばんは」

  今日も仕事を終え一人で最後の戸締りをしていると可愛らしい声が私に掛けられた。

 振り返った先には見覚えのある女の子が立っていた。

 花屋のアルバイトの子で、たしか三山君の誕生ケーキを買いに来たのもこの子だった。

 私服姿の彼女は若い子らしくショートパンツに洒落たシャツを着ていて夏だからだけど肌の露出は高い物だった。

 アクセサリーなどの小物や化粧の華やかさから学生生活を満喫しているだろう事がよく窺える。

 これから先、私は絶対しないだろうと思える派手さだ。

  彼女は大学一年生だとか聞いた気がする。

 きっと今年度で辞めてしまうだろう三山君の後任になればと採用したのだろう。

  クレールにも学生が三人居る。晶菜は大学三年生で、一人は大学四年生。

 もう一人は専門学生の二年生で順当にいけば今年度で二人は学校を卒業だ。

 ここを辞めてしまうだろう。

 半年もしないうちに年々盛り上がりを見せているハロウィンやケーキを取り扱う洋菓子店が一番繁盛するクリスマスも控えている。

 うちもそろそろ新しいアルバイトを募集するべきか。


「こんばんは、何か用かな?」

  訪ねてきた彼女を見て人材について考えてしまうなんて仕事脳だな。

 気持ちを切り替えて彼女ときちんと向き合う。

「少し話があるんですけど、ここではちょっと…お時間いいですか?」

  この場で出来ない話とは何だろうか。

 嫌な予感を抱えつつ促されるまま彼女に付いて行く。

 落ち着いて話をするならばお店の一つにでも入るのかと思えば商店街から少し離れた公園に来た。

 時刻は午後10時を回っている。この時間ならば営業しているお店が少ないとはいえ、駅前ならばいくつかチェーン店が営業していた筈だ。

 道中会話は一切しなかったし、おまけに人気のない場所に連れて来られるなど嫌な予感は増す一方。

  これはクレールの店長に対する話ではなく、私個人に物申しがあるのだろうな。

 私何かしたかな。この子ときちんと話すのは今日が初めてなのだけど。


「単刀直入に聞きます、将太君と付き合ってるんですか?」

  歩みを止め、ようやく口を開いたかと思えば飛躍した質問だった。

 一瞬、将太君という名前に戸惑ったがそれは三山君の事だ。

 どこをどう見たらそう繋がるのだろうか。

 私達はたまに駅までの短い道のりを共に帰るだけで、それ以外は何もない。

「付き合ってないよ」

「じゃあ将太君の事好きではないんですね?」

  付き合ってはいないイコール好きではないとは限らないと思うけど。

 そうは思いつつも私はすぐに言葉が出なかった。本当に私は三山君が好きなのか。

 答えが出ない。気になっているのは確かだ。

 だけど口にしてしまえば本当に恋になってしまう。

  私はまだ今の関係を楽しんでいたい。いや、保っていたい。

 何気ない会話をお世辞も計算もなく笑い合っていたい。

 ただ見ているだけだった相手と話せるだけでも私は幸せなのだ。

 だけど気持ちを明確にしてしまえばこの距離感が崩れてしまう。

 それがたまらなく怖い。多くを望みなんてしない。

 あの時間だけでいいから奪われてほしくはない。


「あなた何歳ですか?」

  黙り込んでいた私に痺れを切らしたのか、苛立ちを含んだ声色になった。

 またもや唐突な質問だ。今の会話の流れで何故年齢が出てくる。

「29歳だけど」

「だったら将太君は諦めてください」

  彼女の方程式がさっきから理解できない。29歳だと何がいけないと言うのか。

 一方的な物言いに私も少しカチンときた。

「だって7歳も離れてたら絶対話題合いませんよ?おばさんじゃない!大して外見よくもないし。それに三十路近い女なんて…年下なんて誑かしてないでもっと歳が近い人にしてよ!」

  彼女の言い分は一理ある。年齢差は一番のネックだと私だって思っている。

 私が彼を好きだろうと彼は年上の私をおばさんと思っても不思議ではない。

 普通ならば私など恋愛対象になりはしないだろう。

  だけど、いきなり呼び出された挙句好き勝手言われるのは癪に障る。

「さっきから決めつけで話さないでくれる?恋愛に年齢なんて関係ない。それに私が誰を好きになろうと貴女には関係ないでしょう。指図される筋合いはない」

「…何よ!あんたみたいなのと居ても将太君は全然楽しくないんだから!」

  頭に血を昇らせていた彼女は大きめな声で捨て台詞を残して走り去ってしまった。

 私も苛立ったとはいえ、もう少し言い方があったかもしれない。

 大人の対応をとるべきだったと今更後悔する。

 それにこれで完璧に彼女の中で私は三山君が好きだという解釈になっただろう。

 万が一、三山君本人に伝わったりでもしたら…考えるのはよそう気落ちするだけだ。


  恋愛に年齢は関係ない。それは本当に思っている。

 他人が年齢が一回り以上違う相手と恋愛をしようが変だとは思わないし、当事者の二人が想い合えているならば何も問題はないと思う。けれど自分では話が違う。

 今までは単純に話せるだけで楽しいで済んでいたけれど、それは真剣に自分の気持ちに向き合っていなかったからだ。

  仮定とはいえ、三山君と交際することなどまるで考えていなかった。

 彼は私を慕ってくれてはいるのだろうけど、それはあくまで仕事上の私だろう。

 ただの話しやすい年上の人、くらいにしか思っていないかも。

 それ以上の関係を彼は望まないかもしれない。

 私だってこの関係が変わるくらいならば…それ以上は望まないと言いたい。

  だけどこのまま変わらない訳がない。

 いずれは彼は大学を卒業しアルバイトも辞めるだろう。

 そうしたら今の様に一緒に帰る時間などなくなってしまう。

  この関係には短い期限がある。

 期限を無くしたいのならば、自分の気持ちに正直になり彼へ伝える必要がある。

 考えればすぐに分かる可能性から目を背けていた。

  でも自信がない。別段見た目も良くないし、惹かれるような可愛らしい言動も面白みもないのに、そのうえに年齢差だ。

 私が男子大学生ならば迷わずさっきの可愛い子や晶菜みたいな自分の感情に素直でお洒落もしている子をとるだろう。

  そもそも彼が厭きて私の下へ来なくなれば共に帰る事もなくなる。

 特に実りも無い私との帰り道、いつそうなってもおかしくない。

 

 ―――三山君は私の事を本当はどう思っているのだろうか。



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