第28章

〜二人のやりとり 3 〜


ライと絹代は大体1週間に2回くらいのペースで会っていた。


シフトの時間が遅くなると、ライはわざわざシェアカーを借りて絹代をアパートの近くまで送り届けた。


今まで、ライが特定の人と親しくすることは絶対に無かった。それは確実にライ自身の身を滅ぼしていく。


デニスにバレたらどうなるのか。そしてきっと、デニスの後ろにはもっと大きな機関がある事にライ自身も何となく気付いていた。

ライがその一人であるように、大きな機関の人員は世界中に配置されている筈だ。ライがかつて誰かを監視するミッションをしていたように、自分も監視されているのではないか、そんな不安がライの心を蝕んでいく。


季節は秋になっていた。

ライと絹代は友達と言うより、同士というか、理解者というか、そんな間柄になっていた。


いつもの様に、仕事終わりに二人で食事をしている時に、絹代が


「最近、眠れなくて。」


と言った。


「何か悩みがあるのでは無いですか?」


「悩みが無い時なんて無かったから。」


ライは少しだけ笑って、


「そうでした…。今、一番心の中を占めている思いは何ですか?」


と聞き返した。


「う〜ん、そう言われると、仕事の事かもしれません。以前は自分の事がどうでもよかったので、自分が何をしていても関心が無くて、何とも思わなかったんです。

でも今は、例え独立の為とはいえ、こんな仕事をしてる事は恥ずかしい事なんじゃないかなって思えてきてしまって…。」


「あぁ、絹代さんが自分の事に関心を持ち始めたから、人にどう思われるのかも気になり出したのかもしれません。」


「そうだとしたら、驚きです。」


「恥ずかしいって気持ちは自分に、ですか?誰に対して恥ずかしいんでしょう?」


「誰に対してなのか分かりません。とにかく仕事に向かう時も終わった後も落ち着きが無くて、ずっと心がざわついているんです。仕事終わりは、こうしてライさんに会えるので、だんだん落ち着いて来るのですが、会うまでが凄く苦しくて。それに、夜になると眠れなくてとても疲れるんです。」


「無理をし過ぎるのは良くありません。サポート側の人間が言うのも何ですが、少しシフトを減らすなどしたらどうでしょうか?」


「確かに貯えも増えました。大学のお金は何とかなりそうです。でもまだ独立の為の資金としては不安です。」


「学費を自分で工面しているなんて、本当にすごいですよ。」


「前は仕送りがあったんですが、それが減ってしまって、足りない分を自分で何とかしています。大学を辞めたら家に戻されてしまうし。このままだと先に身体を壊してしまいそうです。」


「そうだったんですね。良かったらこのサプリを飲んでみますか?精神安定を促す効果があります。薬では無いので、効果は薄いかも知れませんが、飲んでみてください。僕もいつも服用しています。」


それは、ライが育てた植物から作ったものだった。

ライはいくつかの植物の種をボールペンの芯の部分に入れて日本に持ち込んだ物を自宅で育てていた。

採取した種を粉末にし、それぞれの植物の掛け合わせで、睡眠作用、酩酊作用、高揚感を煽るものなどを作る事が出来る。


これもデニスから教えられた事だった。

相手を眠らせておいて、情報を盗んだり、高揚感を煽り中毒性を持たせておいてから、取引材料として相手に頼みを聞いてもらったりしていた。

邪魔な人間を中毒にさせて、相手を廃人化するのは殺すよりもずっと簡単だった。


安定剤はライ自身の為に作っていたもので成分をカプセルに詰めて、ピルケースに入れ、持ち歩いていたものだった。


絹代はカプセルを見つめ、少し悩んでいた。


ライは


「少しあげるよ。中毒性はありません。大丈夫です。嘘は付きません。」


と言った。


絹代はまた少し考えてから


「じゃあ、試してみます。」


と答えた。


ライはカプセルを5錠渡して、絹代と別れた。


絹代は少しだけ不安だった。

もしも麻薬とかだったら大変な事になるのが分かっていたし、バイトの規定でも、お客様から食べ物、飲み物、クスリなどを飲むように促されても、決して摂取してはいけない事になっていた。


それでも余りに辛く、絹代はサプリを飲んでみた。


サプリの効果は確かだった。そのサプリを飲むと少しだけ気が晴れてその日は良く眠れた。


絹代はそのサプリを仕事終わりにだけ飲む事に決めて、鞄にしまった。


後日、絹代はライにサプリの分のお金を払いたい。と申し出た。

しかしライは、受け取らなかった。その代わりに、食事の時のドリンク一杯を絹代が払う事にした。


こうして二人はだんだんと親密になっていった。


絹代はライに色んな話しをした。


絹代は、ライに自分の話しをする事で、気持ちが整理されて、自分を見つめなおす事ができた。自分を知るきっかけを、ライが作ってくれたのだ。


次第にライに対して信頼感も出て来て、絹代はライと過ごす時間が楽しみになってきた。仕事が終わればライに会える。そう思うと、仕事への後ろめたさも少し払拭されて、仕事へ向かう気持ちも軽くなった。


絹代はあまり自分の事を話さないライについて【前に少し聞いた壮絶な過去を思うと、話したくないのかもしれない。聞いたら失礼なんだ…。】そう思っていた。

それでも絹代はライの事を知りたくなった。歳とか、国籍とか、趣味とか。


絹代が誰かに対してこんな事を思うのは初めてだった。


【仕事終わりだけでなくて、もっとたくさんの時間を一緒に過ごせたらいいのに。】


絹代はそんな風に感じていた。


季節は冬本番を迎えた。


二人はいつも通り、仕事終わりに食事をしていた。


絹代の表情は最初と比べて確実に豊かになった。

絹代は知らないだろうが、田山の話だと絹代は 客に一番人気があると言う。幼い顔つきに、黒く美しい髪、そして奥ゆかしい雰囲気。思い描いた日本人女性のイメージがあるのだ。


そんな現実にライは少しだけ嫉妬を覚えていた。


「ライさんって何歳ですか?ずっと日本に住んでいるんですか?」


絹代が聞いた。


「僕は今30です。日本に来たのは大体2年前。」


「え?たった2年でそんなに日本語が喋れるんですか?すごいです。」


「勉強はずっとしてたよ。日本に興味があって10歳の頃からインターネットを使って勉強してました。

ほら、難しい熟語を使うと、頭が良さそうに見えるから意識して熟語を使うんだ。日本は頭のいい人を優遇してくれるからね。」


「あぁ、そうですね。私も勉強した方がいいですね。」


「はい。知識は身を助けます。例え強盗に襲われて持ち物全てを奪われても、命さえ助かれば何とかなります。頭の中の知識まで盗まれる事はありませんから。」


「そうですね、感心します。それだけ過酷な環境で育って来たんですね。」


「あまり思い出したく無いんですが、【死】はいつも近くにありました。毎日、【僕はきっと明日死ぬ。】と思っていましたよ。」


「辛かったですか?」


「当たり前過ぎて、辛いという感覚さえありませんでした。絹代さんは死について考えた事はありますか?」


「あまり。あ、でも死体になったらなるべく早く発見されたいです。」


「何故ですか?」


「虫が苦手なんです…。例え死んでいても自分の身体に虫が沸くのを考えると耐えられません。」


絹代は顔をしかめた。


「ふふっ、なるほど。」


「でも、結婚も出産もしないとなったら孤独死の可能性がありますね。

あー、誰にも見つけてもらえなかったらいやだなぁ。」


「一人だと見つけてもらうのに時間がかかりますもんね。」


「ライさんは理想の最期ってありますか?」


「僕は誰にも見つからずに死にたいです。僕が死んだ事に誰も気づかないのが理想かもしれません。」


「いつのまにか居ないみたいな感じですか?」


「そうですね、引っ越しでもしたのかな?くらいの。」


「え…。私、ライさんがいつのまにか居なくなったら嫌です。お願いですから、急に居なくならないでください。」


「あぁ。そんな風に思ってもらって、ちょっと嬉しいです。

まぁ、僕は自殺か他殺かにもよりますが、身元がバレて身辺調査されるのがイヤなので、なるべく遺体が見つからないで欲しいですね。」


「あ!身辺調査はイヤですね。今死んだら、この仕事のことがバレてしまうと思うとイヤですね。やっぱり両親には内緒にしておきたいです。」


「身元がバレたく無いのに、遺体は発見して欲しいなんて、結構難しそうですね。」


「死に方が選べたらいいのに。」


二人はそんな話しをして別れた。


そして二人は12月15日を迎える。

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