第2章 12月16日
30年前の12月16日、早朝。
昨夜から降り出した冷たい雨はシトシトと止む気配も無く、遺体発見現場の状態を悪化させていた。
その遺体は崩れかけた小さな御堂の中から見つかった。
ひと気の無い木立の中にある、誰も管理できなくなった御堂だったのだが、ほっそりとした腕が観音開きの扉から見えているのを、ゴミ出しの為に歩いていた男性によって偶然発見されたのだった。
男性はやや興奮した口調で
「はじめ見た時、仏像の手が出てるんじゃ無いかと思ったけど、あの中が空なのは皆んな知ってたでよ。」
と言っていた。
そんなひと気の無い場所にもかかわらず発見が早かったうえに気温も低く、遺体の腐敗はそれほど進んでいなかった。
死斑は臀部と下肢に集中。
首に残された跡から
その遺体の放つ異様さは刑事歴の浅い自分にも明らかだった。
首の周りと顔にうっ血が見られる。鼻、耳より少量の流血。遺体は全裸で、両まぶたは閉じられている。歯は全て抜かれ、手の指紋に至っては十指全てが火傷していた。
子宮の中にいる胎児のように、身体は小さくうずくまるような格好で、右手は両膝を抱えていた。
左手はそのまま下に降ろされて御堂の扉から外に出ている格好だった。
一糸まとわぬその身体は皺がなく、柔らかそうな若い女のモノだった。
雨漏りの雫が皮膚を濡らし、ぬらぬらと怪しい光沢を放っている。
【キレイだ】
と思って、ハッとした。
しまった、こんな事考えてはいけない。不謹慎ではないか。
口の周りは血液なのか体液なのか、汚れているし、指先は皮膚が溶けてケロイドの状態になっている。
なのに胴体の部分だけは白く、まるで美術館にある女神の彫像のように見えたのだ。
生身の女の身体に免疫が無かったからだろうか?
「月島、お前 殺しは初めてか。痴話喧嘩にしちゃ惨いなぁ。怨恨か?まぁ、鑑識の邪魔しないで見とけよ。」
先輩の刑事がそう言いながら通り過ぎていった。
鑑識作業は実に手際よく淡々と行われた。警察学校で受けた講習の時の事を思い出したり、テレビの刑事ドラマみたいだと思っていると、やがて遺体はグレーのシートで出来た袋に入れられて担架に乗せられた。
一人の監察官が近づいて来て
「ここにサインを。遺体は検死解剖に回します。結果は後日連絡しますので。」
と、書類とボールペンを突き出して来た。
言われるがままサインをすると。監察官は形式的な礼をして、遺体と共に去って行った。
遺体が出て来た御堂の前にボーっと立っていると、先輩が
「まぁ、争った形跡も無いし、殺された場所はここじゃ無い感じだよな。どっかで殺してここに運んで来たんだろう。発見者も何も見てないって言うし、ここら辺の家は離れた所に数件だからな。一応全件聞き込みしてから署に戻って来い。」
そう言って帰ってしまった。
どうせ何も情報は出てこない。最初から分かりきっている結果なのに、事務的に聞き込みをするしか無かった。
「普段見ない車がここを通ったりしなかったか。」
「誰か人を見なかったか」
そう聞いても
「わからない。」
「知らない。」
「何も見てない。」
と言われた。
住民達は皆どんな人が殺されたのか?などと、こちらから何か聞き出そうとするばかりだった。
何の情報も得られないまま、聞き込みを終えて署に戻った。
検死解剖の結果は3日後に出た。
10代後半から30代前半の女性。
死因は頸部扼殺。
性行為の形跡は無し。
膀胱内の尿も無し。
死亡推定時刻は昨日の午後3時から12時。
胃の中から植物片が見つかった。
自分で飲んだものなのか、飲まされたのかは分からない。
見つかった植物片は、日本で食用として認可されていないものだった。
検死官によると、余りにキレイな遺体で違和感を感じる程らしい。
扼殺の場合は弛緩の為に身体が汚れる事が多く、例え服を脱がせてもここまでキレイにはならないと言う。
まるでエンゼルケアを施された遺体のようで、病院の霊安室から運ばれて来たようだと。ここまで出来るのはその専門知識を持つ人間では無いか。との話しだった。
犯人は首を締めて殺し、服を脱がせ、歯を抜き、指紋を溶かし、死体をキレイに処置してあの御堂に遺棄した。
それは確かなのに、捜査しようにも手掛かりが少ない。
家出など、捜索願いが出されている若い女性の数はあまりに多い。身体的特徴と照らし合わせても身元の特定には繋がらないだろう。
手掛かりが無い遺体は身元不明遺体として処理される。
検死解剖をし、身長と血液型を調べ、DNAのデータを取る。
遺体は火葬され、遺骨のみが保管される。
これも未解決事件になる運命なのか。
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