10・違和感

「……なんか、楽しそうですね」


 飛んでいる魔獣を近づかれる前に撃ち落として、青年は眼鏡の位置を直す。

 片や普段のへらへらした顔で、片やぎゃーぎゃーと喚きながらも確実に魔獣をなぎ倒していく二人を見ながら、ウィルはどこか他人事のように呟いた。ファルコンはファルコンで、頷きながら半ば感心した様子でメビウスを眺めている。


「少年は、すっかりスフィルの扱いを心得ているな。口だけであれを御するとは」

「ああ……。坊ちゃんの取り柄と言えば、取り柄ですかね」


 魔獣の群れの中で、軽々と巨大な得物を振り回すメビウスを見、ウィルは苦笑混じりに答えた。適当に話しているように見えて、いつの間にか主導権を握ってしまうのがメビウスという少年で、どこまで計算してやっているのかわからない。最初は天然かとも思ったが、彼のことを知っていくうちにその可能性は真っ先に否定した。成り行きに任せることも時にはあるが、基本的にメビウスは話している。どのように見極めるのかまでは知らないが、どうすれば自分主導で進められるのか、その方法を知っている。


 さらに。

 へらりと、毒気を抜いてしまう笑み。あれがくせ者だ。メビウスがいつも表情に乗せている、ちからの抜けた柔らかな笑顔。常に本心から浮かべているわけではない。が、少年の姿とも相まって、とても効果的なことを彼は知っている。


 それでいて。

 自身の心の内は、さらけ出さない。読ませない。誰に対しても、はぐらかしたままだ。あの笑顔は本心でもありながら、永いせいのなかで少年が自然に身に着けた防御本能であるのかもしれない。

 だとすれば、彼の人心掌握術は、その防御本能が一歩進化したものなのだろうとウィルは思う。「無理でもしないと生きてられない」と言ったとおり――無理の積み重ねが生み出したものなのだろう――と。

 三つ編みの少年が、見た目どおりの年数しか生きていないと思っている狼は「なるほど」と少しだけ驚いたように呟いた。


「ならば、天性のものか。いくらスフィルが御しやすい性格をしているとはいえ、あれだけ完璧に転がされると、いつも手を出してしまう我がまったく大人げなく思えてしまう」

「あれは、似た者同士だからじゃないですかね。どちらも子供なんですよ」

「ふむ。見方を変えれば、我が大人げないのではなく彼らが子供だということか。だが、あんなにいきいきとしたスフィルは久しぶりに見る。あれで結構、ヴォイドに置いて行かれたことにショックを受けていたのでな。礼を言う」

「僕に言われても。坊ちゃんも、意識してるわけじゃないでしょうし。それに、彼女もココットを……守りたいから動いているのでしょう? 礼を言われるようなことではありませんよ」


 淡々と言って、ウィルは眼鏡の奥に視線を隠した。彼は、メビウスのように柔軟ではない。どうしても、常識や歴史というものに縛られてしまう。

 だから、躊躇した。

 魔族が、人の村を守るために動いている、という事実を口にすることに。もう幾度と言葉を交わし、スフィルとファルコンの人となりを知っているにも関わらず、やはり少なからずの疑念は抱いてしまうのだ。

 それを一般論、当たり前といった簡単な言葉で片づけていいものかウィルには判断できず、口元に苦い笑いが浮かぶ。


「……ウィル?」


 ためらいがちな少女の呼びかけに、青年は苦笑を引っ込めた。警戒心はさほどなくなったとはいえ、空色の少女と二人で話をするのはどうにも苦手だった。メビウスと三人であれば、少年に対して二人で突っ込みをいれられるほどには、頑張れるのだけれど。


「なんですか?」


 ファルコンと話すよりも淡白で他人行儀だ、と自覚できる。自覚はできるが、すぐに直せるものでもない。それに、少女の前で取り繕ったところでいまさらだ、とウィルは開き直る。


「わたしは、どうしたらいい? 準備インベイションしておいたほうがいい?」


 案の定、ソラもソラで淡白だ。だがこれは、誰に対しても同じである。そもそも、ソラが平時に大きく表情を崩すところをウィルは見たことがない。


「そうですね。ソラさんに負担がかからないのなら、静かなうちに準備を整えた方が良いかもしれません」

「わかった」


 大きく息を吐いて、ソラはまぶたを閉じる。自らが取り込んだ、己の内に潜むものへと意識を傾ける。一つ増えたからか、一度消えたはずのノイズのような音が意識に働きかけていた。


 ――ちからに、吞まれるな。


 初めて接続インベイションしたときに、彼がかけてくれた言葉を思い出す。

 成れの果て、そのものになってしまったような漆黒の両手をためらわずに握って、メビウスは内なる声に飲み込まれそうになっていたソラを引き戻してくれた。成れの果てを触ったときの感覚は知っているのというのに、冷たい両手を握り、そのあたたかさをわけてくれた。

 メビウスがいるから、わたしは大丈夫。

 心が、胸の奥底がほんのりと熱を持つ感覚を、いつから覚えたのだろう。少しくすぐったいこの感覚は、嫌いじゃないとソラは思う。

 嫌いじゃない感覚と寄り添いながら、ソラはノイズに立ち向かい、幾度か唱えたちからある言葉を固い決意をもって口にした。


「……え?」


 瞬間、違和を感じる。その正体が分からぬまま、空色の少女の身体は不透明な白い光に飲み込まれて消えた。








「あらまあ、こっからが本番ってわけですかねえ」


 さきほど蹴散らした群れとは明らかに違う魔獣の姿に、メビウスはからりと言った。スフィルはすでに魔獣の中に飛び込んで、大暴れしている。


「にしても、どっから湧いてきてんだこいつら。魔界でもこんな大群滅多に見かけねーぞ」

「さてなあ。こんだけ瘴気が濃いと隙間の場所もわかんねえ。にしても、こんだけの数が一気に出てこれるほどの隙間となると――」

「――ッ!」


 ぞわっと腹の底から湧き上がる悪寒に、スフィルは一瞬動きを止めた。踵を変えようとする彼女に、メビウスは「大丈夫」と強く声をかける。


「ソラちゃんだ。気にするな」

「……ってもよ。正直、こいつらより気持ち悪いぜって、あぶねーだろが!」


 短剣に姿を変えた浄化の光を、スフィルが慌てて叩き落とす。


「おう、わりーな。手が滑った」


 しれっと言い、何事もなかったかのように得物を振るうメビウスを本気で睨みつけるが、どこ吹く風である。まったく気にしている様子はない。


「言っとくけどな、ジェネラルが魔界に持って帰りたいのがあのちからだぜ。それでも、気持ち悪いって言えんのかよ」

「あんなの持って帰って、立場良くなる気しねーな。気持ち悪いもんは気持ち悪い」

「はッ、お前、ホントにストレートだな」


 言葉だけではなく、素直に顔もしかめながらのスフィルを見、さすがのメビウスも笑うしかなかった。ここまでくるとある意味、清々しさすら感じる。


「一応、な。あれはあくまでもソラちゃんが抑えてるだけであって、ソラちゃん自体じゃねーからな。ソラちゃんなりに頑張って、あのちからを一生懸命使ってくれてるだけだからな。そこは勘違いすんじゃねーぞ」

「はいはい過保護過保護」


 投げやりに言葉を吐き出し、鬱憤を晴らすかのように眼前の魔獣に爪を叩きつける。倒しても倒しても屍を乗り越えてやってくる魔獣の群れに、メビウスは小さな違和感を覚えた。

 ――こいつら。


「ソラちゃんの……成れの果ての気配を?」


 世界の本棚の奥底で。

 機械仕掛けの時計塔の下で。

 ドクターに作られた、哀れな合成魔獣キメラも。

 お姫様に付き従っていた、双頭の魔獣オルトロスも。

 成れの果てが放つ、きもちわるいとしか形容しがたい気配を嫌がり、二の足を踏んでいた。それどころか、魔族であるスフィルですら嫌悪を感じるほどだ。単純な強さに加え、ジェネラルと繋がりがある点から推測するに、恐らくは高位の魔族であるだろう彼女が、だ。


 巨大な剣を振り、浄化の短剣を飛ばし、押し寄せる魔獣たちを斬り伏せながらも、メビウスは魔獣たちを観察する。足取りは皆、ココットのほうへ向いている。地面を走っているものも、宙を飛んでいるものもそれは変わらない。一様に目は血走り、前が見えているのかどうかすら定かではない。そもそも、さきほどスフィルと軽口を交わしたとおり、逃げ出す気配はまったくない。

 それほどまでに、ココットには魔獣を引き寄せるなにかがあるのか、それとも――。


「――ん?」


 大量に押し寄せる瘴気の奥。

 あまりに慣れ親しんだ気配が差し込んだ気がして、メビウスは手前の魔獣たちを軽く吹き飛ばすと、まだまだなだれ込んでくる銀(しろがね)を貼り付けたものたちの奥の奥へと意識を強めた。

 しかし。


「いやああああぁぁぁぁぁぁッ!!」


 前方から、あまりに可愛らしい悲鳴が聞こえ。

 メビウスの思考は、一瞬で吹っ飛んだ。

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