9・激突開始

「――これは!」


 あまりにも大量の瘴気を感じ、ルシオラは思わず呟いた。それは、現在メビウスたちがいるココットへ向かって蠢いている。外を見ると、皆気配を感じたのだろう。立ち止まってきょろきょろと辺りを見回したり、かと思えば早足で家路につくものもいたり、昼間の大通りにはざわざわと落ち着きのない行動が目立った。


 ルシオラは裏手の扉から外へ出ると、小さく詠唱をして瘴気の分析を開始する。ひとつひとつの瘴気自体は、通常の魔獣だろうと予測はついていた。しかし、なぜだか嫌な予感がもやもやと胸中に居座っている。それは奇しくも、ソラが感じた嫌な気配と同等のものだった。最果ての魔女は、魔獣の暴走をその目で見ていないにも関わらず、これはただの暴走ではないとすでに気がついている。

 その違和感を、手のひらの上に浮かんだ魔法陣によって空中に映し出された古代語の羅列を一心不乱に読み解き、解消しようとしている。否、違和感なのか、好奇心なのか、どの感情が彼女を突き動かしているのかは彼女にもわからない。どちらにせよ、ルシオラにしてはすこぶる珍しいことに、焦っているのだけは確かだった。


「……ッ!」


 うっすらと、しかし確かに感じる大量の瘴気に紛れこんだ、慣れ親しんだ感覚。いまここに在るはずがない、この世界テラリウムの気配。

 ぐしゃり、と魔法陣を握りつぶし、形の良い爪を噛む。


「……なぜ……。誰が、いや……あれを召喚など……偶然、か?」


 ぶつぶつと自問しながら、いらいらと爪を噛み続ける。すぐに答えの出ない、熟考するに値する問題は魔女の好むところではあるが、いまは時間をかける余裕がない。

 がちっと、歯と歯がぶつかった衝撃で、ルシオラは思考の渦から引き戻された。噛んでいた爪は噛み切られ、爪の色とは違う赤が指先から滲んでいる。ぷくりと膨らんだ赤が、ぽたりと地面に落ちるのをぼんやり眺めながら、解決策がに彼女は頭を悩ませる。


 そう。

 感じた気配が本物ならば。

 解決策は、一つだけ、あるのだ。

 だから、問題は――ルシオラを悩ませているのは、その先のことである。

 解決策を、彼が使うかどうか。


 ――悩むまでもない。


 メビウスは、使う選択をするだろう。否、彼の中には、他の選択肢など存在しないかもしれない。

 ふ、と紅い唇から息がもれる。考えるだけ、バカバカしい。

 結局。

 遅かれ早かれ――。

 じんじんと痺れにも似た痛みが残る指先を下におろし、壁にもたれながら最果ての魔女はくつくつと自虐的な笑い声をこぼした。








 ココット村から飛び出し、メビウスたちは全速力で平原を駆けていた。向かうのはもちろん、すでに視認できる土煙――正確には、それを生み出している魔獣の大群である。感じる気配は百など軽く超えていて、数える気すら起きない。


「なぜこんな数の魔獣が……! 坊ちゃん、本当に僕たちだけでどうにかするつもりですか!?」

「つもりじゃねえ、どうにかするんだよ!」


 吠えて、メビウスは自身の得物を素早く抜きさる。微弱な浄化のちからを纏わせる刀身は、ふわりと柔らかな光を帯びて、静かに解放のときを待っているように見えた。


「まずはこいつをぶっ放す。スフィルとファルコンは、そのときだけ下がっててくれ。あとはオレとスフィルが突っ込む。ウィルは後方支援と飛べるやつの始末。ファルコンは、ココットに展開した結界を維持してくれ」


 少年が飛ばした指示に、黒い狼は余裕の笑みを浮かべる。


「維持だけでは身体がなまる。我も後方から支援しよう」

「そりゃ助かる。ソラちゃんは――」


 狼の言葉に振り向き、背中に乗る少女と視線がぶつかった。二つ目の成れの果てを取り込んで以降、ソラは接続インベイションしていない。彼女のちからがどのように変化しているのかわからないうえ、初めて接続インベイションしたときのように暴走しないとも限らない。メビウスは素早く思考を巡らせ――強く頷くと結論を出した。


「ソラちゃんは、まずウィルと一緒にオレたちから逃げたやつを倒してほしい。自分のちからと、魔獣の行動をしっかり見極めて動いて。無茶はしなくていいけど――後ろは、任せた」


 一度、背中を預けたのだ。

 今更、彼女だけ戦わせないとは言えない。それは、ソラの覚悟を信頼していないと同義だ。

 だから。

 戦闘慣れしていない彼女に、アドバイスと共に信頼の言葉を贈る。メビウスの台詞が、ソラには意外だったのかもしれない。夜空色の瞳を軽く見開いて、ソラは「わかった」と短い決意の言葉を返した。メビウスはにまっと笑い、長い三つ編みをなびかせて右手に持った剣をぐっと握りなおす。


「エイジアシェルの名を以って、真の姿を開放する」


 小さな声で素早く詠唱を開始。同時に、右手はちからを溜めるように左側に沈む。


「全てを浄化せよ――神器・ブリュンヒルデ!」


 名前を呼ぶとともに、速力も乗せて右腕を一気に振り抜く。暴力的なまでの解放の光は、瘴気を切り裂き魔獣をも切り裂いて、いとも簡単に浄化していった。平原を凪ぐ一陣の風のごとく、それは瘴気をはらんだものだけを正確に消し去り、消えていく。光が通りすぎたあとの平原は、なにごともなかったかのように草花が揺れていた。


「……てめえ、ほんっとよくこんなもんおれにぶっ放してくれたな」


 ぼやきながらも、その瞳はすでに前を見据えている。解放の光による惨状を見ても、魔獣たちは止まる気配を見せない。押し寄せる瘴気を消し去るかのように太陽の双眸で見つめながら、メビウスはにっと口角をあげて普段と変わらぬ声音で言い放つ。


「いつでもぶっ放すぜ? 言ったろ? ソラちゃん狙ったら殺す気で行くってさ」

「はッ。過保護すぎてうぜーんだよ」

「褒め言葉、サンキュ、な!」


 感謝の言葉を口にしながら、もう一度大きく振り抜かれた右腕。巨大な刃は容易く複数の魔獣を浄化し、後ろに続く魔獣たちも剣圧で吹き飛ばした。負けじとスフィルが前へ出ながら「褒めてねえ!」と叫んで、自身の手を包み込むように作られた闇色の鋭い爪で引き裂く。その爪は、以前見たものよりも大きく、長い。両手に闇の爪を生やして魔獣の群れに突っ込んでいく様は、適当に暴れているように見えてその実、後ろの敵の位置まで考えて倒しているのがメビウスにはわかった。


「生まれて短い割にはつえーな。あ、腹減ったら食っても構わねーぜ?」


 得物を掻い潜った、しろがねを貼り付けた犬を左手で殴り飛ばし。


「食わねーよ! 倒したままで食うかッ!」


 左右から、圧し潰す勢いで同時に襲ってきた猪を瞬時に細切れにし。


「おお、意外とグルメか」


 斬り上げたブリュンヒルデからこぼれ落ちる光を短剣に変え、群れの端をすり抜けようと跳ねる角を生やした兎へと飛ばし。


「調理すんだろ、せめて焼くだろ! てめえは魔族おれたちのことなんだと思ってんだ!?」


 細切れにした反動で身体を捻り、鼠の頸椎に強烈な回し蹴りを食らわせ。


「え、魔族だろ?」


 ぎりぎりまで体躯を沈め、地面を滑るように迫りくる蛇を薙ぎ。


「あああ、話になんねー!」


 いらいらをぶつけるように、スフィルは振り上げた両手の爪を素晴らしい速さで斬り下ろした。あまりの速さに、斬り裂かれた空気が悲鳴をあげる。スフィルの直線上にいた魔獣たちが、キィン、と甲高い空気の悲鳴を耳にしたときは、もう遅い。次の瞬間には、自分の身体がばらばらと下ろされていることに気がつくがどうしようもない。そのまま、盛大に中身をぶちまけながら地に倒れることとなる。


「確かに、食欲が萎える図ですなあ」


 うわあ、と口元を押さえたメビウスをじとりと見やり、スフィルはちっと舌打ちをした。


「欠片も思ってねーだろ。なあ、思ってねーだろ」

「まーな」


 にしっといたずらっ子のような笑顔を浮かべ、無駄に胸を張るとメビウスは一度足を止めて、ぐるりと辺りを見回した。二人が蹴散らしたお陰で、のどかだった平原は散々な有様である。入り乱れているときには気付かなかったが、魔獣の残骸の中にはしろがねを貼り付けているもののほかにただの獣も混じっていた。あまりにも強い瘴気の気配に、逃げ出したのだろう。

 少し先でスフィルも立ち止まり「ああ、ホントに食欲わかねえよ」とこぼし、半眼で正面を見据えた。


「なんなんだこいつら。こんだけ派手にぶっ倒してんのに、逃げる気配が全然ねえ」

「お、気がつきましたか。さすがですなあ」

「だから、欠片も思ってねーだろ」

「いーや? 目の前でオレたちが仲間狩ってんのに、わざわざ突っ込んでくるのはおかしいだろ。動きもバラバラで、なにが起こってんのか見えてねえみたいだ。……それに」


 顔を上げ、メビウスも正面を真っ直ぐに射抜く。正確には、正面に巻き起こっている土煙を。


「まだまだいらっしゃるみたいだぜ? まったく、どーなってんだか」

「そんなこと知るか。来るんならぶっ倒す。それだけだ」

「ま、倒さねーとココットにまっしぐらだしな」

「む、村は関係ねえ! おれが暴れたいだけだ!」

「はは、ほんとにわかりやすいな、お前」

「うるせーな! おれは先に行くぞ!」


 叫んで、言葉どおり魔獣に向かって走って行ってしまう。目じりをさげたまま、本当にわかりやすい、と心の中で繰り返しメビウスもあとを追う。ジェネラルと関係があるとはいえ、こいつらと戦うようなことにはなりたくねえな、と思いながら。

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