23・作戦会議
「……は? 坊ちゃんいま、なんて言いました? 俺の聞き間違いじゃなけりゃあ、魔族はなるべく見逃せって言ったように聞こえたんですけど、もしかしてそう言いました?」
「もしかしてじゃなくてもそう言った」
ちょっとした会議にも使えるよう、広い部屋の片隅に十人ぐらいが頭を寄せあえる長テーブルが設置されている。着席するなりメビウスが口にした提案に、テオが呆れた声で反論を試みたのだった。
「もちろん、全部ってわけじゃねえ。問答無用で襲ってくるやつには応戦して構わないし、命の危険を感じる場合は逃げてもらって構わない。こっちの戦力が削がれるのも困るしな。ただ、闇雲にやりあってるだけじゃあ、魔獣となんら変わりねえだろ? 言葉を聞く意思のあるやつや、戦意を持たないやつにまで剣を向ける必要はねえって言ったんだ」
「しかしそんな提案、受け入れられますかね?」
至極もっともなテオの呟きを聞きとめ、少年は眉根を寄せる。
「ちからを振りかざして、戦う意思のないやつまで殺すのはただの虐殺だろ」
それが魔族であってもさ、と続けたメビウスに、今度はテオが眉をしかめてみせた。
「そりゃあ確かに正論ですよ。正論ですが、それは相手が人間だった場合の話です。魔族相手に通用するもんですかね」
「通用すんだろ。魔族だって生きてるんだ。死にたくねえのは、人間と同じだ」
「うーん……まあ、知性があるなら確かに、無駄死にしたいとは思わないんじゃないですかねえ」
歯切れの悪い肯定。そこで、メビウスは方向性を変える。
「……なあ。魔族って、なんで出てきたんだと思う?」
「そりゃー、人間界が欲しいからじゃないんですか」
メビウスの独り言のような問いに、テオは呆れ顔で返事をする。当たり前すぎる問いを口にした少年は、模範的すぎる答えを聞いて首をひねった。
「それは、昔の話だろ。オレが言ってんのは、
「そう言われると……」
「逆の立場だったらどうだ? 二千年も経って、昔の情報なんか役にも立たないような世界にさっさと行こうと思うかね?」
問いかけて、ぐるりと全員を見回す。テオは腕を組んで頭を捻り、ウィルは静かに状況を想像しているようだった。エリーも目を瞑って首を傾げている。ソラはきょとんとし、ぴんと来ていないのが見て取れる。唯一、変わらぬ笑みをたたえたままなのはルシオラだが、答えを口にすることはなかった。
もちろん、メビウスはその答えを知っている。しかし、答えそのものを言ってしまうわけにはいかない。まだ、ジェネラルとの繋がりは隠しておきたいのだ。
「これは、あくまでオレの推測だけど。ジェネラルと戦ったとき、あいつが言ったんだ。
「……なにもない、ですか」
ウィルの真剣な相槌に頷き、メビウスは続きを口にする。
「ああ。それでさ、思ったんだ。二千年、封印され続けた魔界は、本当にからっぽになっちまってるんじゃねえかってさ。なにもないから、魔界から逃げ出してきてるんじゃねえか? そもそも、なんで
「普通の、魔族ねえ。坊ちゃん以外、そんなこと考えもしませんわ。魔族って言ったら魔獣の親玉で、大昔人間界を乗っ取りに攻め込んできた種族、ってイメージでしょ? 怖いヤバいって考えるのが普通でしょうよ」
肩をすくめて、テオが呆れ声で話す。「そこだよ」とメビウスは返し、もう一度ぐるりと面々を見やった。
「その『イメージ』ってのが、まず大間違いなんだ。見たこともないくせに、決めつけすぎてんだよ。まあ、それについちゃああっちも同じぐらい凝り固まってるみてーだけどな」
「先日隙間から出てきた魔族は戦うのに慣れていない民間人だって、言っていましたが……。つまり、いま出てきている魔族は、そういうものたちが多いと、坊ちゃんはそう踏んでいるんですか」
「まあな。だけど、あちらさんも人間は弱いいきものだって『イメージ』を持ってるから、簡単にこちら側へ逃げ出してもからっぽの魔界に留まるよりはいい、って思うんじゃねーかな」
「はあ、『イメージ』ねえ」
そう、イメージさ、とメビウスは強く繰り返す。
「印象ってのは大事だぜ? だから、まずはそのイメージを覆す。人間は弱くねえって、教えてやるんだ」
「教えるって、どうやって」
「戦って」
「……あー、えーと、坊ちゃん? 話がよく見えないのは、俺がバカだからなんですかね?」
苦笑いを浮かべて額を押さえたテオの問いには答えず、メビウスは新緑の少女に視線を合わせた。
「エリーは、魔族に会ったか?」
よどみなく頷いたエリーに、メビウスは質問をたたみかける。
「どんな印象を持った? 命の危険を感じたか? 強くて残虐なやつらばかりだったか?」
エリーは唇に人差し指を当てて、少しだけ考え込んだ。じっと見つめる少年を正面から見つめ返し、ふるふると首を横に振る。
「エリーが会ったのは、二回だけです。お父さまぐらいの歳の男の魔族と……親子。小さな男の子を連れた、女の魔族」
「で、どうした?」
「先に、男の魔族に会いました。そいつは、人間を見下してるみたいで手当たり次第に襲ってましたから、近くにいたひとたちと一緒にやっつけました、けど……」
語尾を濁して視線を泳がす。メビウスは先を促すでもなく、ただ静かに続きが紡がれるのを待った。
エリーは一度こくりと喉を鳴らすと、視線を落として珍しく弱気なトーンで語りだす。
「……女の、魔族のほうは……。子供が、男の子が楽しそうに走り回っていて、エリーたちにも近づいてくるから、慌てて子供の前に飛び出して……」
両手を握りしめて、エリーは努めて淡々と話そうと努力していた。ひとところに落ち着かない視線や、ちからを入れすぎて爪が食い込んでいる両の拳から無理をしていることはバレバレである。が、誰もなにも言わず、新緑の少女の言葉の続きを待つ。
「エリーは、止めようとしたんです。だって、その二人は、こっちに襲いかかってきたわけじゃなかったし、そんな空気だってまったくなかったッ。だから、とにかく様子を見ようって言おうとした。だけど、飛び出した女の魔族を、一緒に魔獣討伐してたお兄さんが斬っちゃってッ」
目の前で――花開くように。
母の身体から飛び散った、鮮やかな
きょとんと見つめる、丸い瞳に女が倒れる姿が映り込む。
幼い心では、なにが起こったのかわからなかったに違いない。
だけど。
時が過ぎて、成長したら。
幼子は、なにを思うのだろう。どんな感情が、生まれるのだろう。
魔族だと言われても。
母が子を守ろうとする姿は、人間となんら変わりがなかった。
「止められなくてッ。でも、急所は外してたし、魔族も子供を抱きしめて必死で守っていたから、魔界に、隙間に落とそうって……」
止められなかったの、と呟いた声はもはや声になっていなかった。必死になって堪えていた涙をぽつぽつと落とし、エリーはしゃくりあげる。メビウスは立ち上がると、正面で泣きじゃくるエリーの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でた。
「お前のせいじゃねえさ。エリーは、頑張ったよ。それで、いいんだ。逃げるやつは無理に戦わなくていい。様子を見て、話せそうなら話すか、話が通じなさそうなら、魔界に帰る程度に脅かしてやってくれ」
帰ってもらわなきゃ意味ねーからな、とメビウスはぐるりと見回す。いまだ首を傾げるテオと、胸のつかえが取れたのか、涙を浮かべながらも少しだけ前を向いたエリー、目を瞑ったまま一言も発することがないルシオラと、眉をきゅっと寄せて不安げな表情をしたソラ。黙り込んだ四人を代表するかのように口を開いたのは、慎重に会話を聞いていた青年だった。
「それで――そんなことを言い出すからには、ちゃんとした理由があるんでしょう?」
無意識のうちに眼鏡をくいっと上げ、ウィルが探るような目つきで問う。ちゃんとしたとは失礼な、とメビウスはじとりと見上げて意思を示したが、いまは些細なことに構っているひまはない。一つ小さく息を吐き、「そりゃーな」と返した。
「一つ。いまは二千年前と違って、魔族が攻め込んできてるわけじゃない。二つ。人間は弱くねえってイメージが行き過ぎて、魔族だったら子供でも容赦しねえって思われても困る。三つ。そんなイメージがついたら、それこそ魔族だってこっちを殺す気で出てくるやつが増える。そんだけだよ」
「なるほど。多少なりとも魔族のヘイト感を減らしたい、ということか。ただでさえ、ずっと魔界に押し込められて、色々と溜まっているだろうからな」
押し黙り、一度も声を発していなかったルシオラの艶やかな声音が鮮やかに皆の耳に届く。なるほど、という言葉に反して、こめられている感情は嘲りのように聞こえ、ウィルは首を傾げる。彼女がなぜ、そんな感情を乗せて発言したのかがわからなかったからだ。
メビウスが魔女の言葉をどのように感じたかは知れないが、それによって彼が主張を変えることはなかった。それどころか、まったく意に介さずのようで、小さく肩をすくめてみせる。
「まーな。これで隙間から人間界へ行った魔族が虐殺されてるなんて物騒な噂でも流れてみろ。すーぐ二千年前と同じことになる」
口調はおどけているが、瞳はいたって真剣だ。メビウスはメビウスなりに、自分が引き起こした封印の弱体化の責任を取るつもりなのだろう。そのために、人間と魔族、両者の無駄な小競り合いと間違った認識を、どうにかして払拭したいのだ。
「だからオレは、逆の噂が流れるようにしたいんだ。人間は弱くない。でも、魔族だからって問答無用で殺しにくるわけでもねえって」
「理想論だな」
「そうさ、理想だよ。だけど、理想を目指すのは悪いことか? これで、少しでも隙間から出てくる魔族が減ったら、こっちだって楽だろ?」
不敵な笑みを浮かべてルシオラを見上げる双眸には、目覚めた日のような苛烈な感情はない。一瞬絡み合った視線はすぐにほどけ、最果ての魔女は「好きにしろ」と平淡な声音で言う。少年の真っ直ぐな視線からそらした金と銀の瞳が見すえているのは、すでに違う問題のほうだった。
「……好きにしろってことは、坊ちゃんの言うとおり――」
テオのセリフは、最後まで紡がれることはなかった。ぞわりとしたきもちのわるいものが、背筋を這いあがったような気がしたからだ。思わず、ぶるりと身体が震える。
ルシオラの見つめている方角にあるのは――時計塔。
どくんと。
空気が、胎動する。心臓を無遠慮に握られたようなあまりのおぞましさに、皆が皆瞬間動きを止めた。
「……いや……」
空色の少女が、頭を押さえてうずくまる。ただでさえ白い肌が、いっそう色を失い、小さく頭を振り続ける。それは、明らかな恐怖と拒絶を表していた。
「どうしてわたしなの? わたしは、なにも知らない。わたしは、わたしは――」
「ソラちゃん。大丈夫だ。オレがついてる。落ち着いて」
しゃがみ込み、早口で呟きながら嫌々をするように頭を振り続ける少女の手を取る。びくりと身体を震わせて、ソラはきつく閉じていたまぶたを押し上げた。ぼんやりとした夜空色の瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。大きな瞳はまだ揺れているが、少し落ち着いたようだ。
「……わたしを呼ぶ声が、聞こえたの。もう、時間がない……」
「そっか」
短く返し、ソラの様子をじっと見ていたルシオラと視線を交わす。最果ての魔女は、メビウスの意図を正確に読み取り、こくりと頷いた。
「話はここまでだ。テオは魔族との戦いについて、支部に呼びかけてくれ。オレはソラちゃんとルシオラと一緒に時計塔に向かう。エリーは、いま外で隙間の処理をしているやつらに連絡と協力を頼む」
次々と指示を飛ばし、ソラとともに立ち上がった少年に、ウィルが疑問を投げる。
「僕は、一緒に行かなくて良いんですか?」
「お前は、他にすることがあるだろ?」
にしっと笑って、ぽんっと青年の肩を叩いた。
「
「昨日、エリーから……。しかし、わざわざいまでなくとも」
「
「まさか、坊ちゃん、なにか気付いて――」
「いや、ただの勘だよ。成れの果ての気配は、魔獣でさえ怖がるだろ? だから、戦えねえレイが街を出るには、ちょうどいいんじゃねーかと思ったんだ」
ドクターと繋がっているかもしれない、などと考えたことはさすがに言えなかった。確証どころか根拠もなしにそんなこと、言えるはずもない。
「ですが、それなら。レイモンドだって、いっそう動けないのでは? 成れの果てをどうにかした後のほうが――」
「いや、生きてデア=マキナにいるなら必ず動く。レイは、それなりに瘴気に慣れてるだろ」
レイモンドの専門は、魔獣の研究である。戦えなくとも、
「あいつは魔獣に詳しい。人の目をすり抜けるより、魔獣の行動を読んで動くほうが簡単だろうぜ」
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