8・名前
ばたん!
蹴破られたかのような音とともにひらいた扉から、部屋の中に転がり込んできたのはメビウスだった。上着をひっかけた肩には、オオハシが止まっている。入口付近の椅子に座っていたウィルは、一瞬だけ手元の本から視線をはずして少年の姿を確認する。「元気ですね」という皮肉を飲み込み、ウィルが口にしたのは別の言葉だ。
「おや、お早いお帰りで」
書物から目を離さず言った言葉はどちらにせよ、皮肉であることに変わりはない。眼鏡の青年の姿を認め、メビウスは「よっ」と片手をあげた。そのまま、腰に手をあてて彼の顔を覗き込む。ウィルは「またか」と胸中でぼやいた。
「……そんなに僕の顔はご先祖様に似てますか」
「うっとうしい前髪をどーにかして眼鏡をはずせば完璧だな。性格は似てねえけど」
何回見ても起き抜けだけは慣れねえわ、とメビウスは言う。
「二千年前に見た顔がすぐ目の前にあるんだぜ? そりゃ確認したくもなるって」
「その二千年前からずっと生きている人に言われたくないですね。見た目だって僕が物心ついた頃から全然変わりませんし、こっちこそ不気味です」
それを聞き、メビウスはにやりと口角をあげた。
「こーゆーやり取りをしてると、お前だなって実感するんだよなあ。ご先祖さんは人が好さそうだからさ」
「すみませんね、性格が悪くて」
「そうそうそれそれ。だから一回確認したくなる!」
「なんですかそれは。意味がわかりませんよ」
眉根を寄せて心底迷惑そうな顔だ。対してメビウスはにこにこ顔を崩さない。自分とのやりとりになにを考えているのかはさっぱりわからないが、少なくとも少年が部屋に飛び込んできた理由はわかっているのでさっさと切り上げることにする。
「用があるのは彼女でしょう。僕なんかに構っている暇はないのでは?」
眼鏡越しの視線が、窓際へと動く。
追いかけた視線の先に、彼女はいた。
晴れた空を映した、青く輝く銀髪が目に入る。肩までの長さに見えるが、大きく開いた背中を隠すほど後ろが長い。細い手足を包む簡素な白い衣服も、大きな夜空色の瞳もあの日のままだ。
窓際の椅子に座り、はらりと長い髪が顔にかかるのも気にせずに静かな表情で外を見ていた。部屋に入ってくるなり喧々諤々とやり合ったというのに、こちらを見る気配もない。
メビウスは軽い足取りでそう広くもない部屋を横切り、少女の隣に立つ。
「なにか見える?」
腰をかがめて目を凝らすが、少年には遠くを泳ぐ数匹のワームぐらいしか見つけられなかった。首を傾げ、少女の横顔を眺める。初対面よりも若干幼く見えた。自分より少し年下だろう。十三、四、ってところかなとメビウスは見当をつける。
すると少女は椅子からつと立ち上がり、窓の下を覗いた。メビウスも一緒になって下を見る。
ぼんやりと光るなにかが、ぽつり、ぽつりとたくさんのぼってくるのが見えた。
「……きれいね」
それは、少女の声だった。
下からどんどんのぼってくる雪のような淡い光。
ほんの少しの時間で、窓の外は舞い上がる雪でいっぱいになる。大きさはさまざまだが、大きくても手のひらにのる程度のものが最大だった。一様に青白い光を発しながら、上へと浮かんでいく。
「ときどき、起きるんだ。これがなんなのかはよく知らねえんだけど」
「色んな世界の、色んないきものたちの魂。たくさん集まったらこうやって
表情を動かすことなく淡々と話す。メビウスは肩のオオハシと顔を見合わせた。
「詳しいんだね。他にも、知ってることはある?」
その問いに少女は虚を突かれたのか、初めて動揺をあらわにした。外を見ているままだが、きょろきょろと大きな瞳がせわしなく揺れる様子が窓に映っている。
「あ……。わたし、どうして……」
華奢な手を口元にあてた。早口で呟く。
「……わたしは、命の、魂の感覚を忘れちゃいけないから、これだけは
窓の外を、いまだに雪は舞っている。
「そのために、わたしはいるの。手放しちゃいけないの」
少女の独白が続く中、メビウスは「あ!」と声をあげた。少女だけではなく、ウィルも訝し気に彼を見る。
少年は、太陽の瞳を見開いて少女を凝視していた。
どうしてすぐに気づかなかったのだろう。
「君の、声だ」
――わたしを、はなさないで。
あのとき聞こえたかすかな声は、まぎれもなく。
「君の声だよ! 運命? これって運命なんじゃないの!?」
満面の笑みを浮かべて、メビウスは少女をしっかり抱きしめた。勢いに押されているのか、少女はされるがまますっかり固まってしまっている。
「……坊ちゃん」
わざとらしく咳払いをしながらウィルがたしなめた。眼鏡の奥から呆れ返った視線を送っているのがあからさまにわかる。メビウスは、しぶしぶ少女から手を離した。ぽりぽりとバツが悪そうに頭をかくと、メビウスは少女の夜空色の瞳を覗き込んで言う。
「ごめんね、いきなり。聞いてるかもしれないけど、オレはメビウス。肩のはオオハシさん」
「違うわよ、オオハシさんっていうのは坊ちゃんが勝手につけた名前でアタシには神獣不死鳥らしい由緒正しく可憐で麗しいフルネームがあるんですからね!」
「くちばしが大きいからオオハシさん。わかりやすいだろ?」
「勝手に話を進めないでちょうだい! アタシは」
「メビウスと、オオハシさん。わかった」
「あうううう……」
「それにしても、珍しいなあ。オレとオオハシさんの関係はルシオラから聞いてるとは思うけど、実際こうやって生き返った人間に会ったら大体びっくりするもんなんだけどなあ」
目をぱちくりとさせて、不思議そうな口調で言った。対して、少女は意外そうな顔で言う。
「……そうなの?」
「まあ、普通は。特に君とは
「あのとき……?」
「……覚えてないならいいや。そのほうが、精神衛生上よろしいと思う」
あのときとはもちろん、メビウスが少女をかばって身体を貫かれたときだ。はは、と苦笑いを浮かべたメビウスだったが、少女の返事は予想と違っていた。
「わたしが目を覚ましたとき、あなたの身体は致命傷を負っていたわ。でも、魂が離れる気配は感じられなかった。だからいま、メビウスがここにいることはなにも不思議じゃない」
「……君、変わってるね」
乾いた声でメビウスが言う。その声音から、この少年をもってしても少し引いたのかと思いきや。
「うーん……」
腕を組んで首を右にひねったり左にひねったり。かと思えばぶつぶつと口の中で呟いたり。
何度かそんなやりとりを繰り返しながら唐突にうなづくと、ぽん、と手を打った。
「ソラちゃん。君の名前、ソラちゃんでどうかな? 思い出すまで名前がないのも不便だろ?」
「……ソラ?」
「空から降ってきたから……っていうのは冗談で。君の髪の色が凄くきれいだから」
それに、目の色も夜空の色でしょ? と、へらりと笑って少年は言う。少女は自身の髪をひとすくいすると、しげしげと眺めた。
「そんなこと……考えたこともなかった」
「ええー、もったいないよ! そんなにきれいなのに」
「……ありがとう」
そう言って。
彼女はふわりと微笑んだ。
「ついでにもひとつもったいない。ソラちゃんは、笑うとさらに可愛い」
にまっと不敵な笑みを浮かべてメビウスは言い放つ。少女は一瞬ぽかんとしたが、もう一度大きな瞳を細めた。
「名前、ありがとう。大事にするね」
「どーいたしまして!」
「……胸張れるほどの名前じゃないと思うんですけどねー」
「なんだとオオハシさん! オオハシさんの名前のときとはわけが違うのだよ!」
「そもそもアタシにはちゃんとした名前があるのよ! 坊ちゃんが勝手に」
「さて。名前も決まったし、これで一つ解決ね。次は記憶探しかー」
耳元で喚くオオハシの無駄に長い本名を左から右へと見事に聞き流して、メビウスはソラを上から下まで眺め――裸足の白い足で視線がとまる。
「まずは、買い物しよっか。裸足だと、外に出られないよね……っと」
「……え!?」
ひょいっと少女の身体を抱き上げ、メビウスは部屋を出る。一部始終を聞いていたウィルもため息とともに本を閉じ、あとに続いた。
「ルシオラ! 街に行くから扉繋いで」
「おやおや、騒がしいな。扉を繋ぐのは容易だが、どこの街へ行くつもりだ?」
ばたばたとおりてきた一行に、ルシオラは相変わらず感情が読めない笑みを乗せた口で問う。メビウスは一瞬ソラに視線をおとしたが、彼女も首を横に振ったので返答に窮して考え込んだ。
魔女の家は外の世界に隠されているため、元の世界に行くにはあらかじめ彼女が訪れて繋いである
「……うーん……。とりあえず、ラゼルの街でいいかな。ソラちゃんを見つけた場所に近いし、知ってる人がいるかも」
少年が、先日魔獣退治を引き受けた街の名前を出すと、ルシオラは楽しそうに口角をあげた。
「それは奇遇だな。私も久しぶりに
「かけらの情報収集ですか」
「そんなところだ。ウィルにも手伝ってもらえると助かる」
「僕で役に立つのであれば」
ルシオラと二人でお仕事良かったな―、と背伸びして耳元で茶化す声は聞こえなかったことにする。
「坊ちゃん。くれぐれも、剣は忘れないでくださいよ。あと、厄介事は起こさない巻き込まれない首突っ込まない!」
「矛盾してねえか、それ」
突っ込みつつも自室に向かおうとしたメビウスの背中に、ルシオラから声がかかる。
「その少女は置いていけ。少し、話がある」
ええー、とあからさまに不服そうだったが、ソラ自身に「おろして」と言われては仕方がない。壊れ物でも扱うようにそっと床におろすと、名残惜しそうに部屋の外へ消えた。
「さて。アレは騒々しかっただろう。なにを、話した?」
「……名前を、髪の色がきれいだからって、ソラって名前を」
「単純なあいつらしい。ほかには?」
口先で笑って前髪をかきあげると、ルシオラは少女の瞳を覗き込んだ。隠れがちだった金色の右目があらわになる。金と銀、異なる光をたたえる神秘的な瞳に圧倒され、ソラは息をのんだ。
「……あ……わたしの、声だって。わたしの声が聞こえたって、言ってました。でも、わたしにはなんのことか……」
少女の答えに、最果ての魔女は納得したようだった。ふと金銀の瞳が柔らかく弧をえがく。
「メビウスは馬鹿だが、決めたことはやり遂げるやつだ。大丈夫。アレは君を守ってくれる」
とても、あたたかな微笑みだった。
長い年月を共に過ごしている少年ですら、ほぼ見た覚えがないだろう。
大丈夫、と繰り返し、ルシオラは少女の頭に優しく手を置いた。
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