せんべいのみみ

イネ

第1話

 せっかくお稲荷さんまでやって来たのに、お姉さんはお友達とのおしゃべりに夢中になってしまって、ちっとも遊んでくれません。

 しかたなく太郎は、金色の桂の木の下へ行って、この綿飴に似た香りはいったいどこからやってくるのだろうかと不思議に思いながら、秋の風をすーすー嗅いでいました。そのうちに、桂の木が細い枝をカラカラとふるわせて、丸くてピカピカの葉っぱを落としてよこしましたので、太郎は今度はそれを拾い集めて、一円、二円、と数えて遊びました。おしりのポケットが葉っぱでいっぱいになると、お姉さんに見せました。とくべつ形のいいものを選んでお姉さんは、ときどき本物のお金と交換してくれるのです。

「太郎ちゃん、おせんべ屋さんへ行ってみみを一袋、買ってもいいわよ。このお金を出して、おばあさんにちゃんと、みみください、て言うの。でなきゃキツネの子と間違えられて、鍋で似て、晩のおかずに食べられちゃう」

 そう言ってお姉さんとお友達とがはち切れんばかりの笑い声をあげましたので、太郎はすっかりおもしろくなって、一気に境内を駆け抜けて行きました。けれども用心しなくては、鳥居をくぐった先はもう辺りいちめん、真っ白い小麦粉の霧で怪しく煙っていたのです。


「おや、めずらしい。人間のお客さん」

 太郎は思わず飛びあがってしまいました。突然そんなことを言われたら誰だっておどろくでしょう。そのうえおせんべい屋のおばあさんときたら、しわくちゃの顔を窓からいきなり突き出すのですから、たまりません。

「ふん、キツネだと思ったかい」

 思いきってそんなことを言ってしまうと、おばあさんもじろりと目を細めます。

「さて、どうかしら。キツネというのはいつでも人間に化けているものですからね。ニセモノのお金を持って!」

 太郎はまた飛びあがりそうになりました。さっき拾った桂の葉っぱが、まだいくつもおしりのポケットに入っているのです。

「キツネのことならぼく知ってるよ。小麦粉をかけるとしっぽを出すんでしょう。苦しがってコンコンて鳴いて、それからとんがった耳が出るね、それから鼻ね、それから」

 するとおばあさんが両手に打ち粉をパパンとやりましたので、太郎は鼻がむずむずっとするのをようやくこらえました。その様子を横目で見ながら、おばあさんはなにやら「ふふん」と笑います。

「さぁ、それでは人間のお客さんには、みみを一袋。焼き立てのところをあげましょうね」


 せんべいを火にかけると、おばあさんは実際、魔法使いです。指先ひとつで釜の火をシューシュー巻き上げますし、十本もの鉄の焼き型を、休みなしにホイホイひっくり返すのです。ひどい老眼だって、せんべいを黒こげにしたことなど一度もありません。

「それではタヌキは来るかい」

 太郎はいよいよ声をはずませました。

「タヌキも、みみ食うだろうか」

「もちろん」

 おばあさんは大まじめに答えます。

「最初はおどろいていましたよ、せんべいにも耳があるのかね、なんて言って」

「ほーう」

 太郎は感心してうなずきました。けれども、タヌキはそのまんまタヌキのお客で、キツネは人間に化けなくてはならないというのは、不思議なものです。

「そんなら山男も来るだろうねぇ」

「来ますとも。山男はゴマせんべをいつでも百袋は注文するんです」

「ほっほーう。百袋も買うんならやっぱり山男はえらいねぇ。それで、バリンボリン、バリンボリンて、おっそろしい顔で食うんだろう」

 ちょうどそのとき、少しばかり冷たい北風が吹きましたので、太郎はほんの小さな咳をひとつ「コン」とやりました。人間の子供だって季節の変わり目にはそんな咳をひとつやひたつはするものでしょう。ところがおばあさんはそれを見逃さなかったのです。

「今のはキツネの鳴き声かい?」

 釜の火がサッと揺れ、おばあさんのよく研がれた爪がギラリと光りました。

「おやおや、しっぽだ! おまえさんのおしりにうまそうなキツネのしっぽが!」

 さぁ、大変です。すっかり油断していた太郎はそれはそれはギョッとして、思わず自分のおしりに手をやりました。

 けれども、どうでしょう。自分のおしりにキツネのしっぽだなんて、やっぱり、はえているはずがありません。ただポケットの中で、桂の葉っぱがカラカラと鳴るばかりでした。


 辺りは夢のようにぼんやりとして、おかしなことは、おばあさんがまたホイホイとせんべいをひっくり返しているのです。太郎はまるであきれて、一度に怒鳴りました。

「わー、嘘だい! ぼく人間のお客さんだよ」

 それから二人は再びにらみ合ってはみましたが、けれどももうおかしくてたまりませんでした。ふくれたせんべいのように「プッ」と吹きだすと、二人とも大笑いです。

「ほら、せんべいも焼けた。キツネをはさんで食べてしまおうかしら。ふふん」

「だめだい、だめだい。ぼくキツネでない。人間のお客さんだよ。だめだい」


 焼き型からぷっくりとはみ出して、こんがり焼けたはじっこの部分が、せんべいのみみです。おばあさんはそれをトントンと叩いて切り落とすと、小さなほうきでかき集めて茶色い油紙に包んでくれました。

「はい、人間のお客さん。みみは一袋十円です。葉っぱのお金はだめですよ」

「はい、どうぞ。本物のお金です」

 金色に輝く十円玉をていねいに渡すと、太郎はもう急いで、焼き立てのところを口いっぱいにほおばりました。その美味しさといったら、お腹だけでなく心までいっぱいにしてしまうのですから、おばあさんはやっぱりたいしたものです。

「あのねぇ、その山男はね、きっとぼくの家のおじいさんだよ。いつもこっそり買いに来るでしょう。すると夜中に、バリンボリン、バリンボリンて、おっそろしい音がね」

 太郎は満足そうに口をモガモガさせながら、しばらくおばあさんのまわりをうろちょろとやっておりましたが、ふと、何かに気を取られた様子ですばやく身構えると、もう今すぐ駆け出しそうになって言いました。

「おや、お姉さんたち、なにか歌っているようだね。それともキツネだろうか。ぼく行ってみよう。さよなら」

 そうして、ぴょん、ぴょん、と跳びはねて、またさっきの鳥居をくぐって行きます。

 その後ろ姿を最後まで見送りながら、おばあさんは受け取ったばかりの十円玉を、いたずらに陽に透かしてみたり、ちょっとこすってみたりしていましたが、しばらくするとまた「ふふん」と笑って、両手に打ち粉をパパンとやりました。そろそろ山男がやって来るに違いないのです。



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