第六章(04) お前の『叡智の書』、使えるか
ゴーレム。
何だっただろうか、それは。そうアークが首を傾げていると、カノフが叫ぶ。
「土でできたマキーナだ! 今日の任務で見ただろ! 土でできたネズミ!」
「――ゴーレム!」
あのドラゴンも、昼間に見たネズミと同じく、ゴーレムだと言うのだろうか。アークは目を見開いて、ドラゴンを見据えた。
……それにしても、ゴーレムだとは思えない。ゴーレムとは、土でできている故に、どれも粘土を適当にこねて作りましたと言わんばかりの、不細工な造形のものなのではないだろうか。
目の前にいる敵の姿は、完全にドラゴンそのものだった。
それでも正体がゴーレムであるのなら。
「どこかにあるプレートをちょっとでも傷つければ……倒せる……?」
それがゴーレムの倒し方。マキーナのように、完全に動かなくなるまで、何度も攻撃はしなくていい。プリズムのはまったプレートを少しでも傷つければ、それでいい――。
カノフが言う。
「基本的には、造形物の額にあるはずだ。引っ剥がすのはできないって聞いた。でもプレートにはプリズムを中心に文様が刻まれていて……それがエネルギー供給の仕組みらしくて、だから文様を傷つければ、全て土に戻るんだ……」
起き上がったドラゴンを、アークは睨んだ。その恐ろしい顔を、じっと見つめてみる。瞳と牙は狼のよう。鱗は一枚一枚が鎧であるかのような艶やかさが見える――。
だが、その艶やかさの中に、鈍い光が見えた。それはドラゴンの眉間に当たる部分。額といっていい部分。何か別のものがある。薄汚れて、鈍い光を反射する、小さな何かが。
「――あったぞ! やっぱり額にある! でも……」
プレートはとても小さい。この慣れない銃で狙うには、破壊力があるとはいえ、あまりにも小さすぎる的だった。
――だがやるしかない。
尾を気にしているドラゴンへ、アークは銃口を向ける。と、ドラゴンはこちらへ牙をむいて威嚇してくる。その瞬間をアークは狙った。もう一度澄んだ音が響き、紫色の流星が宙を裂く。
けれども狙いははずれてしまった。銃弾はドラゴンのどこにも当たることなく、頭上へと逸れて果てに弱まり消えていった。
「くそ……」
もっと近づいて撃つべきか。しかし翼は壊れてしまっている。うまく逃げられないかもしれない。近づきすぎるのは賢明ではない。
それでも、アークはドラゴンへと駆け出した。もう、倒すしかないのだ。ドラゴンの額にあるプレートがよく見える位置まで来ると、銃を構える。的を睨んで、外さないように、と。
その炎も、牙も、爪も、恐ろしいけれども。
だが――ドラゴンの羽ばたきの威力を、アークはまだ知らなかった。
ドラゴンはアークを睨んだかと思えば、その場に足をついたまま、翼を大きく羽ばたかせた。暴風が生まれ、アークへと襲い掛かる。
「――うわっ!」
その威力にアークは身構えた。まるで身体が吹き飛んでしまいそうなほどの激しい風。と、紫の銃が手から離れ――風に巻かれてどこかへと飛んでいく。慌てて目で追おうとするものの、振り返った瞬間に、アークは風に倒されてしまった。
ドラゴンは短く息を吸えば、白い炎を吐く。そしてもう一度羽ばたき風を生めば、白い炎は風に乗り、アークへ向かっていく――。
アークが顔を上げると、白い輝きが目前にあった。電撃を帯びているかのように、ぎらぎらと輝く炎。
しかし、その時だった。
がさりと音がして、少し離れた場所にあった茂みが揺れ、何かが飛び出した。それは宙を滑るかのようにアークをさらうと、別の茂みへと突っ込み姿を隠す。
「――ハレン! お前、無事だったのか!」
茂みに突っ込み、アークが隣を見れば、そこにはハレンがいた。
「……危ないよ」
だがハレンのその声は、いままでからは考えられないほど、弱気を帯びていて。
「……私達を探してるみたい……救助が来るまで、見つからなければいいけど」
ハレンは茂みの向こうにいるドラゴンを見据える。
「救助が来るまで見つからない保証はないぞ」
アークもハレンの隣に並び、ドラゴンを見据えた。額にあるプレートを、指さす。
「お前、翼は壊れてないんだろ? あのプレート、壊せるか? あのドラゴン、ゴーレムらしいんだ、だから……」
「うん。話は聞いてた……でも」
……その時のハレンは。
ジャケットはところどころ破け、肌にはやけどや、擦り傷も見えて。
表情は――怯えていた。華奢な身体は、震えていた。
「私、できると思えない。ゴーレムだけど……ほとんどドラゴンだよ?」
ここに来て、ハレンは弱気になっていた。
「……いや、お前ならできるさ! さっきも飛んでたじゃねぇか! ……いまの俺には、武器も翼もない、だから……!」
アークは言う。知っている。自分よりも、ハレンの方が飛行技術があり、勇気もあることを。可能性を信じられることを。
けれどもハレンは、黙ったまま、頭を横に振って。やがて。
「……ごめん」
そう言われたものだから、アークは。
――思わず、笑ってしまって。
自分よりも、ずっと優れていると思ったハレン。そんな彼女も、自分と同じだったのだ。
「……どうしたの?」
声を押し殺して笑っていると、ハレンが首を傾げた。それを見て、アークは我に返る。
「お前の『叡智の書』、使えるか? 貸せ」
「……?」
「いいから! 俺のだと壊れててうまく飛べないんだ!」
いそいそとアークが『叡智の書』を下ろし始めると、つられるようにしてハレンも『叡智の書』を下ろした。アークはそれを奪い取るようにして受け取り、背負う。そして再び茂みの向こうを見つめ、銃を探す。先程手放してしまった紫色の銃はどこにあるのだろうか。早くしないと、怪我をして動けないカノフが庭園の隅に身を潜めているのだ、ドラゴンが自分達を探すのを諦めて、そちらに行ってしまったら。
紫色は、緑の芝生のどこにも見つけられなかった。けれども――橙色は見つけられた。
自分自身の銃。紫に比べて、威力がずっと小さい銃。それでも。
――あれでやるしかない。
アークは静かに翼を広げた。銃は少し離れた場所に転がっているが翼があれば問題ない。と。
「――怖くないの?」
声をかけられ、アークが振り返れば、子供のような顔をしたハレンがいた。
怖くないのか、と聞かれれば。
「――怖くないわけじゃない。でも……いまやらなくちゃいけないから。やってみようと思うから……できないかもしれないけど、できるかもしれないから」
まるで、自分とハレンの立場が、逆転しているような気がして、アークは微笑んだ。
「――お前が、教えてくれたんだ」
そしてアークは飛び立った。
……その背を、残されたハレンはじっと見つめていた。口を固く閉ざし、握り拳を作って。
茂みから飛び出したアークは、地面と平行に飛んで、橙の銃を拾った。と、カノフへと視線を向けたドラゴンが、アークに気付いて振り返る。その恐ろしい瞳の視線を受けながらも、アークは空へと舞い上がり、銃を構えた。
狙うは額にあるプレート。それだけを狙えばいい。傷つければいい。
相手はゴーレムといっても、本物のように作られたドラゴンであるけれども。
引き金を引けば、橙色の銃弾が宙を切り裂いた。弱々しいけれども、プレートを傷つけるには十分な威力を持った夕日の色。
しかしやはり的が小さく、当てられない。その上ドラゴンも止まってはいない。首を振り、炎を吐けば、橙色はその白色に呑み込まれて消える。
「ああ、くっそ!」
炎から逃げつつ、アークは悪態を吐く。難しい。当てられない。その上身体はまだ痛む。
けれども――ちょっと失敗しただけだ。それがどうしたというのだ。
そう、一度の失敗。それが、どうしたというのだ。
――当たれ。
――当ててやる。
それでも、プレートに銃弾は届かない。もう少し近づけばもっとよく狙えるかもしれないが、炎をもろに受けてしまうかもしれない。ドラゴンの翼の羽ばたきに、吹き飛ばされるかもしれない。噛みつかれるかもしれない――。
……茂みから、ドラゴンへ向かって何かが飛び出したのは、その時だった。
ぼろぼろの翼。けれども宙で大きく羽ばたいた。そして橙色の光が尾を引いている。
「――ハレン!」
ハレンだった。壊れた『叡智の書』を無理やり動かし、ナイフを構えて飛んでいる。その金色の瞳は、しっかりとドラゴンを、そして額にあるプレートを捉えていた。
けれどもドラゴンは、飛んできたハレンを捕まえるように口を開いた。寸前のところでハレンはひらりと方向転換し、ドラゴンの噛みつきを避ける。だがハレンは、やはり壊れた翼で飛ぶのは難しいようで、突然バランスを崩したかのように地面へと落ちていく。明滅する壊れた翼。しかしまた羽ばたけば、彼女は宙に再び舞い上がった。と、アークへ振り返って。
「……もう一回、やってみる」
……翼は壊れているのに。先程は怯えていたのに。やはりハレンは。
無茶苦茶で、普通ならできないと思うことをできると思って、そして成し遂げて。
――そういう奴だった。
ハレンはドラゴンへ向かって、再び飛んでいく。だがドラゴンはすぐさま炎を吐いた。その勢いに、ハレンは煽られ、翼は明滅し、また地面へと落ちかける。ドラゴンの瞳が、炎の白い光を受けてさらに輝く。土でできているはずだが刃物のように鋭い瞳。
「――離れろ、ハレン」
いいことを思いついた――アークは宙を滑り、ドラゴンとの距離を少しだけ縮めた。
「俺が目をつついて邪魔をする、その隙に――!」
目ならばプレートよりも的が大きい。当てられるかもしれない。
宙を滑りながら、銃を構える。すると、ドラゴンがハレンからアークへと視線を移す。アークはその巨大な宝石のような瞳に向かって引き金を引いた。
橙色は、ドラゴンの瞳を潰すには、力不足だった。それでも発砲を続け、瞳をつつき続ければ、ドラゴンは目元を引くつかせ、瞬きした。炎を吐こうとしたものの、顔を伏せる。
それでもドラゴンが炎を吐けば、橙色の銃弾は全て呑み込まれて消えてしまった。チャンスだと宙を駆けていたハレンも、弱った蝶のように落ちていく。だがハレンは、
「頑張って!」
「わかってるって!」
白い炎が消えて、見つめた者を凍らせるかのような双眸と、アークは目があった。ドラゴンの瞳。映っているのは、自分の姿。背筋に冷たいものが走るが、再び銃を構える。
「どうだ? 目ェかゆいか? クソトカゲ!」
何回も、何回も引き金を引く。まるで、過去の自分を撃つように。
と、突然ドラゴンが苦痛の声を漏らして目を瞑った。そして頭を軽く振るえば、目を開ける。しかし、片目だけ。もう片目は、閉じたまま。瞼が震えれば、その下からまるで涙のように土がこぼれた。
撃ち続けたためか、当たった場所が悪かったのか。
とにかく、何が起きたのかわかった――片目を潰せたのだ。
――まだだ!
アークはもう片方の目へと、狙いを定め引き金を引いた。再び、何度も発砲を繰り返す。炎を吐かれ、銃弾がかき消されても、撃ち続ける。
諦めなかった。やると決めたのだから。
そして再びドラゴンが悲鳴を上げた。頭を振ると、ぼろぼろと土がこぼれた。
開いていたはずのもう片方の目は、閉ざされていた。
両目とも、潰せた。
「――はっ」
アークは一人、気障に笑ってしまった。
目を失ったドラゴンは頭を振った。辺りを探るように首を動かし、適当に炎を吐いてみせる。
その炎が消えた瞬間――宙でひっくり返っていたハレンが、壊れた翼を大きく動かし、矢のように飛んだ。ドラゴンの顔の前を、横切るように宙を駆ける。
そして、ドラゴンの額のプレートに、一閃の橙色が走った。
その瞬間は、まるで時が止まったようだった。
ドラゴンはぴたりと動きを止めた。あたかも、自分がものだったと気付いたかのように。
束の間の静寂。息を呑んで、アークは見つめていた。
動かなくなったドラゴンの身体から、色が抜けていく。身体の端から、ぼろぼろと土塊となって崩れていく。切られた尾の先から、翼の先から、崩れていく。胴体までたどりつけば、崩壊は首を上り始める。最後には頭が浮いていた。
その頭も崩れると、宙に残ったのは、傷つけられたプレートだけだった。埋め込まれたプリズムが、断末魔を上げるかのごとく、光り輝いている。
と、事切れたかのように光が消えた。プレートは土塊の山の頂上に落ちる。そして斜面を滑り落ちてくると、最後は緑の芝生の上に転がった。
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