第六章 向かい風に狙いを定めて
第六章(01) 想定外のこと
先へと進むと、巨大な扉があった。わずかに開いていて、中から光が漏れていた。ハレンならば間違いなく進んで行くだろう扉。アークとカノフはそっと扉を開け、中を覗いてみた。
扉の向こうには、広い空間があった。
「うわぁ……」
思わずアークは声を漏らした。そして誘われるように、中に歩み入ってしまう。
一瞬、外に出たのかと思ってしまった。それほどにそこは広く、草木が平穏を描いたように生い茂っていた。
屋内庭園だった。先程までいた青白い空間とは、がらりと雰囲気が変わった場所。
「ここは、一体……」
不思議な場所だった。芝生を踏めば柔らかく、心地がいい。宙を見れば、光の玉が蝶のように漂っていた。彩想生物だろうか。整えられた草木は見たことのないもので、輝く花と、ランプのように光を灯した実をつけた低木がいくつもあった。
「なんだ……これは」
カノフも息を呑んで辺りを見回す。
ふと、近くにあった輝く花に、アークは目を留めた。いい香りがした。と、目の前を蝶のように舞う光の玉が通っていく。まるで興味を持っているかのようにアークの周りを一周する。だからアークが手を伸ばしてみれば、じゃれるようにまとわりついて、やがて高くへ去っていく。
初めて見る、不思議なもの――続いてアークは、低木に生っていたランプのような小さな実を掴んでみた。とたんに、実の光は引っ込むかのように消えてしまった。慌ててアークが手を放すと、実は再び光り出す。
まるでここは、楽園のようだった。
――こんな場所が存在していたなんて。
深呼吸をすると、変な気分になった。それはいい意味で――ここに来られてよかったと、感じていることに気がついた。
清らかなせせらぎを耳にしつつ、アークが辺りを見回していると、棒立ちになっている背を見つけた。
「――ハレン!」
いた。感動している場合ではない。はたとアークは我に返る。
ハレンは庭園の中央に立っていた。先を見ている。呼びかけて少しして、やっと振り返った。
彼女は青ざめていた。
「人が、いた」
ハレンは、先を指さす。
「この先に行った」
指さした先には通路があり、そこは暗かった。見通せない。
人がいた。しかしそれは。
「それはマキーナだろ。さっきの奴だ……ほら帰るぞ」
アークは両手を広げた――そう帰るのだ。こんな危険な場所から、早く出るのだ。しかし。
「ううん、目が合ったの。まるでついてきてって言うみたいに……呼んでた」
先は真っ暗だった。おかしなくらいに暗かった。けれどもハレンは、そこまで言うと、何かにとりつかれたように歩き出す。
とっさにアークはハレンの腕を掴んだ――この遺跡を見つけた時のように。
「人なんていない、マキーナだって」
危険かもしれないから。あの時のようにマキーナかもしれないから。
……危険な何かがあったとして、その時に、どうにかできる自信がないから。
「頼むから、もう、危険なことはもうやめてくれ」
――先に進むハレンが何か痛い目をみたら、自分は二度と、先に進もうと思わなくなるから。
「……そろそろ帰った方がいいかもなぁ」
そう言ったのは、カノフだった。あくびをしながらやってくる。
「眠くなってきた……これ以上奥に進むのは、さすがに危ないかもしれないぞ。こればかりは、アークの言う通りだ」
少しだけ困った様子で、カノフはアークとハレンを見た。溜息を吐けば、続ける。
「先に進めばこの庭園みたいに不思議なものがあるかもしれない。でもわからないことが多すぎる。俺も知らないマキーナがいたわけだし、あれ以外にも何かいるかもしれない……見てみたい気持ちはわかるけど、リスクを考えることも必要だぞ。これ以上は止めておいて、初期探索のプロに任せるべきだ……俺達よりも腕が上で、経験豊富な奴らにな」
カノフは視線をハレンだけに向ければ、どうしようもないような笑みを浮かべる。
「ハレン、お前はちょっと勝手に動きすぎだな。技術はあるけど、経験はまだまだ……それをもっと自覚しておいたほうがいいぞ。だから橙ランクなんだから……先に進むには、経験も必要なんだ。特に、想定外のことが起きた時に対応できるために……『旅島』は未知だからな」
「想定外のこと?」
ハレンは子供のように首を傾げた。赤茶色の髪が揺れる。カノフは頷く。
「そう。危険なことがあるかもしれないって考えても……それ以上に、考えられないことが起こることもある。それに対応するには……経験が必要だ」
「でも……」
それでもハレンは後ろを向けば、真っ暗な通路を見ていた。
だがカノフは歩き出す、来た道をたどるように。
「……アーク、お前との話の続きは、帰ってからだ……帰るぞ」
そう兄に言われたものだから、アークもカノフについて行く――動かないのはハレンだけ。
「……おい、行くぞ」
アークは振り返り、催促する。その時見たハレンは、まるでおもちゃ屋の前に置き去りにされた子供のようだった。買ってくれるまでは動かないと、だだをこねる子供そのもの。
「……行きたくないの?」
その声にアークは立ち止まる――気になる気持ちはわかるが。
「何があるかわからないんだぞ。子供みたいに無闇に突っ込むのは間違ってる」
それに、とアークは庭園を見回した。
「それに――何も見つけられなかったわけじゃない。ここまでで我慢しろ、カノフの言う通り、俺達には経験がないんだから」
遺跡に入るのは怖かったけれども、進むのは嫌だったけれども。
この庭園を見つけられたのだ。それで十分だった。
「……そうかも」
やがてハレンはやっとそう答えた。溜息も吐かずに。
「……わかった、帰る。紫の銃は、確かに使いこなすのが難しかったし」
そうしてこちらへと歩き出す。だが、言うのだ。
「でも、アークはやっぱり間違ってるよ――」
――一体何が間違っているというのだ。
再びアークは苛立ちを感じる。確かに自分は、臆病かもしれないが、いまは帰るのが正しい。
――けれども。
「……お前ら、ゆっくり、先へ進むんだ」
その時だった――カノフの、ひどく抑えた声が。異常なまでに抑え、震えた声が。
「戻るな。先へ、進むんだ。ゆっくり、走らないで……」
「どうしたんだ?」
アークは兄へと視線を向ける。帰ろうと言ったのは、カノフであるのに。
カノフは剣の柄を掴みながら、通ってきた扉を見つめていた。アークとハレンに背を向けたまま、ゆっくりと後退していく。
まるで何かを警戒しているようだった。しかしアークにはわけがわからなかった。
と、カノフが振り返る。その顔は、幽霊の話が出た時以上に、血の気を失っていた。
今し方通って来た巨大な扉を見れば。
――その上に、これまた巨大なトカゲの姿があった。
鯨と張り合えるほど、巨大なトカゲの浮彫が壁にあった。
否、トカゲではない――ドラゴンだ。コウモリの翼がある。
ドラゴン――有名な『探求者』の冒険譚には必ず登場するといっていいほどの強大な存在。『旅島』に生息する生き物、彩想生物の中で、もっとも恐れられる存在。だが滅多にいない故に、幻ともいわれる存在。
それが、本物のように彫られていた。色や質感までも、再現して。
と――その彫刻が、瞼を下ろした。
息をするように瞬きをした。瞳はぎらぎらと輝き、こちらの姿を映している。
生きている。彫刻ではない――本物だ。
彩想生物で最強と言われる存在が、三人を見下ろしていた。
その瞳は、狩人の瞳。
アークは震え出す――圧倒的な力を持つ存在が、目の前にいた。
「……ドラゴン」
ハレンの声。カノフはもう、アークとハレンのいる場所まで下がってきていた。
「俺達じゃ敵う相手じゃない……逃げるんだ、ゆっくり動け。刺激するんじゃない」
カノフは静かに繰り返す。
足が動かない。それでも、逃げないと、と、アークも一歩退く。気付けば息が止まっていて苦しい。音を立てないように息を吸って、吐く。
全ての行動が制限されているかのような緊張と恐怖。見えない糸に、身体が縛られているようだ。その糸が、首をも絞めて。
「わ、私のママ……」
ハレンの震えた声が聞こえた。それはいままでのハレンからは、想像もできないような声で。
「ドラゴンが出たから援軍に呼ばれて……帰ってきたの銃だけだったの……だから、多分大丈夫……銃持ってきてるから、銃と一緒に帰れるよ……」
「いやいや逆に不吉なこと言うなよ……」
一体何を言い出すのだろう、ハレンは。恐怖でおかしくなったのか。どうしようもなくて、アークは引きつった笑みを浮かべてしまった。
それよりも、だ――紫ランクだった母親ですらも、ドラゴンに破れているなんて。
――冗談じゃない!
「想定外のことって、こういうことを言うんだね……」
言葉こそはいつも通りのハレンだが、明らかに怯えていた。
そしてドラゴンは、見逃してはくれなかった。
壁に張りついていたドラゴンは、また瞬きしたかと思えば鎌首をもたげた。それこそ、獲物を見つけた蛇のように。
一行は凍りついたように動きを止めた。するとドラゴンは低く唸って、壁から離れたかと思えば、一度羽ばたき――一行の前に、どんと着地し、吠えた。
「――飛べ! 逃げろ!」
雷鳴のような獣の声に、カノフの悲鳴にも似た声が重なった。
三人の背負った『叡智の書』から翼が現れる。地面を蹴り、先へ向かってまっすぐ滑るように逃げる。全力で翼を動かし、真っ暗な通路を目指す。
逃げなければ、殺される。
けれどもドラゴンも翼を広げれば追ってくる。その巨体からは考えられないほどの速度で、あっという間に距離を縮めていく。
カノフがちらりと振り返った――その時ドラゴンは、口を開けていた。
瞬間、カノフは険しい顔をして剣を抜いた。同時に、ドラゴンが白く輝く息を吐く。まるで電撃を帯びた炎。三人を捕らえようと、迫ってくる。
背後からの白い光に、振り返らずともアークは覚悟する――もうだめだ。
だが宙で止まったカノフが青く光る剣を振るった。白い光と青い光が衝突し、混じり合う。そして白い光は二つに分かたれた後に、散り散りになって消えていく。
しかし炎が消え去った直後だった。
ぶん、と何かが宙を薙ぎ、カノフを横へ払った。とっさにカノフは剣で受けたが、その身体は庭園ホールの端へと吹っ飛び、壁に打ちつけられる。
「カノフ!」
何が起きたのかを察してアークは叫んだ。背後では背を向けたドラゴンが、そのままカノフへと向かって飛ぶ。長い尾が揺れている――カノフはあの尾に払われたのだ。
壁に打ちつけられ、地面に落ちたカノフは、顔を歪め膝をついていた。それでも剣は握ったまま。だがそこにドラゴンがやってきて、浴びせるように、再び白い炎を吐く。
「――くそったれ……!」
カノフは膝をついたまま、剣を再び振るった。剣はまだ青く輝いていて、襲いかかってくる炎と衝突し、二色の光は拮抗する。しかし、じりじりと、白い光が青色を蝕み始める。
とっさにアークは滑るように地面に着地した。そして銃を手に取ろうとしたが。
――怖い。
ドラゴン――敵うわけのない相手。そんなものを、相手にするなんて――。
銃は、ホルスターにしまわれたまま。
――撃っても、怪我一つ負わせることもできないだろう。
カノフを助けようとしても、自分には、できないのでは――。
その時だった――アークの背後から風が吹いたのは。
輝く翼を持った人影が、炎や牙や爪を恐れず、ツバメのようにドラゴンの顔の前を飛んだ。カノフを睨んでいたドラゴンは、そちらへと視線を向ける。自然と弱まる炎。圧されていた青色が、なんとか勢いを回復していく。
ハレンだ。
うっとうしさにか、ドラゴンははたと炎を止めると、蠅のように飛び回るそれに低くうなり、頭を動かして目で追う。ハレンは青い顔をしたまま、それでも飛び回りながらアークへ叫ぶ。
「カノフを! 早くして!」
言われてアークは、翼を広げ兄の元へ急いだ。まだ震えてはいたけれども。
だがドラゴンも簡単には行かせてはくれない。アークに気付くと、鋭い鉤爪のある前足で叩き潰そうと足を持ち上げる。完璧なほどに鋭い爪が光る。
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