第四章 空に墜ちていく者達
第四章(01) 君まで行かないでくれ
あの後。
アークは仮の『叡智の書』で本部まで戻り、仲間達と共に今日の任務の成果と、発見した島について報告した。するとすぐに推定危険度調査の任務が別のネストへ手配された――『アノマリ・カル』でも『ハル・キガノン』でもなく、そもそも第七区画ネストの担当でもなかった。そのまま、その区画内であの『旅島』に関する任務は行われるのだろう。
ハレンの言う通り、自分達があの『旅島』に行くことは、もう二度とないと決まった。
全ては終わった。二つのネストは帰らされた。そしてあっという間に夜になる。空の彼方から、青みがかった黒色が世界を包む。
――今日はいろいろあったな。
深まっていく夜。アークはベッドに横になっていた。同室のエアリスはもう眠っている。カノフを見れば自身のベッドで本を読んでいた。
静かな夜だった。けれどもどうも落ち着けなかった。布団に潜るが、やはり落ち着かない。むしろ無理に眠ろうとするほど、悪化しているように感じられる。
だめだ、これは。
ついにアークは起き上がった。目に映ったのは、窓の外の夜の色。
夜風に当たりたくなった。この気持ち悪さを、拭ってもらいたかった。
「眠れないのか?」
本からカノフが顔を上げる。もう眠るつもりなのだろう、髪は解いてあった。
「……ハレンのことか? アクアリンが思い切ってくれたが、勝負、つかなかったな」
「……そのことじゃない」
そう、そのことではないのだ。
カノフが眉を顰めたものの、アークはそれ以上、何も答えなかった。
「ちょっと行ってくる」
それだけを言って、アークは部屋を出た。
『アノマリ・カル』のネスト拠点は三階建てだ。一階は主に錬星術師シュピルカの研究室になっていて、二階は食堂をはじめとした生活に欠かせない部屋、そして三階がメンバーの共同部屋となっている。アークは階段を下り、一階へと向かった。
「――もう無理なんだよ!」
二階に下りた時、食堂から声が響いてきた。それはサジトラの強気な声だった。まるで叱りつけるような。何か言い争っているかのようだ。思わずアークは足を止めた。
それ以上は何も聞こえてこなかった。だが気になって、そっと廊下から食堂を覗いてみる。
――食堂にいたのは、サジトラとシュピルカ、そして吊り包帯こそはとれたものの、未だに包帯を腕に巻いたままのピッセだった。
ピッセは怪我の治らない腕を投げ出すようにテーブルに置いて、不機嫌そうに椅子にふんぞり返っていた。
「……もう無理なんだよ。二度と動かない、そう言われたんだろう?」
彼の前に立つサジトラが、自身を落ち着かせるように、改めて口にする。
――二度と、動かない。
それはピッセの腕のことなのだろうか。
ピッセは何も答えず、サジトラとも目を合わせようとしなかった。けれども隣に立っていたシュピルカが、困り果てた末に黙って頷いた――そういえば今日、シュピルカはピッセに付き添い病院に行ったのだった。そのことをアークは思い出す。
「……引退するしかないよ」
サジトラは静かに続ける。温かな光が照らす室内で、その声は重々しかった。
「腕一本で済んだんだ。本当にひどい場合は何も残らないこともある」
何も残らない――帰ってこない。
――知っている。
それは『探求者』になった者が時たま迎える、最期だった。
――『探求者』は、楽な仕事ではない。夢に溢れた仕事ではない。
「君は腕一本だけで済んだ。でもそんな状態で『探求者』を続けさせるわけにはいかないよ……『探求者』はただでさえ危険な仕事だ……常に死と隣り合わせなんだから……」
サジトラの声が響く食堂は明るいものの、アークのいる廊下は暗かった。
――常に、死と隣り合わせ。
……世間は『探求者』の持ち帰った『彩の文明』の技術、それによる文明の発展や、また『探求者』の冒険譚、英雄譚に心をときめかせる。
けれども、その裏に多くの犠牲があることを知っている者は、どれくらいいるのだろうか。
だから戦闘能力や知識よりも、『探求者』になる際、最終的に飛行能力が重要視される。
――生き延びるために。逃げるために。
『探求者』とは――本当は恐ろしい仕事だ。
――家を出ていく父親の背を、アークは思い出した。
「もし君が『探求者』を続けるというのなら――ピッセ、僕は君を、このネストから追い出す」
サジトラは言い放った。何の躊躇いもなく。
わずかに俯き始めていたアークは、耳を疑い、顔を上げた。食堂にいるサジトラは珍しく厳しい顔をしていた。シュピルカはひどく驚いている。
ピッセだけは、まるでそう言われることを覚悟していたかのような顔をしていた。
――ピッセ。彼が怪我をする前に、何回か一緒に片付けの任務をしたことがある。まだ自分がマキーナとの戦いに慣れていない頃、剣型の『叡智の筆』を使っていとも簡単に敵を蹴散らしてくれた。それだけではなく、自分の銃の練習につきあってくれたり、同じ剣を使う『探求者』としてカノフもよく面倒を見てもらっていたりしたと聞く。
橙ランクに上がったのなら、一緒に初期探索任務に行こう、と、言ってくれた。
――ピッセが怪我をしたのは、初期探索任務中の時だった。自分はついていけなかったため、詳しくは知らない。ただ、ウィルギーから聞いた話だと「一人で先走った」のだという。
「僕からはもう、君に任務を任せられない」
きっぱりと、サジトラは彼を見据えた。突き放す、というよりも、自らに言うように。
しばらくの沈黙が流れた。
皆が息を止めているようだった。
人々の憧れである『探求者』。その夢が醒めてしまったようだった。
「――君に見切りをつけたわけじゃないんだ」
やがて深呼吸をしたのはサジトラだった。
「君を任務に出したくないんだ……それでも『探求者』を続けたいのなら、ここから出ていってもらうしかない……ピッセ、僕はね、君を任務で殺すわけにはいかないんだ」
部屋を照らすプリズムのランプは、蝋燭の灯りとは違って揺れることも、弱まることもない。
「……少し強く言い過ぎたよ。でも君を心配してのことなんだ。『探求者』は……大怪我するだけでは済まない、死ぬことだってある。足を滑らせて海に落ちて溺れるのとは、違うんだよ。自ら海に飛び込んで、深みまで潜っていく行為なんだ。それを……わかってほしい」
サジトラはピッセの前に座ると、肘をつき手を組んだ。ピッセの動かない腕を見据える。
「僕には、いまの君の気持ちがわからないけど、想像はできる……二度と動かなくなった腕。それでもまだ続けられるはずだって、きっと、僕もそう思う……でもゆっくり考えてほしいんだ。果たしてそうなのかって……この空、文明の為に死んだ者は多い。その一人にならないでくれ……美談なんかじゃないんだ……単なる犠牲の話さ」
「――わかってるさ」
そこでようやくピッセが口を開いた。その声色は、いつもと何ら変わりなく、だからこそ、聞いていて苦しくなるような声だった。だが怒りが混じり始める。
「でもお前は、いまの俺の気持ちを想像できても、それしかできないんだ」
ピッセの目つきが鋭くなる。立ち上がれば、ずるりと動かない腕が垂れる。
「もう何もできない。いっそあの時死んどけばよかったかもしれない……そう思うんだ。軽く喋るんじゃねぇ! ふざけやがって!」
怒鳴り声に、食堂の空気が震えるようだった。と。
「――何で? よくそんなことを……言えるね?」
サジトラの、抑揚のない声。彼はゆっくりと顔を上げ、ピッセを見上げる。そして。
「――そういう君は、僕の気持ちを想像しようともしてないじゃないか! だからそんなことが言えるんだろう!」
跳ねるように立ち上がれば、サジトラはばん、とテーブルを叩いた。シュピルカが怯えて身を竦める。ピッセもわずかに驚いて、目を見開いた。
ここまで怒るサジトラを、アークも初めて見た。
「ゲンビも死んだ」
サジトラの声は震えていた。
「トークラーも死んだ。ブラッチも死んだ……」
「……やめろよ」
ピッセの顔が青ざめる。けれどもサジトラは、それ以上に顔を青くさせて、続けた。
「アルレーシャも死んだ……みんな、死んだんだ」
サジトラの、テーブルについた手。その手は握り拳となり、力んで白くなる。
「――『探求者』を辞めてくれ。君まで……行かないでくれ」
大きく見開かれたサジトラの瞳は揺れていた。
ピッセは、それ以上何も言わなかった。サジトラの顔を見つめ、口を固く結んでいた。それでも、
「――俺は『探求者』としてやっていくことだけを考えていた。それがもう無理だっていうのなら……死んだのと、同じさ」
そうしてピッセは、もうサジトラやシュピルカを見ず、歩き出す。廊下へと向かってくる。
慌ててアークは物陰に身を隠した。直後に食堂からピッセが出てきて、乱暴な足取りで階段を上っていく。動かない腕は飾りのようで、手すりを掴むことなく、かんかんとぶつかっていた。その後ろ姿を、アークは呆然と見つめていた。
腕だけではなく、全てを失ったような姿だった。
――何もできなくなってしまうのだろうか。
「……サジトラ」
と、食堂からシュピルカの声がして、アークは再び扉の隙間から中を覗き見た。シュピルカに声をかけられ、はっとしたサジトラが目を擦っていた。
「あ、ああ……ごめんね、急に怒鳴っちゃって……ちょっと……いや、驚かせちゃったね」
それからサジトラは、申し訳なさそうに少し急ぎ足でキッチンへと向かって行く。
「……ごめんねシュピルカ……皿洗い、まだ終わってないだろう? 僕がやっておくよ。だから……今日はもう、休んでいいよ……」
シュピルカは何も言わずに、彼の背を見つめていた。と、サジトラが振り返り、
「……ピッセの話は、まだみんなに黙っておいて。これは、ピッセ自身が全部決めて、彼自身がみんなへ話すべきだから」
シュピルカは何か言おうとしたが、言葉を呑み込んだ。それでも、視線をサジトラからそらせば呟くように、
「ピッセは……引退するしかないの?」
「……腕を無くしても、目を失っても『探求者』を続けた者はいる。英雄になった者だって。でも全員が全員そうじゃない……これは本当にごく一部の話さ……他の者は……」
サジトラは溜息を吐けばふと窓の外を見た。夜色の静かな空。どこまでも続く濃紺。
「みんな、忘れちゃうんだと思う。身体の一部を失おうが失わないが『探求者』は危険と隣り合わせだってこと……人間は叡智を手に入れた。でも……それだけなんだよ。何でもできる、何が起きても大丈夫ってわけじゃないんだ。思い込んじゃうんだよ……特に『彩の文明』に直接触れ、手に握り、背負う僕達『探求者』はね……そうじゃないのに」
――思い込み、か。
その通り、自分達は何でもできるわけではない。翼を手に入れたからといっても、結局はただの人なのだ。そして『旅島』はまだまだ未知であり、探索は危険と隣り合わせだ。
――何でもできるわけではない。
ふつふつと悔しさがこみ上げてくるのを、アークは感じた。
何でもできるような気がしていたけれども、現実は違う。悔しさは空しさに色を変えていく。
――自分は、無力で、何もできない。
耐えられず、アークは逃げるように階段へと向かった。息苦しくて外の空気を吸いたかった。
外はあまりにも広く、自分はちっぽけだけれども。
階段を駆け下りる――その時、食堂にいたシュピルカが、ふとこちらへ振り返ったのに、アークは気付いてはいなかった。
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