第三章 追い風は冷たく
第三章(01) ネストの未来を担うであろう新入りに
洞窟にもうマキーナの姿はない。一行は翼を広げて洞窟内を飛び、入り口を目指した。
飛びながら、アークは先にいるハレンをぼんやりと見つめていた。
ひどく目に焼きついているその後ろ姿。いまなら手を伸ばせば届くし、追い越すことも容易だろう。けれどもそういう問題ではないのだ。
どうしても、自分がくだらなく思えてしまうのだ。
――俺は、どうして。
先程の巨大なマキーナとの戦闘を思い出す。もっといい方法があったのではないか、と。あの戦いの中で、自分はもっと何かできたのではないか、と
思い返せば、あの時、自分は恐怖していたのだ――けれどもハレンは自分と違った。
「――あいつ、朝に何か悪いものでも食ったのか? ずっと腹痛そーなツラしてんな」
「……『探求者』になってからかな。相当悪いもの食って、ずっと腹が痛いらしい」
そんな話を、アクアリンとカノフが後ろでしていることに、アークは気付かなかった。
先頭ではスコーパーとサジトラが話している。
「もう少し何かあれば、ネストの評価も一段階上がったかもしれないなぁ、あのマキーナを破壊したにしても」
抱えた大きな箱を見つつ、スコーパーが少し残念そうな顔をした。その箱には、回収したプリズムや遺産が入っている。
「でも僕達がいなかったら、少し厳しかったんじゃないのかい?」
いたずらっぽくサジトラが笑えば「悔しいが、その通りだな」とスコーパーも笑った。
二つのネストは出会った十字路まで戻ってきて、一度着地した。
「……じゃ、それぞれが通ってきた道をもう一度調査しつつ、プリズムを回収していこうか」
サジトラがそう言うと、スコーパーは頷き、再び翼を広げた。
「それじゃあな、最後まで気をつけろよ。後で本部で会おうぜ――」
他の『ハル・キガノン』のメンバーも翼を広げる。けれどもその時だった。
「ちょーっと待ったぁ!」
アクアリンだけが翼を広げていなかった。その声に『ハル・キガノン』も『アノマリ・カル』も驚き、アクアリンへと視線を向ける。
「なぁなぁ、みんな、この後、何にも予定ないか?」
唐突に彼は皆に尋ねた。リゲルが首を傾げる。
「何かやりたいのかい?」
「そりゃあ……面白いことを、な」
アクアリンは、それは愉快そうに笑って、視線を向けたのは、アークとハレンだった。
「……せっかくだし、新人の腕比べ、やってみねぇか?」
――新人の、腕比べ?
思わずアークはアクアリンの瞳を覗き込んだ。まるでいたずらを思いついたというような瞳。
新人の腕比べ。それはつまり――ハレンと自分の腕比べ。
「腕比べ?」
サジトラが鸚鵡返しする。アクアリンは楽しそうにうんうんと頷き、
「俺達のネストとそっちのネスト、なかなかどっちが上だか下だか、いつまで経ってもはっきりしないだろ? だから、ネストの未来を担うであろう新入りに、レースで競わせてみるのさ」
――レースで?
背筋に冷たいものが走るのを、アークは感じた。
待て。それは。
アクアリンは続ける。
「言っても、別にそれでどっちのネストが優れてるのか決めるわけじゃない。ネストの力は全体で見ないとな? ただせっかく新人が入ったんだ、面白そうだろ?」
――いや、面白くない!
またこいつと。そっとアークがハレンを見れば、ハレンもこちらを見ていた。ただし、表情を強ばらせたアークとは違い、何も変わらない様子で。
「でもシュトラ・ペギィレースでは、ハレンが一位だった。こう言ってはアークには悪いけれども、実力の差は明白だよ」
そう言ったのはリゲルだった。その言葉がアークに刺さってくるものの、確かなのだ――レースなんてする必要はない。間違いなくハレンの方が速く、技術もあるのだから。おまけに機転も利くし、全く物怖じしていなかったではないか。
全てにおいて、ハレンの方が上なのだ。
それなのにレースなんて。また負けるに、決まっている。
「でもあれから日にちが経った……もしかするとアークの方が上になってるかもしれないぞ?」
それでもアクアリンは、何が楽しいのか、続ける。
――やめてくれ。そんなことはない。ハレンは異常に速いのだ。
……それを、自分がよく知っている。
アークの顔はどんどん青ざめていく。だが誰も気付かない。サジトラはアークを見れば、
「やってみるかい? アーク」
スコーパーも突然のアクアリンの提案に少し戸惑った様子だが、ハレンを見下ろして、
「確かに面白そうではある……ハレンの実力も、改めて見ておきたいし。どうだ?」
「飛ぶの好きだし、いいよ」
ハレンは何も迷わずそう答えた。
何だ、飛ぶのが好きだからいいって――こんなにも焦っているのに、相手がそんな態度で、アークはますます焦ってしまった。
こんなレース、負けにいくようなものではないか――。
と、背後から肩を叩かれ、愕然としていたアークは前にそのまま押される。
振り向けばカノフが笑っていた。
「今度こそ勝つぜ、アーク! 行ってこい」
「――お、おう……」
――いや何で返事してるんだよ俺!
反射的な返事だった。流れで言ってしまった返事だった。
何もよくない。何も。どうして返事をした。
――視界の端で、腕を組んで深く溜息を吐くアクアリンの姿が見えた。
「でもレースってどうするの?」
そこへエアリスが尋ねる。アクアリンは笑顔を作って答える。
「考えはちゃんとあるさ……でもその前に、探索を終わらせないとな。お楽しみはその後だ!」
* * *
――ハレンともう一度レース? それもこれから、突然?
時間が経ってくるにつれ、アークは苛立ちを感じ始めていた。アクアリンは一体何を考えているのだろうか。確かに彼は、昔から気まぐれに「面白いこと」を考えては実行してきたが。
いやそれよりも、だ。
ハレンともう一度、レースをする。
――勝てるわけないだろ!
叫び出したかったが呑み込んだ。正直に言うと、逃げ出したかった。
――遺跡の外、持ち帰ってきたものを整理しつつ、調査報告書を皆でまとめていると、やがて『ハル・キガノン』がやってきた。全てが終わったら、こちらに来て合流することになっていたのだ。
それからアクアリンが、サジトラとスコーパーにルールを説明して。
そして自分とハレン以外のメンバーに何か指示を出して。
やがてアークはハレンとともに、アクアリンに連れられ丘の上にやってきた。今日の任務地である島の、一番高い丘の上だ。黄緑色の絨毯のような草地に、小さな花が風に揺れている。ウィルギーがいたが、他の仲間の姿は見あたらない。
「よーし、お前ら、よく見ろ」
アクアリンはしゃがみ込んだかと思えば、草地の上に一枚の紙を広げた。飛ばないように、自身のナイフを文鎮にする。描かれていたのは空の地図だった。手描き――たったいま描いたものなのだろう。『旅島』がいくつも描かれている。
「この地図をよーく憶えておけ。いま俺達がいるのは、ここだ。お前達には、ここから……ここまで飛んでもらう。まあ、簡単なレースだ。距離はあるけどな」
地図をよく見れば、『旅島』の一部には何か印が描かれていて、数字が添えられている。
「シュトラ・ペギィレースのように、それらしい障害物はない。だから狭いところを飛んだり、何か攻撃を避けたりする必要はない……がぁ、チェックポイントはある。この印のところに誰かしらがいるから、そいつとハイタッチしてこい、この順でな。それで、全てを順番に回って、ゴールまで来い。番号を飛ばしてのゴールは失格だ、だからしっかり地図を憶えておけ……こういう地図を憶えるのも『探求者』としては大切だ」
と、アクアリンが顔を上げ、つられてアークとハレンも顔を上げる。彼は空を見ていた。
「そして紙ばっかりじゃなく、ちゃんと空も見ろ。地図にある島が、実際はどんな島なのか目で確認しておくんだ。どれくらいの高度にあるのか、そして飛ぶ際に迂回するべきなのか、その上あるいはその下を飛ぶべきか考えるんだ。雲もよく見ておくんだ。風もだ。雲の中は進みにくいし、進路を見失う。気流の激しいところでは煽られるかもしれない……安全に、また体力も十分に残して任務地へ向かうこと。これがまずできなきゃ『探求者』は務まらない」
言われてアークがゴールのある先を見れば、大きな雲がいくつか見えた。あれは避けて通るべきだろう。また雲の流れが速い場所も見える。つまりそこは、風が強いということだ。
しかし、だからといって、のんびり飛んでいればいいわけではない。これはレースだ。
――何故『探求者』になる際に、戦闘の技術や知識ではなく、飛行技術や速度が重視されるのか。それはどんな『探求者』になるにしても、間違いなく必要になるものだからだ。そして誰の目にも見えるものでもあり、自分達の文化を象徴するものでもあり、未知の多い探索中、危険な目にあっても飛んで逃げることができる。
「――じゃ、地図はここまで」
少しして、アクアリンは地図をくるくると丸めてしまった。
「憶えたか? 憶えてないって言ってももう助けらんねぇけど」
「大丈夫……」
アークはそう答え、ハレンは無言で頷いた。
だが問題は地図ではない。勝てるかどうかだ。
――負ける未来しか見えない。
ゴールは遠いが、飛べば行けるだろう。けれどもアークは、それすらもできない気がしてきてしまっていた。もやもやする。どこかで事故を故意に起こしてレースを中断させてしまいたい。こんな負け試合。ただ自分が惨敗をまた喫するだけではないか。
「……いつまでもしょげてんじゃねーぞ」
と、囁かれる。いつの間にか背後にアクアリンがいた。
「せっかく機会作ってやったんだ、無駄にするんじゃねぇぞ、勝っても負けてもな……」
そしていまの声が幻聴であったかのように、アクアリンは声を張り上げ、手を叩く。
「大体わかったなー? それじゃあ楽な姿勢をとれ。翼は広げない、レースが始まってからだ」
――機会って言っても……。
アクアリンは、決して気まぐれにレースをさせようとしたわけではなかったのだ。
けれどもありがた迷惑だ。勝っても負けても、なんて。負けるほかないのに。
「ウィルギーの発砲でスタートだ。俺がカウントする……さて二人、いいな?」
アクアリンがウィルギーと共に距離をとる。だがアークはそちらを見ずに隣のハレンを見た。
ハレンは少しだけ、楽しそうな顔をしていた。
「3――2――1――」
カウントが響く。だがアークは、ハレンを見つめ続けていた。
……ハレンは一体何を考えているのだろうか。負けるなんて全く考えてなさそうだ。それ以前に、レースであることについても、考えてなさそうな顔だ。何も問題を抱えていないような顔。どこか、全てはうまくいくと思っているような――。
――発砲音が響いた。ガラスが割れる音にも似た音。
銃声。レースの始まり。
アークは驚いて震えてしまった。同時に隣のハレンはぱっと飛び立つ。広げた翼は光を凝縮したようで、青空に白く輝いている。あっという間に小さくなっていく背。
一歩遅れて、慌ててアークも翼を広げた。背後からアクアリンに「おいおいおいおい……嘘だろ?」と呆れられつつも、地面を蹴る――翼は宙を掴み、身体は空へと舞い上がる。
空はその色のように冷たい。大きく羽ばたいてスピードを上げる。風が頬を撫でていく。
すぐにハレンに追いついた。アークはハレンの隣に並び、追い抜く。ハレンはあっ、という顔でこちらを見ていた。だからアークはさらに羽ばたいて距離を開く。
しかしわかっている。
――こいつは後半、飛ばしてくる。
だからいま距離を開いておきたいが、体力も重要だ。翼は手足のように動かせるが、体力を使う。走り続けることができないように、翼を使ってずっと飛びつつけることもできない。そのため、後半の体力も考えて、いまできる限りの速さでアークは風を切った。
負けるとしか思えないが、こうなっては飛ぶしかない。
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