17 化粧、あるいは、魔法

 全画面表示のスクリーンが、4つの小窓ウィンドウで仕切られている。


 左右と底は細長い長方形で英語表記の文字列が連なる。

 もっとも大きくスペースをとった中央のウィンドウにはボンヤリとした薄茶と水色のグラデーションで天地が描かれ、 “姫騎士ルミナ”が直立して両腕を左右に広げたTポーズでぽつねんと立っている。


 これがゲーム製作エンジン“Vnityヴニティ”の編集画面だ。

 The Universユニバースのプレイヤーは、このアプリケーションを使うことでアバターの外見や機能を設定してゲーム内へアップロードする。


 lumina:メッくん、シェーダーどれに変えるの?

 mekusako:オススメしてもらったトゥーンシェーダーにしようと思います。


 別モニターでは、いつものチャットソフトを同時に起動している。

 ゲームやモデリングの腕ではすっかり俺を追い抜いた感のあるメッくんだが、3DCGを扱うアバター製作は覚えることが多い。

 でもって、どシロウトでもわかりやすいチュートリアルやハウトゥが一所ひとところにまとまってるわけでもないので、ノーヒントの初心者は途方に暮れることもしばしばだ。


 なので俺も超ベテラン(と言うかプロ)の夫人に教わるし、俺にアドバイスできることはメッくんに伝えている。


 mekusako:今晩は新しい見た目でログインできそうですー

 lumina:ガンバッテネ!


 メッくんにレスポンスを返しつつ、俺も自分の作業を続ける。

 作業内容はちょうど彼と同じく“シェーダー”の調整だ。


 “シェーダー”とは――俺も分かってるようでよく分かってないんだが――をプログラムしたデータのことだ。

 どんな色に見えるのか、光はどう反射してどんな影ができるのか、透き通っているのかいないのか――3Dモデルの見た目はシェーダーによって決まる。

 自作するならプログラムを書く必要があるんだけど、Vnityヴニティで使えるシェーダーは色々な所で配布されているからソレをダウンロードするだけでもOKだ。


 そして、シェーダーはThe Universeユニバースにおいてはもう一つ重要な役割を持っている。


 シェーディングはアバターやアイテムの“性能ステータス”を左右するのだ。


 ゲーム上の大まかな能力は経験値EXPの振り分けで行うのだが、ステータス画面に表示されないような細かいデータや隠し能力の類はモデルの出来できが関係している。


 たとえばVnity(ヴニティ)の標準スタンダードシェーダーはまともな環境なら見た目も性能も平均以上だが、極端に光源の配置がおかしい場所だと全身真っ黒の影絵みたいになったりするし、重力や物理法則が異常なワールドではステータスが下がることもある。


 だから俺みたいにアクションやバトルをよくやるプレイヤーは、見た目だけじゃなくて“使い勝手”にも気を配る。


 いまのはイラスト風の見た目になる“トゥーン系シェーダー”を使うことだ。

 “Vnityヴニティ標準スタンダード”みたいなリアル系シェーダーが舗装されたサーキットを走るためのF1だとすれば、トゥーンシェーダーはあらゆる地形を走破するラリーカー。


 各ワールドの環境が一定していないThe Universeユニバースにおいては、あらゆるシーンである程度の性能が発揮できる汎用性を重視した方が良いってワケだ。


「ここに色テクスチャ。で、これが……ああ、透過情報用のマスクかこれ」


 シェーダーの各項目にテクスチャ画像を適用アタッチし、スライダーを左右に動かして微妙な見た目を調整。


 設定作業が進むにつれ、データショップで買ったばかりの新衣裳コスチュームモデルがデフォルトのどこかとした感じから鮮やかに目をひくラノベ表紙のイラスト風になっていく。


 数十分間にわたりシェーダーと格闘のすえ完成したデータをアップロードしてすぐ、俺はいそいそとトラッカーを身につけHMDゴーグルを起動した。



 *



「だからさ、再挑戦する前にアバターをベストな状態に仕上げようと思ってね。いま色々と見直してるところなの」

「なるほどです。ルミナさん、いつになく張り切ってますね」


「うん。自分でもそう思う……ということで今日はプールに来てみたぞ!」


 海沿いの豪華ホテルに併設されたプールは、ワールドの入室権限も招待者限定invite onlyにしたプライベートな貸しきり状態。

 現実にやろうとしたらどれだけ金がかかるのか想像もできないが、The Universユニバースなら無料でやりたい放題だ。


「なるほどです。理屈はぜんぜんわかりません」


「理屈はとおりまァす! つまり、私たちは新しい水着を着たかった! そういうことなのでェェェす!」


 星条旗柄のきわどいビキニ姿をしたドリルばんちょうが左腕のドリルを突き上げる。

 やたらでかい乳房が上下に揺れ、俺もその動きに合わせてうなずいた。


「水中での活動データもとれるしね」

「うーん、うーん……はい、わかりました」


「メッくんは、俺たちの水着姿みるのイヤ?」


 ズイと踏み込んでバケツちゃんに近づき身を屈める。


 ルミナおれの水着はドレスと同じイメージカラーの青いセパレートタイプ。

 フリルやリボンみたいな装飾はついていないシンプルなシルエットだが、縁取りに透過テクスチャを利用した透かし模様を入れてある。

 青い着衣部分のところどころに肌色がのぞく、清楚かつセクシーな逸品だ。


「それはイヤじゃない、ですけどぉ」

「じゃあ良いよねぇ?」


 バケツちゃんをもうひと弄りしようというところで、プールから水音がした。


 浮上した人影は全身ラバー。バケツラバー氏だ。

 なんだかんだで最近はになっている。

 いでたちは普段と同じ――ではない。ラバーマスクの口部分についた呼吸パイプはシュノーケルになっているし、ラバースーツの表面もヌルテカ状態から鮫肌っぽい質感に変えてある。


「うむ、テクスチャを差し替えてみたが上々だな。水の抵抗が少なく動きやすい」

「イイっすね。俺も水の中入ろーっと。しかし、ここの水面すごいキレイだな」

「新しく配布されたシェーダーを使っていますねェ! SNSで話題になっていましたよォ!」


 助走をつけてプールサイドからジャンプ、着水すると水しぶきがあがる。

 ここのワールドは本当に水の表現にこだわっている。このテのプールは水面だけにそれらしい半透明な板を置いていたりするものなんだが。


 いったんしゃがんで水の中に頭まで入ってから立ち上がる。

 ちょうど隣でもドリルばんちょうが「ヒュー!」と高揚した感じで口笛を吹いた。



「うわぁ!? ちょっ、ルミナさん!」



 プールサイドのバケツちゃんメッくんが裏返った声をあげ、両手を顔の前でバタバタと振る。


 何をそんなに慌てて――



「透けっ、水着が! 透けてますよっっっ!?」



「なにっ」

「おぉぉ、私もですねェ!」



 自分とドリルばんちょうとを見比べる。

 メッくんの言葉通り、プールの中に入った水着が透明になって“中身”が丸見えになってしまっていた。


「こりゃ参ったなぁ」

「水着のシェーダーが水のシェーダーとがよろしくないようですねェェェ!」


 こういう不具合、というか不都合は時々あるんだ。

 

 The Universeユニバースはワールドもアバターもプレイヤーめいめいが自由に作る。

 いずれも「動くこと、それだけが条件だ」と言わんばかりの自由度なので、ワールドの仕様とアバターの仕様に齟齬があって正常に動作しないことは珍しくない。


「あとで報告して情報共有しておきまぁす!」

「二人とも、ちょっとは胸のあたり隠すとかしてくださいよ! 見た目は女の人なんだから仁王立ちのまま会話しないでー!」

「いやあ、プライベートなワールドで良かったね」


 メッくんの言葉を受け流し、プールに入ったまま話を続ける。

 

 彼を無視しているわけじゃない。

 むしろ彼をまだまだ初心者と認識しているからこそ、こうして乳を放り出したまま会話しているのだ。

 メッくんには少しでも多くバーチャル世界での“価値観”を体験してもらい、正しく道を踏み外してもらおうと考えているのさ――



「駄目だッ、この人たちッ! はやく!!」


 メッくんの使用アバターが切り替わる。

 っこくて可愛いバケツちゃんから――バケツヘルムの“肉”から作られた巨大なタコにチェンジ!


 もしやあのヌラテカとうごめく触手で俺たちをホクサイする気か?


 と思ったら、タコの口からすごい勢いで“エフェクト”が吐き出された!

 ヒョットコみたいなムカつく感じの顔文字が無数に飛び出すパーティクル粒子・エフェクトである!

 重力の影響をうけるパーティクルらしい。


 タコの口から出てきたヒョットコ顔はどんどんプールへと流れ込み、一瞬であたりを埋め尽くした。


「オアァァァ! いまちょっと処理落ちラグしましたァァァ! デンジャー!」

「良いクソアバターを作ったね、メクサコ君。クソアバターは紳士のたしなみ。わかってくれて私もうれしいよ」

「前々から思ってたけど、アンタの居るコミュニティちょっとおかしくね!?」


 優雅な佇まいでヒョットコの海を泳ぐバケツラバー氏が、不意に「おや」とコンソールを操作し始めた。


「ふむ。珍しいフレンドから招待inviteがあったな」

「もしかしてイチ抜けするつもりッスか? フレに呼ばれたー、って」

「いやいや、招待はだよ――そうだ、私が移動した先で君たちを招待しよう。ぜひとも君たちを“彼”と引き合わせてみたくなってきた」

「彼?」


 ヒョットコから辛うじて頭を出した俺が首をかしげると、バケツラバー氏はうなずきつつ人差し指を顔の横に立ててみせ。




「人呼んで“アバター仙人”。私のでね」

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