16 うたかたの今

 招待inviteを受けて移動した先は真っ黒な空間の上下面に白色の格子線グリッドが無限に広がるサイバーワールド。

 無機質ではあるが冷たくはない。俺の背後から前方むこうへ向かって星のように光る大小無数の立方体キューブがゆっくりと流れ、どこか心地良い。


 ――言うなれば“実家のような安心感”。


 ここはバーチャルタレント“めかばにあ”がいつも配信に使っている拠点homeワールドだ。


「お疲れ様デス」


 グリッドの中心に立つ銀色のドレス、桃色のロングヘア。

 メカうさ耳がぴこぴこ動き、ワールドの主めかばにあちゃんが俺をねぎらってくれた。


「ご、ご無沙汰してます……ああいや、昨日も配信見たばかりだけど」


 周りには俺以外プレイヤーはいない。

 ここに居るのは俺とばにちゃんだけってことだ。


 理由を問おうとしたタイミングで、ばにちゃんが口を開いた。


「遺伝子」


 いきなりDNAどうして。


 訓練された動画視聴者にんじんさんでもある俺は0.5秒考えていつもの“言い間違え”だと気付いた。

 めかばにあちゃんはオペレーターの声をいったん音声認識で文字に変換し、それを読み上げソフトに通すことで発話する。

 このシステムを使うと、ときどき音声を誤認識して脈絡のない単語を口走ってしまうのだ。


 ばにちゃんはリアルタイムの配信だとしばしば言い間違えをするので俺たち視聴者は文脈から言いたいことを推察するのに慣れている。


「――えっと、“リベンジ”?」


「そうです、そうです。リベンジするんでショウ?」


 胸の前で手を合わせてうなずくばにちゃん。かわいい。


「さっきの戦闘観ててくれてたんですね。ああ、だから、って」


 観ててくれたんだ。

 いつも観る側の俺を彼女が観ていてくれた。

 その事実は単純に嬉しいが、同時に負け戦を見られた恥ずかしさもある。


「リベンジ。はい、やります。次はきっちり対策して再チャレンジするつもりです」


「そう来なくてはね。だって素晴らしいルミナさんですもの」


 聴き慣れた声が不意に背中の方から飛んできて、びっくり声が出そうになった。

 ワールドの開始スポーン地点に突き立つ声の主へ駆け寄る。


「夫人も呼ばれてたんですね」

「ええ。ルミナさんがワールドを移動した直後にね」


 話しながらセイバー夫人を手に取り、定位置せなかにマウントする。

 ばにちゃんと二人きりだと思い込んでいたので一瞬残念に思うが、夫人の声をきいたら不思議と緊張がほぐれていくのを感じてもいた。


「お二人が揃ったところで、さっそく。さっそくデスね、ルミナさんの特訓を始めまショウ」

「よろしくてよ。善は急げね」


 二人の口ぶりからして、特訓の対象はどうやら俺ひとりらしい。

「ですよねー」と心の中で返事をする俺に、ばにちゃんが大きめの懐中電灯のようなアイテムを2本持たせてきた。


 コントローラのトリガーを引くと、軽い振動と共に懐中電灯もといから左右で色が違う光の刃が伸びた。


 左は青、右は赤のだ。


 ばにちゃんは光剣と引き換えに俺の背中から夫人を受け取り、とててて……とワールドの端へ向かう。

 彼女が宙に浮かぶ白い立方体キューブに触れると、学校の黒板くらいの大きさをしたコンソールパネルが現れた。


 ばにちゃんが指先から出したレーザーでコンソールをスルスル操作し、手慣れた感じで次々と何らかの項目を“設定”していく。

 最後に並んだ項目は“EASY NORMAL HARD EXPERT”――十中八九、の設定だ。

 彼女は欄を更に右へスクロールさせて、出てきた“INFERNO”の文字をためらいなく選択した。



 視界に“START”と表示され、空間ワールドに漂うキューブの流れが変化。

 いままで奥へ向かってゆっくり流れていたのが、俺の方へ向かう早いものになり。


 真っ黒な空間の向こう側から、スイカサイズの立方体キューブがいくつも飛んできた。


 向かってくる赤や青のキューブ群、そして俺の手には赤と青の光剣。


「そういう、こと、ねっ!」


 俺は右手を振るい、赤いキューブを赤の光剣で斬りつける。

 コントローラに振動てごたえがあり、キューブは真っ二つになったあと空間から消滅した。


 続いて青いキューブが接近、左手の青い光剣を斬り上げて両断!


 休む間もなくどんどん押し寄せる二色のキューブ群を、対応した色の光剣で文字通り“捌いて”ゆく。


 おお、これは楽しい――と思ったのも束の間、キューブの数が馬鹿みたいに多くなり飛んでくるスピードも加速した。


「っちょ、早! 早い、早い!」


 押し寄せる二色のシカク!

 ひとつ斬り損ねるたびにBOO! と警告音が鳴り、黒い空間が赤く明滅する。


 キューブの軌道は変則的で、左右の光剣をまったく別のリズムで振らされたり、上下左右にクロスさせられたり。


「ルールはわかったよね?  死ぬがよい」と言わんばかりの過激難易度だ。


 必死で食い下がっていると、たまに斬れないメタルキューブとか、斬るが指定されてる矢印マークつきキューブなんかも混じってきた。


 どんどん頭の中がパニックになり、赤いキューブを何度も青い光剣で斬りつけてミスしまくる。

 こういうのって、いったんリズムが崩れるともうダメだ。


 そうこうしているうちにミスの回数が規定値に達し、視界にあえなく“GAME OVER”の文字列がポップアップした。


「惜しかった、惜しかったデスね」


「し、初見、でしたから。次はクリア、できるかなっ、て!」


 はずむ呼吸をおさえながら返事をする。

 たぶん数分しかプレイしてなかったと思うが、夢中で両腕を振り回し続けていたのでかなり疲れた。


「疲れましたカ」


 ばにちゃんが何気なく俺の肩に触れる。



 ――推しに触れられたその時、俺の中に潜在ひそ感覚センスに電撃がはしった!


「はぅ」


 そして声に出てしまった!


 首を傾げるばにちゃん。

 顔はいつもの微笑み浮かべた基本表情デフォルトフェイスだが、俺には少し驚いているように見えた。


「ああ、その、すみません。俺、なんでかばにちゃんに“触られ”るとリアルでも触られてる感じがしちゃうんです。ファントムセンス、っていうらしいんですけど」


「ファントムセンス」


 俺の言葉を繰り返してから、めかばにあちゃんは表情を笑顔に変えて頷いた。


「なるほド、なるほド」


 輝く笑顔のままインベントリを操作。頭上の空間が波紋をうかべて歪み、ずるりと出てきたのは一振りの木刀だ。


「それナラ、私に殴られたら本当に痛いかもしれませンネ」


 木刀を八相に構えたばにちゃんが何やら不穏なことを口走る。


 次の瞬間、手加減のない速度で木刀が振るわれた。

 とっさに飛び退くルミナおれの鼻先を木刀の切っ先がかすめたのがわかった。


「痛ければ必死、必死になります。そうすレバもっと力を出せるカモ」


 エヴォリューションサイボーグならではの飛躍的論理に基づいた容赦のない木刀・フルスイング!


 ブラウザの動画プレイヤーごしでさえ動きに存在感オーラを感じるバーチャルタレントめかばにあの剣筋は、こうして対峙すると想像以上の実感リアルをもって迫ってくる。


 正面、袈裟懸け、薙ぎ、突き、切り上げと立て続けに繰り出される攻撃。

 ただかわすだけでは間に合わず、両手の光剣で弾いて受け流す。


「橋本」


 ばにちゃんが唐突に知らない人の名前を呟く。


「足元、お留守デス」


 俺が言い間違えに気付いた刹那、下段を狙った突きが飛ぶ。

 飛び退いた俺に対し木刀の切っ先が真上に軌道を変えた。


 左右の光剣を交差させて受け止める。

 刀身が絡み合い、赤と青の剣が明後日の方向へ弾き飛ばされた。


 丸腰になった俺に追撃の正面打ち!


「なんとぉッ!」


 頭上に衝突あたり判定付きの魔法エフェクトを展開して木刀を止める!

 エフェクトが破壊されるまでのコンマ数秒だけ時間を稼ぎ、フィールドに突き立っていたセイバー夫人を手に取る。


 めかばにあの木刀二撃目!

 俺は夫人を横一文字に構えて受け止める!


 大剣ふじんを持つ両手コントローラがジリジリ震える。

 めかばにあちゃんと俺――というか夫人の力は拮抗していた。


「木刀の周りにフォースフィールドを展開していたのね。わたくしができるなんて素晴らしいわ。尋常なやり込みでは、ここまでの強度を持たせられないはずだもの」


 彼女を褒める夫人の声は相変わらず落ち着き払っている。


 ニコリとうなずいて、めかばにあちゃんは木刀を引いた。



 *



「ふぅ」


 バーチャル空間からログアウト。

 見慣れた自室にきて一息つく。


 あれから二時間、みっちり特訓してもらった。

 夢のような体験だったが、お陰で部屋着のTシャツもHMDゴーグルのフェイスクッションも汗でぐっしょりだ。





 ――シャワーを浴びたところで初めて、俺は自分の腕や脚に何ヵ所かうっすらとができていることに気が付いた。

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