11 わかっちゃいるけど、やめられない

 宇宙空間に浮かぶ多面ダイスのような基地。

 内壁に発光するラインで示された順路を歩く。


 台座に固定された光子バズーカを手に取ると、砲身が展開して二倍ほどの長さになった。


「おぉー」


 小さな声でリアクション。(見つからない)


 次のブースでは空中に浮かんだキューブが音楽に合わせてにぎやかに変形している。(見つからない)


 盾と光剣を構えてポーズをとる巨大ロボットを見上げる。

 周囲をせわしなく飛び回る整備用ドローンをなんとなく目で追う。



 そのとき、



「あ……れは」


 その“姿”へ向かって俺は駆け出す。

 コントローラのレバーを前へ倒しているだけなのに、全力疾走しているみたいに胸が高鳴る。


 じゅうぶん距離が近づいて、HMDゴーグルの解像度でもはっきりとネーム表示が読めるようになる。


 間違い、ない。



「――“めかばにあ”さんですよねっ!?」



 まっすぐなラインでデザインされた銀色のドレスがひるがえり、少し遅れて桃色のロングヘアがなびき。

 振り向いた彼女――バーチャルタレント“めかばにあ”は、頭のメカうさ耳をぴこぴこ動かしながら微笑んだ。


「ハイ。めかばにあデスよ」


 ワンテンポ遅れた返事は、独特な抑揚の少ないイントネーション。

 オペレーターの音声をいったんテキストに変換したあと音声ソフトを通して出力しているのだ。


 本物だ。本物のめかばにあちゃん……“生”で見るのは初めてだ。



「あ、あのっ、あの! 俺いつも動画みてて――その――!」


 言葉につまる俺を、憧れのヒトは眼の前に立ったままじっと待ってくれている。


「――――大ファンなんですっ!」


 たったこれだけの言葉を、俺は全力で胸から引っこ抜くようにして取り出した。


「ありがとう、アリガトウございます」


 ファンですって言って、ありがとうって言われる。

 なんてことないやりとり。それだけで精一杯。


 彼女について話すときはいつも言葉があふれて止まらなくなるのに、本人を目の前にしたら頭の中が真っ白に塗りつぶされてしまった。



 もっと何かを喋ろうとして「あの」だの「えっと」だの並べているうちに、HMDゴーグルのフェイスクッションがかすかに湿っていることに気がつく。



 泣いてるわ俺。



 コントローラで表情を切り替えたアバタールミナは満面の笑みだけど、俺の震える声とか鼻をすする音なんかはぜったい彼女にきこえてしまっているだろう。


 めかばにあちゃんがいつも動画で見るそのままの仕草で俺へ歩み寄る。

 お互いの胸がくっつくほど近づいて、彼女の白い両手がそっとのびてきた。


 ひと、ひと、ひと、と、彼女の手がルミナおれの触れる。


 ――俺が使っているVRデバイスには触覚をフィードバックする機能なんてない。

 それでも、俺はたしかに。

 優しく頬を撫でてくれる指先の温もりを、たしかにのだ。


 *


 現在時刻は深夜2:30。

 めかばにあちゃんもそろそろログアウトするところだったみたいで、俺はフレンド登録をしてもらって彼女と別れた。

 憧れのバーチャルタレントとじかに会ってフレンドになれるのもThe Universこのゲームの良いところだ。


「うーん、やっぱりさっき、本当に触られてる感じがしたな」


 再び独りになってから、今しがたの“感触”を思い出して呟く。

 心の温もりがどうとかじゃなくて(勿論それもあったんだけどさ)、あの時は頬になにかが触れるのがわかったのだ。



「それは“ファントムセンス”というものだよ」


 声がした方を向く。

 会場をのしのし歩くNPCの六脚メカ――の上に声の主が腰かけていた。


 大きな白い布を巻き付けたひらひらの服。長い緑の髪に白い肌。ギリシャの彫刻にありそうな“女神さま”風。

 糸みたいに細い目が常に微笑んでいるように見える。


「ごめんね。つい立ち聞きしてしまった」

「いえ、まあここパブリック設定ですし、俺の方こそ見苦しいところを」


 女神――紫色の枠に“jupit”と名前が表示されている――は六脚メカから飛び降りて俺の前に立ち、ゆっくりと首を横に振った。


「見苦しくなんてないさ。素晴らしいよ」


 穏やかで落ち着いた男性の声だ。

 この声でこんな風に無条件に肯定されると納得せざるをえない。


「ルミナくん。いま体験した“ファントムセンス”は、君がこのゲームに全力でのめりこんだ勲章のようなものだよ。と呼んでもいい。よくやったね」


 めちゃくちゃ褒めてくるなこの人。気を抜いたら抱かれそう。


「そのファントムセンスって何ですか?」

幻肢痛ファントムペインという言葉を聞いたことは? ああ、その通り。身体の一部を欠損した人があるはずのない喪った手足に痛みを感じる症状だ。VRゲームのプレイヤーはしばしばこれに似た経験をする。つまり、ゲーム上に存在しないはずの触覚や嗅覚、味覚を感じる。ゆえに私たちはこれを幻肢痛ファントムペインにならいと呼んでいるのさ」

ユピトjupitさん、もしかしてそのテの研究者なんですか」

「ん――そうだね。研究者と呼んでもらっても差し支えないかもだ」


「すごい……なあ。The Universここに居る人ってすごい人ばっかりだ」


 なにげなく漏らした声に、ユピトさんは軽く首を傾げて続きを促してきた。


 俺は少し躊躇した。

 いま思っていることは、初めて会った人に語って聞かせるにはいかにも個人的な……“見苦しい思い”だったからだ。


 だけどこの女神さまならきっと、ただうなずいて聞いてくれる。

 そんな風にも感じていたから、俺は口を開くことにした。


「俺、The Universユニバースはもう一年ちょっとプレイしてて。フレンドもたくさんできたし、毎日楽しいんです。だけど――さいきん思うんですよ。俺はこのゲームを遊んでるだけなんだよな、って」

「遊んでいるだけ?」

「はい。周りのフレンドは3Dモデルを販売したり、動画を配信したり、色々やってます。元々プログラムやモデリングをやっていた人もいるし、The Universユニバースがきっかけでそういうのを始めて数カ月でものすごいモノをつくってくる人もいる。だけど」

「自分はそうじゃない、かい?」

「……このアバターは自分でカスタマイズしたものだし、俺だって何もやってないわけじゃない。それは頭で理解してるんです、けど、どうしても」


 ユピトさんは俺の思った通りに、黙ってうなずいてくれて。



って時々思っちゃうんです」



 女神様はもう一度深くうなずいた。

 深く息を吸って吐く音が、向こうのマイクを通してかすかに聴こえてきた。


「“すごい”という言葉は残酷だよね。はっきり言って、そこに君自身の努力や思いは直結しない。君がすごいかどうかは、周りの人々が決めることだ」


 穏やかな声音が、重みをもって俺に響く。


「君の友人に問えば、おそらく“君だってすごいよ”と返ってくる。だけど、それは君が欲している“すごい”ではないだろう? 不特定多数の人々はたいてい君に見向きもしない」

「その通り、です」

「だと思った。きっと君は、いつかの私と同じだ」


 うつむいていた顔をあげた俺に、女神は細い目を少し弓なりにして微笑んだ。


「私からのアドバイスを聞いてくれるかな。君がすべき努力は“意志を持つこと”だ」

「意志を持つ?」

「君はさっき、毎日楽しいと言った。もっと能動的に、意志を持って“楽しむ”んだ」


 言葉を反芻する間に、ユピトさんは続ける。


「楽しいかどうかは自分自身で決められる、いや、決めるべき事柄だ。口で言うのは簡単だけど、本気で楽しむのはエネルギーを使う。そしてエネルギーを使うだけの価値がある」


 深く響く女神かれの声は、俺の背中をぐっと支えてくれた。


 心強く支えてくれるが、後押しはしない。「前へ進めるのは君自身だ」と言われているように感じた。


、ですね。ユピトさんのアドバイス、きちんと理解できてるかは自信ないですけど――俺、やってみます」


 ありがとうございます、と頭を下げる俺にユピトさんは苦笑した。


「大げさになってしまったね。偉そうに話してしまったけど、実は今のは私の――ええと、日本語で言うと、そうだ。“師匠シショウ”の受け売りなんだ」

「師匠ですか」

師匠シショウって親に近いニュアンスもあるんだろう? 恥ずかしいが親離れできているとは言えなくてね。今回のバーチャルフェスティバルでも助けを求めてしまった。Vフェス準備委員会と開発チームとの連携を技術的に橋渡ししてもらっているよ」


「我々? 開発チーム、って……?」



「決まっているだろう? The Universの開発チームさ」



 ――――その後どんなやりとりをしたのかは、よく覚えていない。


 確かなのは、ユピトさんの“正体”に気付いた瞬間になんか変な声が出たことと、気付いたら夜が明けていたことだ。


 驚きと疲労が重なった結果か、俺はHMDゴーグルをつけてログインしたまま自室homeで眠ってしまっていたのだ。

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