海が太陽のきらり

新巻へもん

第1話 物騒な彼女

 世の中には自分より上の人間なんて腐るほどいる。その事実に16歳で気づくことができたのは幸せなのか、不幸なのか。それも人それぞれなのだろう。僕はそれをこの世の終わりと受け取った。


 中学のときは村で一番の秀才。いままで僕ほど頭がいい子供はいないと持て囃され、神童という声もあがった。同じ年代の子供たちが真っ黒になって遊ぶ中、受験勉強をして、本土の有名私立高校に入学が決まる。この時が僕の得意の絶頂だったと思う。


 新しい生活を始めるために船に乗る。島の岸壁から船が離れるときには集落中の人が総出で送り出してくれた。前途に輝かしい未来が待っていることを確信して、目に入るものすべてが輝いている。だが、それも高校の中間試験の結果が出るまでの事。270人中253位。それが僕の順位だった。


 高校1年生のときは挽回しようと必死になって勉強した。その年は島に帰らなかった。いや、帰れなかった。寝る間も惜しんで机に向かう。それでも100番を切ることすらままならない。周囲も同じように目を血走らせているのだったなら、納得もできたかもしれない。


 だが、同級生はそんなそぶりは見せなかった。どこで出会うのか素敵な彼女を連れて青春を謳歌している。毎日机に張り付くだけの日々を送る僕と彼らとの違いを見せつけられ、失意はやがて体の変調をもたらすようになった。2年生の1学期の期末テストの結果を受け取った僕は声にならない呪いの言葉を吐きながら意識を失う。そして、療養のために半ば強制的に実家に帰らされた。


 実家に帰った僕は1年ちょっとぶりに嗅いだ家の匂いに張り詰めていたものが緩むのを感じる。両親も依然と変わらず接してくれた。だが、それだけのこと。負け犬。自分のことをそう思い詰める僕の心はジリジリと我が身を焼くだけだった。


 田舎というのは人づきあいが濃い。僕が帰ってきた翌日には誰かしらが家にやって来る。次々とやってきた中学のときの同級生たちと話をするのが苦痛だった。誰もが僕の蹉跌を知っており、それでいて屈託のない笑顔を僕に向ける。その笑顔の裏で僕を憐れみ、馬鹿にしている。そう思い込んだ僕は自転車で家を飛び出した。


 行く当てもなく自転車を走らせると実家のある集落があるのとは反対側の海岸に出た。島にいくつかある集落のいずれからも離れたその場所は人気が無く、ホッとすることができる。今は誰の顔も見たくない。自転車を木陰に止めた。意味もなくゆっくりと岩場に登って行く。道からも死角になって世界にただ一人になった気がした。


 先端まで行くと5メートルほど下に水面が見える。泳ぎが得意ではない僕は身震いして後ずさった。そこへ鋭い声がかかる。

「おにーさん、こんなところで何をしてるのかな?」

 振り返るとウェットスーツに身を包んだ自分と同年代と思える人物が立っていた。全身から水が滴っている。


 良く日焼けしており、目つきが険しい。ハスキーボイスのため、一瞬男性かと思ったがどうやら女性らしかった。

「黙ってないで、答えてよ」

 僕は一人きりの時間を邪魔された不愉快さと突然の出来事に驚いたことで黙ったままでいる。


「ひょっとして、女だからと思ってナメてるのかな? 都会のモヤシっ子には負けないと思うけど?」

 確かに手足は細いし肌も焼けてないけど、初対面でモヤシというのはどうなのだろう?

「別にそんな……」

「あ、口はきけるんだね。それで、ここで何をしてるの? どうせ誰かに余計な事を吹き込まれて小銭稼ぎをするつもりだったんでしょ?」


 僕はだんだんと腹が立ってきた。

「僕がどこで何をしようと勝手だろ」

「ふーん。そういうこと言っちゃうんだ」

 3メートルほどまで近づいて来た女の子は左腕に装着していたベルトからナイフを引き抜く。


 僕は慌てた。怒りが一気に冷める。

「ちょっと待ってよ。僕が何をしたと言うんだ? ここに居ただけで何もしてないぞ」

「まだ、してなかっただけで鮑でも取りに来たんでしょ」

「違うよ。やめて。ひ、人殺し」


 女の子は右手を前に出しながら近づいて来る。目がマジだった。僕は1歩2歩と後ろに下がる。そして、3歩目は何も固いものを捕らえることが出来ず、そのまま僕は海へと落ちて行った。背中から水に落ちて肺の中の空気を全部吐き出す。衝撃で朦朧としたまま僕は沈んで行った。


 空気を吸い込もうとしてガボリと海水を飲み込んでしまい、パニックになる。元々泳げないのに服が絡みついて手足が自分のものでないように重かった。一生懸命にバタバタするが寧ろ沈んでしまう。頭の中の一部で、ああ死ぬな、と思った。ドボンという水音がしたと思うと力強い腕が首に巻きついて喉を締め上げる。


 気が付くと僕は海面に顔を出していた。思い切り空気を吸い込むと同時に重い腕を動かそうとする僕を低い声が制止する。

「そのまま動かないで。動くと刺さるよ」

 目の前にナイフを擬せられて、僕は恐怖で体がすくんだ。


 身動きしなくなった僕は女の子に引かれて、すいーっと水面を岸に向かって動き出す。すぐに喉に巻き付いていた腕が外れた。支えを失い再びバシャバシャ始めた僕に冷静な声が聞こえた。

「もう足が着くから」


 確かに足が海底に触れ、踏みしめると顔が水面より上に出る。そのまま浜まで歩いて行く。僕より先に上がっていた少女は手に僕のナップザックを持っており中を改めているところだった。はっとした表情をするとみるみるうちにバツの悪そうな表情になる。


 少女は両手を合わせると言った。

「ゴメン。どうやら勘違いしたみたい」

 僕は全身濡れネズミでポタポタとしずくを垂らしながらあっけに取られていた。

「……えーと、密漁者かと勘違いしちゃったんだ。本当にゴメンね」


 ぎゅっと目をつぶって手を合わせている少女はさっきまでと雰囲気が変わる。僕が黙ったままでいるとそうっと薄目を開けて僕を見た。

「怒ってるよね?」

 実は全然怒りの感情は湧いてこなかった。まだ脳が事態を処理しきれず、ぼーっと見つめることしかできない。


「水面に頭強くぶつけちゃった? 私の声聞こえてる?」

 僕は僅かに首を動かす。

「ああ。良かった。意識はあるんだね。本当にゴメンナサイ」

 少女は再び両手を合わせた。あまり真剣に謝る姿が可笑しかった。


「大丈夫だよ。気にしてないから」

「ホントウ?」

 また目を開けて、小首を傾げて上目遣いで僕のことを見る。

「ああ。大丈夫。君が僕を殺そうとしようとしていたんじゃないと分かってほっとしたよ」


「どうしてそうなるのよ?」

「だって、ナイフを構えて凄まれたらそう思っちゃうだろ」

「それは……私はか弱い女の子なんだから、逆切れされたあなたに襲われたら困ると思って」


 さきほどまで喉に絡みついていた細いが力強い腕を思い出して、僕は心の中で、どこがか弱いんだと思ったが口には出さなかった。

「そうか。それじゃあ、誤解も解けたみたいだし、行ってもいいかな?」

 手を伸ばすとナップザックを渡してくる。そこで頭に手を伸ばし、被っていた帽子が無いことに思い至った。


 振り返ると波間に小麦色のものが揺れている。残念だけどあそこまで行くことはできない。まあ、いいか、と思った僕の脇を何かがさっと通り抜ける。波打ち際をバシャバシャと走ると少女がさっと海に飛び込んだ。ほとんど水しぶきが上がらない。そのまま見事な抜き手を見せるとアッという間に帽子を手にして戻ってきた。


「はい。これ。あなたのでしょう?」

「ああ。ありがとう」

「お礼を言われることじゃないわ。私が悪いんだもの。でも、どうして取りに行かずに諦めたの?」


 僕は肩をすくめて誤魔化そうとしたが、少女はじっと見つめてくる。僕はどうでも良くなって正直に白状した。

「あまり泳ぐのは得意じゃないんだ」

「そうか泳げないんだ」


「泳げないんじゃない。得意じゃないだけだ。10メートルは泳げる」

「へえ。10メートルも」

 も、の部分を強調して少女は言う。

「うるさいな。じゃあ、もう行くから」


「ちょっと待って」

 少女が僕の前に立ちはだかる。

「ねえ。あなた、しばらく、この島にいるの?」

「ああ。だけど、それが……」


 少女は嬉しそうに両手を打ち合わせる。

「じゃあ。私が泳ぎを教えてあげる」

「いいよ。別に」

「良くないわ。今日のお詫びの気持ちなんだから」


「だから、良いってば」

「あなたが良くても私の気持ちが良くないの。折角教えてあげるって言ってるんだから素直に受けなさいよ。人の親切を無碍にするようじゃロクな大人にならないわよ」

「親切の押し売りをするのもどうかと思うけど」


「ああ。もうっ。都会の人はこれだからイヤんなっちゃう。いいわよ。だったら、私、駐在さんのところに行って、あんたに襲われそうになったって言うから」

「ちょ。なんだよそれ」

「どうなってもしーらない」


 僕は少女の勝気そうな顔を見る。本気だった。すくなくとも僕にはそう見える。

「分かったよ。君に水泳を習えばいいんだろう」

「やっと素直になったわね。それでよろしい。で、私は陽子。君は?」


「海斗」

「そっか。じゃあ、カイト。明日の10時頃にこの場所で。もし、来なかったら……」

「ああ。分かったよ」

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