第19話 精霊の乙女。

 狭い部屋の中、木の床の上に敷かれた薄い寝具の上で、リリアは眠っていた。 頬がほんのり赤いのは、まだ熱があるからだ。彼女は小さな子供の命を救った後、そのまま意識を失ってしまった。ここ数日、リリアは緊張した日々を送っている。心と体が限界を超えてしまったのだろう。


(無理もない)


 クロウはリリアの白い額にかかる柔らかな髪をそっと避ける。今のところ意識はあるものの、熱がなかなか下がらないでいた。薬を飲ませたかったが、クロウは薬など持っていない。


(最悪だ……)


 クロウは目を閉じ、苦悩に満ちた表情を浮かべた。リリアが持っていた解熱用の薬は既にクロウが飲み干している。。

 これほど側にいるというのに、リリアにしてやれることが何もなかった。ただ眠っている彼女の側に居て、額の上に置かれている濡れた布を時折取り換えながら、彼女が安心して眠れるように見守るだけだ。

 実際、ここはリリアが安心して眠れるような場所ではない。長剣はいつでもすぐに抜ける場所に置いている。この部屋は、リリアを攫った男達の住む村の中にあったからだ。

 不意にクロウの表情に緊張が走る。長剣に手をかけしばらくすると、控えめに扉を軽く叩く音が響いた。


「すまん。入っていいか?」


 扉の外から、低い男の声が尋ねてくる。

 その声で誰であるのか判断したクロウは緊張を解き、『入れ』とだけ短く答えた。


「……まだ、熱は下がらないのか?」

「ああ」


 入って来た男は三十代半ばのやけに貫禄のある男だった。頬にある大きな傷がさらに凄みを利かせている。彼はこの家の主であり、この村を統括している『お頭』と呼ばれていた男だ。

 リリアが命を救った子供は、彼のたった一人の息子だったのだ。

 倒れたリリアの為にすぐさま寝床が用意され、子供の命を救ってもらったからと、彼の妻が看病を申し出てきた。

 だが、クロウはそれをきっぱりと断り、自らリリアの看病をしていた。

 

「本当にすまなかった。そして、息子を助けてくれた事、感謝している。ありがとう」


 男は床に頭を押し付け、謝罪と礼を口にする。

 その姿にクロウはちらりと視線を向けたが、無表情のまますぐに目をリリアへ戻した。よそ見をしている間に彼女が消えてしまうような気がしてならないのだ。


「……礼を言うなら、リリアが目覚めた時に本人に直接言うんだな」


 冷たく突き放した口調は、リリアと旅をする以前の不愛想なものだ。元々人付き合いが苦手だった。ガルロイやルイなどお互いの命を預け合いながら過ごした人間以外、クロウは誰も信用などしていなかった。

 リリアは本当に特別だったのだ。

 これほど短期間で心まで開いたのは初めてのことだった。


「分かっている。だが、あんたにもちゃんと謝罪しておかないと、この村を壊滅させられてしまいそうだったからな」

「……」


 クロウの眉間の皺が深くなるのを見て、男は慌てて両手を前に突き出し小刻みに震わせる。


「あ、いや、からかうつもりで言ったわけではないんだ。すまん!」


 恐らく自分の子供の命が助かって少し饒舌になっているのだろう。そう感じたクロウはいちいち咎めるつもりはなかった。


(だが、もし万が一リリアに何かあったらとしたら? その時、俺は……)


 確かに、この男が言うような事もありえたのかもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過ぎった。


「俺の名前はゲボルトだ。息子の命を助けてもらったのに、礼をするどころか苦しんでいる恩人に何も出来なくて本当に申し訳なく思っている。ただ、もし、先を急いでいないのなら、ここに居たいだけ居てもらってかまわない。いっそうのこと、この村に住んでもらえないかとさえ思っているんだ」

「俺は、クロウだ。……あんた達は、かなりキツイ生活をしているのではないのか?」

「! ……まあな。今更隠すつもりはないんだが、盗賊になって人を攫うほどには追い詰められている」

「最悪だな」

「ああ。最悪だ。もともとは別の場所に住んでいたのだがな。十四年前、ちょうど前国王一家が亡くなった後だ。自然災害がこの国のあちこちで起き始め、俺達の村も生命線と呼べる川が干上がり、生活する事が出来なくなっちまった。住処を点々としながら今はここに落ち着いてはいるが、暮らしが豊かになるわけでもなく、盗賊にまで落ちぶれるのはあっという間だった。俺達はいつのまにか心まで荒んでいたんだな。その事に、あんたの連れのお陰で気付くことが出来たんだ。昨日から、あの娘はきっと精霊の乙女なのだと、村の奴らは大騒ぎだ」

「……精霊の乙女?」

「あんたはこの国のもんじゃなさそうだから知らないかもしれないが、この国を作った初代国王様の奥方の事さ。悪政と戦っていた男の命を救い建国の王へと導いた伝説の乙女さ。自然災害が起きたのもその末裔である国王様が殺されたんで、大地の精霊達がお怒りになったんだと言われている」


 熱心に語るゲボルトの話しに耳を傾けながら、クロウは嫌な予感に自分の顔が強張っていくのがわかった。


「……リリアは普通の娘だ。自分の身を守るすべも持たないか弱い存在だ。彼女に何をさせようとしている?」

「あ、いや、別に、この娘に何かをさせようとかそういう事ではないんだ。ただ、この娘のおかげで村の雰囲気が変わったんだ。村の子供たちの為にも、盗賊なんて辞めてまっとうに暮らそうと話し合ってきたところだ」


 クロウの黒い瞳がゆっくりとゲボルトに向けられた。


(リリアは子供の命だけでなく、一つの村までも救う事になるのかもしれない……)


「……盗賊を辞めるのだな」

「ああ。それが俺のこの娘の恩に報いる唯一の方法だと思っている。この村にいる子供たちを、人の命を奪うのではなく人を助ける事が出来る人間に育てていくよ」


 最初に対峙した時に、ゲボルトだけはどこか憂うような哀愁を感じていたが、『盗賊を辞める』と言った彼はどこか晴れ晴れとした顔付きをしていた。村全体で今までの生活を変えるのは並大抵の事ではないはずだ。

 だが、彼ならやるだろう。そんな気概を感じさせる眼差しをしていた。


「何かあれば遠慮なく声をかけてくれ、出来るだけのことはさせてもらう」


 それだけ言うとゲボルトは静かに部屋を出て行った。部屋に再び静けさが戻る。

 クロウはリリアのまだ幼さか残る寝顔を見つめた。こんなに近くにいるのに、リリアがとても遠くに感じる。

 リリアの事をとても大切だと感じている。それは彼女が恩人だからではない、彼女を無事に王都へ連れて行くとガルロイに約束をしたからでもない。


(ルイがここに居なくてよかった。今の俺を見て、奴ならきっとからかってきただろう)


 どんどん彼女に惹かれていっている。

 なのに、リリアは今日助けた子供もクロウの事も、同じぐらいにしか思っていないだろう。ずっとリリアが気にかけてくれるので、勝手に自分がリリアにとって特別な存在になったような気持になっていた。

 リリアの身を案じ、怒りのまま人質に取った男にここへ案内をさせて来た時、彼女が小さな男の子に口付けている姿が目に飛び込んできた。すぐに、リリアがその子供の命を助けようと必死になって対応しているのだと分かったのだが、その光景はいつまでも脳裏に焼き付いて離れてくれない。


(どうやら俺はかなり嫉妬深い男のようだ)


 クロウは苦笑をもらす。


(俺は、幼い子供にさえ嫉妬を感じている。この気持ちには蓋をしなくてはいけない。俺が浮ついていたから、彼女が危険な目に遭ってしまったのだ。何としても、リリアを無事に王都へ送り届けなくてはならない)


「クロウ……」


 心の中で自分を戒めていると、いつのまにかリリアが目を開けていた。

 熱で瞳を潤ませながら、リリアがクロウの名を呼ぶ。押し込めたはずの感情が、さらに膨らんでいくのをクロウは自覚する。


(いつまでこの気持ちを押さえ続けることができるだろうか……、今までどれほど強い敵を前にしても臆したことなどなかった。だが、リリアのことになるとどうしても心が揺れて仕方がない)


「どうした? 喉が渇いたのか? 水を飲むか?」


 騒めく心から目を逸らすように、リリアに尋ねる。彼女が小さく頷くと、クロウはすぐに壊れてしまいそうなほど華奢な体をそっと抱き起し、しっかりと支える。


「ゆっくり飲むといい」


 小さな、まるで花びらのような唇に水の入った器をそっとあてがう。わずかに器をかたむけると、彼女の白い喉がゆっくりと上下するのがわかった。

 

「もっと飲むか?」


 器を少し離し、まだ熱で赤味を帯びた顔を覗き込めば、彼女の首が左右に小さく揺れた。クロウはそのまま器を下に置き、再び彼女の体をゆっくりと寝具の上に横たえさせる。

 そんな僅かな動きでもかなり辛いのか、リリアが『ふう』と息を吐いた。そんな姿にクロウの心は締め付けられるように苦しくなる。少しでも楽になるようにと祈りながら、ぬるくなってしまった布を冷たい水で絞り直し、再びリリアの額に乗せようとした時、翡翠色の瞳がじっとクロウを見つめているのに気付いた。


「どうした?」

「クロウ……、怪我はない?」



 消え入りそうなほど小さな声だった。

 だが、クロウの耳はしっかりとその言葉を聞き取った。彼女は熱にうなされながらもクロウの身を案じていたのだ。胸の奥が熱くなる。吸い込まれてしまいそうな美しさをたたえる翠緑の瞳から目が離せない。彼女はクロウの凍っていた心を動かし、ずっと揺さぶり続けてくる。


「……大丈夫だ。心配ない」


 動揺を悟られないよう心を落ち着けながら答える。持っていた布を彼女の額にそっと置けば、リリアが気持ちよさそうに目を閉じた。


「よかった。クロウに怪我が無くて。……攫われてしまって、ごめんなさい。助けに来てくれてありがとう。すごく嬉しかった」


 苦しいだろうに、リリアは言葉を続ける。さらに、花が咲くような笑顔を向けられ、クロウは思わず視線を逸らしてしまった。

 このままじっとその朝露に輝くような笑みを見つめていたら、閉じ込めていた感情が暴走して、弱った小さな体を強く抱きしめてしまいそうになるからだ。


「……ああ」


 やっとのことで絞り出した声は自分でも驚くほど固くて低い。その声を聞き、視線を逸らされたリリアはひどく傷ついた表情を浮かべた。

 だが、クロウは視線を逸らしていた為に、自分か失態を冒してしまった事に気付けなかった。

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