第八話  人か、人以外か

 紅人は老人に連れられて、猪の親子を追いかけていた。雪の中、歩くだけで体力は奪われて行った。しかし、老人は老いを感じさせない動きで先を進んで行ってしまう。先程までの老人っぽい、ゆっくりとした感じではなかった。大きな足跡の上に、必死に自分の足を乗せ跳び歩いた。茂みの中に身を潜めた人影が猪の方を指差し、見てろと言わんばかりに素早く弓を構えた。ビュンッ、と言う音に続き猪の悲鳴が上がった。その場で立ち竦んでしまった紅人に

「そこで待ってろ。」

と残し、老人は暴れる猪の首に槍を打ち込んだ。幼い紅人にとって、それは母と重なる残酷な光景だった。あんなにも暴れていた猪が、血濡れた雪に沈んでいた。一匹の幼い猪が母の乳を吸いに来たが、すぐに男にひと突きされた。手慣れた様子で獣を狩った老人が恐ろしく見えた。なぜ猪を殺したのか、狩りが何なのかさえわからずに着いて来た紅人は動揺した。ついこの間、老人が置いていった肉を焼いて食べたのを思い出し、嘔吐した。直感みたいなやつで、この獣達がその肉になるのだと、そう思った。

老人の格好をした男は紅人の前に立ち、屈んだ。そして、左眼にしてあった眼帯を、外した。紅い眼が真っ直ぐに男を見た。静かに眼帯を戻すと、そのまま何も言わずに猪を縄で縛り背負った。

「行くぞ。」

ぐいっと首根っこを捕まれ、無理矢理立たせられた。力無く、その背中を追ってまた足形の上に小さい足を乗せて歩き続けた。

 女の待つ小屋に近づくと、何やら中からうめき声が聞こえてきた。男は猪を肩から下すと、外に集めて置いてあった薪を指して

「火を焚いて、水を汲んでこい。急げ。」

と言って引き戸を開けて中へ入っていった。男の言う通りに薪に火を付けたが湿気っていてなかなか燃えてくれなかった。そうしていると、男が出て来て、村の方へ走って行った。紅人は恐る恐る戸を開けてたみた。苦しそうにもがき苦しむ女の姿があった。腰の下に敷いてある布が、赤く染まっているように見えた。すぐに外に出て薪に火を付けた。今度は燃えた。そしていつも水汲みに使う袋を持って川に行った。冬は川幅が狭くなり、ちょろちょろと流れているくらいだった。ちょっと前までは流れが速くて足を捕られてしまった。今は紅人にはちょうど良かった。袋一杯に水を汲んだが、穴から水が漏れ、紅人が躓く度に少なくなって、小屋に着く頃には半分も入っていなかった。女のうめき声は更に激しくなり、もはや悲鳴だった。すぐに男は村の医者を連れて駆けつけた。紅人には医者だと分からなかった。女が男共に何かされるのではと横で袖を掴んだ。女の血を見ると直ぐに医者は言った。

「腹を裂かねばならん。有りったけの布や毛布、着物と熱い湯を持って来てくれ。」

男はすでに紅人の汲んできた水を火にかけていた。

「もっと汲んでこい。」

と袋を投げてよこした。足下に落ちた袋を掴み、またちょろちょろと流れる川に向かった。

 小屋の中では女が壮絶な痛みに耐えていた。肋骨を掻き分けてでも出ようとしているのか、腹の内側から熱い痛みを感じた。村から連れて来られた医者は、

「こんなに出血しているのは初めてみた。腹を切って赤子を出す。耐えてくれ。」

そう言って女の着物を脱がせた。腹を見るなり、男の方を見てどちらも助からないかも知れない、と言わんばかりに首を振った。すぐに腹は切られ、中から赤子がでてきた。女の子だった。女は気を失っていたがまだ息はある様だった。汗で濡れた布を握りしめ、医者が外へ出ると戸のすぐ側で幼い子供が泣きそうな顔でこちらを見ていた。

「なんとか、二人共無事だよ。行ってやれ。」

紅人はすぐ様、女の側に行き、静かに泣いた。隣には猿みたいな赤い顔の赤ん坊が眠っていた。

「爺さんの娘か?でないなら、何故助けた。」

医者は男に言った。男は暗くなった空を見て、

「人か、人以外か。ただ、それだけだ。人ならば、助け合って生きて行かなきゃならん。」

そう言って、女の横で静かに泣く紅人を眺めていた。

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