第二話  果てなき道に

 前にここへ来た時は辺り一面真っ白で、樹々や泉は綿帽子を被っていた。夜明けの頃になると冷えて細やかなきらきらと光る結晶を浴びる事もあった。紅人は息絶えた子熊を背負っていた。熊を助けた時の事を思いだした。罠に掛かってもがいたのだろう、傷だらけだった。その時、まだ息があった。村へ連れ帰り、えさを与えた。それを喰えない程、弱っていた。怪我の手当てをし、藁を積んで温めた。水は少し舐めた様だったが、傷の治りも遅く、二日目の朝には冷たくなって硬直していた。親熊が心配して近くを探している気がして、紅人は子熊をしょった。朱花が言わずとも後ろから付いて来ていた。

「親熊に遭遇するかもしれない。朱花、村で待っててくれないか。」

息絶えた子熊と一緒では親熊に襲われる可能性があると、紅人は思った。きっとこの子を殺したのは私だと思い、攻撃して来るに違いない。冷たくなった背中がなぜか切なかった。命あると言う事はなんて儚いのだろう。生きる為に餌を探していたのだろうに。

「紅人、方向音痴だからあたしも行く。」

これ以上何を言っても聞かない事はわかっていた。果たして朱花の命を守る事ができるのかと、辺りに警戒しながらも路もないような険しい山をひたすら登った。途中、熊が何処で罠に掛かっていたのだったか、わからなくなった。朱花も鼻は効くがまだわずか八つ。やっぱり紅人をあてにしていた。

「朱花、迷ったみたいだ。」

「わかってるよ。」

自分達の村の近くとは言え、人里離れた山深い処だった。少しでも間違えて進んでしまうとすぐに見慣れた後景を見失った。それに紅人は方向の感覚が鈍かった。すべてが果てなき路に思えた。

「大丈夫。匂い玉落として来たから。戻ろう。こっち。」

すぐに朱花は身を翻し、元来た道に戻ろうとした。

「待って、奥に泉がある。行ってみよう。」

朱花は変な顔をしたが仕方なさそうに紅人の前を歩いた。泉に根を伸ばす木があった。それは大きな桜の木が、雪化粧をしていた。その時、紅人は桜の木である事に気付かなかった。遠くで朱花の声がした。

「おい、ここに熊がかかった罠がある。」

あの時、近くにこんな泉があるとは気付かなかったな。紅人は朱花がいる方に体を歩ませた。朱花は罠を確かめていた。 

「この獣の毛の匂い、確かにあの子のものだよ。」

「そうか、子熊はそこの泉に寝かせてやろう。親熊も水を飲みにくるかもしれない。」

 大きな桜の木の下に熊を下ろした。

「次に生まれる時は強く生きろよ。」

そう言って子熊の頭を撫でてやった。朱花が古木の皮に石を擦り付け、線を描いていた。

「うちらも強く生きなきゃならん。」

朱花の背丈に合わせた線だった。

「紅人もここ、立って。」

紅人は何も言わずに木の前に立った。 

「届かない。自分で記しつけて。」

右手に先の尖った石を握らせられた。これで古木を削れ、と言う事らしい。紅人は自分の頭の上で石をごしごしさせた。強く、生きろか。白い息を両手で囲った。

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