主婦の暴走妄想シリーズ第一弾  千鬼姫

濡れ着の雨音

第一話 代継ぎの夜に

     ひとは儚き世の桜       

    ひと夜の水面に色は咲けど

 これは千鬼姫が十の頃に詠んだ歌である。紅人と千鬼姫の出会いは夜鳴きの泉だった。綺麗な笛の音が聞こえた。怒りの様な、哀しみの様な胸を締め付けるその音色が千鬼姫は気になった。泉に近づくのは焔帰り【ほむらがえり】の時だけと、夜千代に言われたばかりだった。夜千代は老いてもう眼も見えないのに、細かい事に良く気付く。代継ぎ【だいつぎ】の日である今日が、来なければ良いと顔にでも書いてあったか、と姫はおかしくなった。それは、いつの間にか止んでいた。泉に近づきすぎたのだと思い姫は、身を後ろに曳いた。

「誰だ、朱花か。」

正面の二本の古い木の間に一瞬、青白い女が見えた。紅人がよく知る古木だった。その影は更に顔を見られまいと俯きながら、天にも届きそうな程伸びる、古木の方の裏側に潜んだ。紅人は問うた。

「あなたにはこの音色、どう聞こえましたか。」

全く姿も見えないのに紅人は千鬼姫を真っ直ぐに見つめていた。

「何に怯えている。」

あまりに素早く返ってきた答えに紅人は驚いた。が、驚いたのは千鬼姫の方だった。声の主と思われる奴がもう目の前にいたのだ。五感が鋭い鬼に何の気配も感じさせないまま近づいた。千鬼姫の顔を見るなり紅人は息ができなくなった。紅人が次に驚いたのは姫の美しさにだった。複雑に根を這わせる古木達のそれにつまずいた。

「うわっ、と。」

少し湿った大地に手をついた紅人は言った。

「人ではないな。」

「人ではない。」

「そうであろう。人がこんなに美しいはずがない。」

「人は美しい。」

淡々と返してくる姫が何だか可笑しかった。

初めて会ったのに千鬼姫が愛しかった。姫は少しの揺らぎもない泉の水面を見た。

 詩を詠んで姫は紅人を見た。姫と目が合った紅人は眼帯をしている左眼が酷く熱いのに気付いた。すぐに焼け爛れてしまいそうなくらいにまでなった。

「うっ。ぐっ、。」

耐え切れず声が漏れた。眼を抑えた手に黒い龍の様なあざがあった。姫は黙ってそれを見ていた。すぐに風を斬るような音に耳を傾けた。

「夜千代に見つかると面倒だな。」

そう言ってその場を去った。それを聞いてすぐに紅人は気を失った。

 紅人の頭上に這える古木に聞き慣れた足音が近付いていた。薄っすらと目を開けた紅人は

「今度こそ朱花か。」

と枝葉の間から月を覗いた。月明かりは揺らぎのないその水面をより輝かせ、水鏡ができていた。

「また、ここか。」

八つになる朱花はすぐに紅人を見つけた。何でも特別な匂いがするとか。何処にいてもたちまち見つかってしまった。紅人の頭上の古木を眺めて

「確か、この木だよね。標つけたの。」

朱花がしわしわの木に触れた。そこには2人の背丈程の所に線が刻まれていた。 

 

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