第3話転生

「幸乃、いい加減予備校に入りなさい」


 一次落選の封筒がうちに届き、失意のうちに学校から帰った後。母は無情にも私にそう告げた。

「……」

「そんな顔しないの。今なら冬季講習も安く申し込めるから」

 私は一体どんな顔をしたのだろう。母は驚きの表情を浮かべ、なだめるように言う。ただ私は目の前が真っ暗になったのを感じた。


 高校二年生の冬休みと言えば、受験を考える者は冬季講習に行くのが通例である。むしろこの時点で予備校に通っていないのは家庭教師や個人指導の塾で受験を目指す者以外では珍しいとすら言える。

 ただ、当然ながら塾に入れば拘束時間が増え、小説を書く時間が減る。それを見越して夏休みに心残りがないように書いたつもりだったが、現実として今は心残りだらけだった。このまま終われない。このまま終わってたまるか。でも、学校と予備校に通いながら小説を書くのは現実的じゃない。予備校に行ったら宿題も出るだろうし、母は冬季講習と言ったけど、当然冬季講習を受ければ受験が終わるまでその予備校に居続けるだろう。


「いいでしょ、どうせ部活も入ってないんだし」

 母は私が小説を書いていることをうっすらとしか知らない。私が小説に自分のすべてを賭けている(これはちょっと過言だけど)ことまでは多分知らない。だからそんなことが言えるのだろう。そこで私はもう一度ダメージを受けた。

 もし、私の作品が一次選考だけでも突破していれば、もう少し粘ることも出来たのに。例えば、『受賞まであと少しだから冬休みだけでも挑戦させて欲しい』というように。


「……」

 結局、私はろくに反論も出来なかった。全ては私に実力がない故の悲劇だ。このまま負けたまま、私は受験勉強に入っていくしかないのだろうか。

「じゃあ、申し込みしておくから」

 私の耳に母の声が遠く響いた。私はよろよろと自室に入っていく。そして気が付くとベッドの上に倒れ込んでいた。


「ああ、神でも悪魔でもいい、私にチャンスを……」

 精神的に疲れていたか、私はいつの間にか寝てしまっていたようである。普段昼寝はあまりしない私だけど、ベッドに倒れ込んだのがいけなかったか。私は夢を見ていると自覚していた。これまでの人生で明晰夢を見たことがなかったので少しだけテンションが上がる。


 私は見たこともない広い荒野の中に立っていた。見渡す限りの茶色い大地と灰色の空。よく分からない黒い鳥が何かの骨を加えて飛んでいる。そんな私の前に黒い人型の化け物が立っていた。尖った耳と犬歯、長い尻尾が特徴的で、服は着ていない。そしてニマニマと不愉快な笑みを浮かべている。

「誰?」

「初めまして今川幸乃さん。私は君たちの世界で言うところの悪魔です」

 男は手品師とかがもったいぶって口上を述べるような雰囲気で言う。

「悪魔?」

 そう言えば寝る前に助けを請うたような気がする。しかしそれで来てくれるのならもっと早くに頼めばよかった。

「そう、君の切実な願いで現れた悪魔ですよ。私は君の力になることが出来ます」

「そ、そうですか」

 私は困惑する。すると悪魔はどこからともなく分厚い紙の束を取り出した。そこにはよく分からない文字(少なくとも私の知っている言語ではない)で何かがびっしりと書かれている。そして私に紙束とペンを手渡した。

「さあ、これにサインしてください」

「何て書いてあるんですか」

「簡単に言うと、君に足りないものを提供します。描写力が欲しいのでしょう?」

「そ、そうだけど……」

「この契約書の内容を全て訳していたら途中で目が覚めてしまいますよ。もうすぐ君の家は夕飯の時間になってしまいます」


 そのときなぜ私はサインしたのだろうか。まず、多少やけになっていたことが挙げられる。次に夢だと分かっていたからではないだろうか。私は契約書の余白の部分に自分の名まえを記す。

「はい、これでいいの?」

「ありがとうございます。それでは良き異世界生活を!」

「は? 異世界?」

 私はラノベでしか聞いたことのない言葉を聞いた。いやまあ悪魔も小説でしか見たことないけど。全く現実感がわかず、私は悪魔にさらにいくつかの質問をしようとする。

 すると突然、空中に黒い穴のようなものが開き、次の瞬間私の体はそこに吸い込まれ、私の視界は暗転し、意識が遠くなった。なるほど、私が異世界に行けば異世界の描写が出来るようになるのか。消えゆく意識の中、私は少しだけ納得した。

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