10

 二年前。カナギは堪えきれずヤソを殺してしまった。

 その際には村人たちが何とかしてカナギを庇おうとした。

「私がやったことにしよう」

「森で獣に襲われたことにはできないか?」

「いやこんな男、燃やして灰をその辺に撒いてしまえば――」

 大人たちはいろいろ言っていたがカナギはどの案も受け入れようとはしなかった。振り下ろした鉈の感触が手に残っている以上、逃げてはいけないのだと思った。何よりヤソの灰を村やその周辺に撒くというのは絶対に嫌だった。

 スガソの弔いを見届けてから、世話人の男に付き添ってもらい出頭した。

 ウルハシから少し歩いたところにある関所の兵たちが確認のために村に入るやいなや、村人たちが兵たちを取り囲んでカナギの刑が軽くなるように懇願したのだと聞いたのは牢に入る直前だった。村の人たちは、あの子は悪くないのだと口々に言って兵を困らせたらしい。

 意外なことに、その行為は村人たちだけに留まらず。運悪くその場に居合わせた参拝者たちもカナギへの恩赦を願った。

「それがなかなか大きかったみたいだね。なんと言っても、御事参りをするような人にはお金を持っている人、つまり社会的にそれなりの地位にある人が多いから」

 カナギは世話人の男の話を聞きながら、その隣を黙って歩いた。男は道中「馬車を使ってもよかったのだけれど」と申し訳なさそうにしていたが、それはカナギが何度も断ったことだ。ウルハシまでの道程はゆっくりと進みたかったのだ。あんなことがあったのだ。こうしなければ二年ぶりの故郷には帰れないような気がしていた。

 しかし一歩村に足を踏み入れれば『ゆっくり』とはいかなくなる。

 まず初めにカナギたちを見つけたのは森に入る準備をしていた男子たちだった。彼らは道具の点検を行っているところだったが、森の入り口にカナギの姿を見つけると道具をほったらかしにして一斉に駆け出した。

「カナギ兄ちゃん!」

 と皆が口々に呼ぶ。

 兄ちゃんだ、兄ちゃんだと、呼んで飛び跳ねて。

 その様子を見つめながら、カナギは「若いな」と思った。たった二つ年をとっただけで、彼らのことを幼く感じるようになった。

 騒ぎに気づいて次から次へと人が集まる。

 二年の間、村にはどんな時間が流れたのだろうか。あんな形でスガソを失っても、一族から『人殺し』が出てしまっても、ウルハシはまるで変らないように見えた。穏やかな街に御事参りの参拝者を迎え入れ、彼らをもてなし、人々は互いに手を取り合って生きているように見えた。

 そんな中に自分などが帰ってきて良かったのだろうかと、胸がチクリと痛む。

 だからなのか、皆が二年前と変らぬように自分を迎えてくれたというのに、ぎこちない態度で彼らと接していた。まぎれ込んでしまったよそ者の心持ちだった。

 しかしそれは父と母の姿を見つけるまでのことだった。

「…………カナギ!」

 父母が呼ぶ声は、カナギを二年前に一気に引き戻した。

 カナギは二人の腕に飛び込んだ。

 二年前ならば年頃の照れくささがあって絶対にしなかったことだが、今はそうしたくてたまらなかった。そうしなければ心がどうにかなってしまいそうだった。

「カナギ! …………カナギ」

 母がしっかりとカナギを抱きしめる。その上から父がさらに抱きしめた。

「父さん…………、母さん……俺……」

 何を言えばいいかわからなくて、ただただ温かな胸に顔をうずめていた。




 しばらく父母と抱き合いながら、二年間のことを互いに話した。だがそれはどんな苦難があったかを知らせるのではなく、何を食べたとか、どれくらい背が伸びたとか、そんなどうでもいいことばかりだった。

 そんな話をしているときにスガソの両親に声をかけられたものだから、カナギは慌てて父母から離れた。最愛の娘を失った彼らの前で父母と抱き合うことは罪深いことのように思えたからだ。

 もちろん、スガソの両親はそんなことを責めるような人たちではない。

 彼らは涙を流しながらカナギの手を取り、そして抱きしめた。抱きしめた瞬間はぎゅうっと痛いくらいの力が込められたが、やがてやわらかな抱擁へと変った。赤子をあやすようにカナギの背中をトントンとたたきながら「おかえり」と「ごめんね」を繰り返した。

 彼らの温もりを感じながらカナギはある決心を伝えた。村に戻るまでの間ずっと――スガソの体が灰となってしまったあの日からずっと考えていたことだった。

「俺、御事参りをしようと思ってる」

 言うとぐいと体を引き離された。

 スガソの母は驚いたような顔をしていた。

「別に村で禁じているというわけじゃないんだろ?」

 カナギは言って自分の両親を見た。

 父も母も「そういうことはないけれど、でも」と顔を見合わせた。

「でもコトノハはどうする? カナギがしたいって言うんなら協力したいが、村人の全財産を集めてもコトノハ一枚買えるかどうか」

 そこでカナギはスガソの母を見る。

 スガソの母はカナギの言葉を待たずに「わかった」と言って家に招いた。


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