一、


 三組の恋人たちが、今日、晴れて夫婦となる。

 湖の畔にある静けさだけが自慢のこの村も、今日ばかりはたがが外れたように騒々しくなっていた。

 真っ白な漆喰の壁と張りめぐらされた黒い木枠の家々が、湖や周囲の山々の景色に絶妙に溶け込んでいると評判の美しい村だった。

 訪れるものは多くはないが、どんなときでも家々の窓は鮮やかな色の花で飾られる。今日はそこに不格好な人形やらリボン飾りなどが添えられていた。村の子どもが恋人たちのためにとせっせとこしらえたものだ。

 見上げながら、恋人たちはよりいっそうの笑顔を見せた。

 飾りはどれも不格好ではあったが、それらに込められた祝福の気持ちは十分に伝わってくるものだった。「私たちのもとにも、あの子らのような優しい気持ちの子がやってきますように」と、未来への希望を抱かせた。

 恋人たちを包んだ幸せな感情は村人たちにも伝播して、あっという間に村中を歓びの色に染め上げた。

 噴水広場に集まった人々の間には歓喜の声ばかりが響き渡り、狂気にも似た興奮があちこちに潜んでいる。

 誰かがまた「今日の日に相応しい、これ以上ない空だ!」と晴天を讃えた。

 そうだそうだと声が上がれば、その声を煽るように笛の音が鳴る。その音が奏でる陽気な旋律に、人々は自然とステップを踏んだ。

 軽やかに跳ねる体。弾む笑い声。

 誰の顔も幸福に酔いしれていた。

 その甘美な空気を、たったひとつの鈴の音が蹂躙する。

 ちりん、ちりんと、か細く響く鈴の音は、歓びに染まった人々の間にぬめりと割り入ってくる。浮かれた者たちをたしなめるような気配で迫ってくる。

 徐々に。徐々に。

 姿も見えぬうちから押し寄せる気配。

 鍵士ハイラートの行列がやってくる。

 村の入り口から噴水広場までをまっすぐにつなぐ通りを、ゆっくりと、鈴の音と堅苦しい靴音を響かせやって来る。

 護衛の兵士はがしゃんと鎧を鳴らし、従者の長いスカートはたっぷり使った生地の厚さが衣擦れの音を騒がしくさせる。踊り子は手足に着けた装飾をじゃらじゃら振るい、そのあとに続く道具持ちは音も無く堅実に。そのうちの一人がちりんと鈴を鳴らす。その音に合わせ、行列はまた一歩前に進んだ。

 衣裳も背丈も顔色もちぐはぐな者たちが、ぴたりと足並みを揃えて進む。

 華やかで厳かで、美しい列だった。

 だというのに、長い列を道端で見送った人々の顔からは次第に笑みが消えていった。

 それはけっして恐怖や緊張からくる動作ではなかった。その証拠に、心の内から祝いの日の歓びは消えていなかったし、笑おうと意識すれば簡単にもとの笑顔を取り戻せた。

 ただその行列をみたその瞬間だけは、どうしてか笑顔を失ってしまうという風だった。

 列が進む。

 笑顔と、そうでない顔と。

 歓喜と戸惑いの波を起こしながら、長い長い行列は幸せの中心へとたどり着いた。

 噴水を囲んでいた恋人たちがそれに気づいてそっと視線を移す。

 沿道の人々と同じように一瞬驚いたような顔に転じたが、それでも彼らから歓びの色が消えることはなかった。

 彼らはよく知っているのだ。

 今日という晴れの日の主役が自分たちであるということを。

 そして、村人たちの目に『わざわい』かのように映りさえする行列の主こそが、自分たちの『幸せ』を永遠のものにしてくれる唯一の存在だということを。

 ちりんと、最後のひとつが鳴って鈴は止んだ。

 行列を先導していた兵が脇に退き、そのすぐ後ろをついていた従者の女たちもそれにならう。

 彼らが作った花道をゆっくりとした歩調で進み、行列の主は恋人たちの前に立った。

「これより、」

 張り上げた声は、村に溢れていたあらゆる音を掻っ攫う。

 静まりかえった村の広場の張り詰めた空気にたえられず、誰かがどこかでゴクリと唾を飲み込んだ。その音が合図であったかのように、行列の主は口元をわざとらしく緩めた。

 笑顔にも満たないその表情で、主は恋人たちと向かい合う。

「これより其方らの婚姻の証として『恋慕の情』を封じる。偉大なるファーツェルング国王の名のもと、鍵士ハイラートが儀式を執り行うことに、異論がある者はただちに申し出よ」

 主は、最初の一言とは打って変わって、実に穏やかな口調で恋人たちに問いかけた。

 穏やかでありながら、威厳は保ちつつ。

 ずいぶんと小柄であるというのに、眼光の鋭さと、堂々とした態度で、その場に集まった者たちを圧倒する。

 いや。それは『威厳』によるものではなかったかもしれない。

 どちらかと言えば、畏怖に近かったのだろう。

 行列の主人が『鍵士ハイラート』と呼ばれる者であることは誰もが知ることであったが、鍵士ハイラートそのものについて熟知しているものがどれだけあるものか。

 野暮ったい前髪に見え隠れする表情だけでは男か女なのかもわからぬ。

 声にしても身体にしても然り。

 どちらかの性がはっきりと形成される以前の少年少女のものに似て、あやふやで怪しげな様相を見せる。

 それは二十数年前に始めてこの村を訪れた時から何一つ変わらない。

 成長をしない。

 老いない。

 その姿で、今年もやってきたのだ。

 だから人々は、行列の主を陰では『それ』と呼んでいた。性別も年も、出自もわからぬ――人かどうかも知れぬものを『それ』と呼ぶのが一番相応しいと思っていた。

 その華奢な線を隠すような黒く重苦しい衣裳も相まって『それ』は、祝祭の大事な役割を担いながら、『禍つ者』として揶揄される存在でもあった。


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