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***
次に目を覚ましたとき、ギーベリはベッドの上にいた。
先ほどの異様な感覚が繰り返されるのではと恐怖したが、幸い、目を開けようが手足を動かそうがそれは襲ってはこなかった。
陽が高くなる時間まで泥のように眠ったあとのようなだるさがある。
体のあちこちが軋んでもいる。
ギーベリはゆっくりと体を起こし室内を見渡した。
部屋はずいぶんと肌寒かった。
丸太作りの小屋の一室と思われる小さな部屋の、簡素なベッドの上にいるということは理解できた。
しかしそれ以外は理解と推理が追いつかない。
ここはいったいどこなのか。そして、ぶるっと身が震えるほどの室温だというのに、どうして立派な暖炉には薪の一本もくべられていないのだろうか。
ギーベリはベッドから抜け出て絨毯に両脚を下ろしたが、やはり寒さには勝てず抜け出したばかりの毛布にぐるっとくるまった。
「まいったな。いったいどうしたらいいんだろう」
動くべきか考えるべきか悩んでいると部屋の扉が開いた。
何よりもまず先に、この部屋のものよりもさらに冷たい空気が流れ込む。
そのあとにふうわりとやって来たのは、甘い香りだった。花の蜜のような甘い香りに爽やかな香草の匂いが混じったようなそんな香りだった。その強い香りの中に見え隠れする、少女の黒髪の香り。
「あ……。やあ」
香りに続いてようやく本人が姿を現した。
ギーベリは毛布を巻きつけたままでは失礼だと思い、慌ててそこから抜けだそうとしたのだが、少女の姿を見てそれをやめた。
薄いシャツと綿のパンツという軽装のギーベリに対して、少女は寒さに対して万全の対策をしていた。
フサフサの毛皮のフードがついたコートを着込み、手には分厚い手袋をつけ、膝の下まですっぽり包むブーツを履き、必要とあらば口もとまでを覆うことが出来る耳当てツキの帽子を被り、どこもかしこも隙なく防護していた。
「僕は今、とても寒いところにいるんだね」
少女はティーポットとカップをのせたトレイをサイドテーブルに置き、その分厚い手袋をつけたまま器用にお茶の準備を始めた。
そうしながら、ギーベリの方を一度も見ずに「そうだ」と一言だけ答えた。
これは難解な相手かもしれないと、ギーベリは頭を抱え次の言葉を探す。
「どうして暖炉を使わないの?」
ここがどこだとか、君は誰かとか、どうして僕はここにいるのかとか、ギーベリには他に聞くべきことがたくさんあったのに、どうしてか、まず一番にそのことについて尋ねてしまった。
だが実は、意外にもその質問が現状を理解するための近道であったのだ。
「【棺の死者】が腐るから」
少女は押しつけるようにカップを手渡す。なみなみと注がれた良い香りのお茶がほんの少しソーサーに跳ねたが、少女もギーベリも気にしなかった。正確に言うと、ギーベリにはそんな些細なものを気にしている余裕などなかった。
「暖かくなると、ご遺体が腐ってしまうということかな?」
「そうだ」
「じゃあ暖炉を作らなければいいのに」
「厳冬期には必要だ。今は違う」
少女は短く、最低限の言葉だけでギーベリに答えた。
「そうか、今は厳冬期ではないということだね。……ん? どうして僕は季節がわからないんだ」
おかしなことに気がついて、ギーベリは理解できることから順を追ってもう一度―と確認しはじめる。
「ええと、【棺の死者】と言ったね。……ああ、そういうことか! 他ならぬ【棺の死者】だね? ということは……僕は今、【契約の神殿】にいるというわけかい?」
少女はまた一言、「そうだ」とだけ答えた。
自分がどこにいるのかはようやくわかった。
だがギーベリは再び頭を抱えた。
どうしてその場所にいるのか、皆目見当がつかなかった。
【契約の神殿】という名前は誰もが知っている名前だった。
だが実際に訪れたことがあるという人間は世界中のほんの一握りだろう。
多くの人間にとってその神殿は不必要なものであり、中には忌み嫌う者までいる。
それなのに誰もが知っていて、そしてそこに在り続けているのはどうしてかというと、そこが世界で唯一の、特別な場所であるからだ。
万年雪に覆われた大きな山の中腹に、【契約の神殿】はある。
特別な神殿などとは言うが、巨大であったり華美な装飾が施されているという具合ではない。町の礼拝堂ほどの、小さな石造りの建物がぽつんと淋しく建っているだけで、そこを訪れる者も数日に一人あるかないかというほどだった。
特別であるという所以は、神殿の中にある。
椅子も机も、崇める対象すら持たないその神殿には、常に十数個の棺が整然と並べられていた。
人々はそれを【奇跡の棺】と呼んでいた。
死者を甦らせる、奇跡の棺と。
「僕はその奇跡が起こる神殿にいるのか。なぜそこにいるんだ」
そう言いながら、頭の中では二通りの答えが即座に浮かんでいた。
誰かの甦りを願ったか。
もしくは――
誰かが自分の甦りを願ったか。
どちらも考えたくはないことだった。
他に可能性はないものかと必死に考え、思い出そうとするが、やはりそれ以外には浮かばなかった。
「つまり僕は死んで、そして甦ったということかい?」
ギーベリは、自分でも信じられないほどにあっけらかんと言った。
予想はしていたが、これに対しても少女からは「そうだ」と一言返ってきただけだった。彼女もまた、同情もなにもない声色だった。
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