預金通帳

 昨夜の奇行に驚いたものの、母の会話は普通だった。

 やはり寝ぼけただけだったんだろうか…

 暢気に母が淹れてくれたお茶をすすっていると、母が銀行に行きたいと言い出した。

 通帳を更新しないと記帳出来ないからと。

 ちょうどお昼になるので、母の好きなうどん屋でお昼を食べてから銀行に行くことにした。

 うどん屋は混んでいたが、かろうじてテーブル席に着くことが出来て、二人でメニューをのぞきこむ。

 私はいろいろ目移りしながらも好みのうどんを決めた。母が決めるのを待つがなかなか決まらない。しまいには、なんでもいいわと言い出す。


 後で考えれば、自分の食べたいものがわからないのか、これも認知症の症状だったのかもしれない。メニューを見ても具体的なイメージが浮かばないというか、そんな感じだったのでは?


 業を煮やした私が、母が好きそうなものを薦めてみると、それでいいと即決。なんとも投げやりな返事だった。


 食事を終えて銀行へ。

 自分の通帳の更新ならキャッシュディスペンサーの横にある自動更新の機械で更新してしまうところだが、母の通帳に未記帳分があると面倒だなと思い窓口に行くことにした。

 私たちの他に数人、椅子に座って待っている人がいたので番号札を取って順番を待つ。ほどなく番号を呼ばれて窓口に行く。

 この一連の流れにも母は付いてくるのが精一杯な様子だった。自動化はお年寄りには厳しい社会だと思う。認知症なら尚更だ。(この時はまだ私も母を認知症と認めたくはなかったけれど)


 窓口に行ってから、母に、持ってきた通帳を出すように促す。母から渡された通帳をそのまま銀行員に渡し、新しい通帳に更新して欲しいと伝える。銀行員が中身を確認するとそのまま戻された。

 (なんだろ?何か疑われたのかな?)

 咄嗟に思った。母と私は全く似ていない。詐欺の受け子にでも疑われたか…

 戸惑う私に銀行員さんは言った。


「こちら以前に更新されている通帳ですね」

 

 よく見ると最後のページに更新済みの印が押してある。

 確かめなかった恥ずかしさと母への怒りというか情けなさというか複雑な感情が込み上げてきて、逃げるように銀行を後にした。


 記帳のボタンを押しても吐き出される通帳。音声で窓口に促されても理解出来なかったんだろう。そのまま窓口に行けばいいものの、番号札を取ることも出来ずに佇んでいたのだろうか…

 実家に戻る車の中で、更新済みの通帳に記帳しようとしていた母の姿を想像した。

 母の心境、そんな母を一人で生活させている兄への怒り、自分への叱咤、今後の不安、悲しみ切なさ情けなさ…ありとあらゆる感情に胸ぐらを掴まれているようだった。


 感情のコントロールが出来なくなった私は、実家に戻った時に最初のしくじりをした。

 母を怒鳴り付けてしまったのだ。

 母の昨夜の奇行を聞かされても押さえていた気持ちがここに来て爆発してしまった。


 しっかりしてよ!まだ認知症になんてなってないよね!


 叱れば、怒れば、病気から逃げられるかもしれない。


 …そんな気持ちだった。

 

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