落とし屋 タチバナ

和葉流

第一話 落とし屋-1

「アァ、今日も人が来るねェ」

「貴方が招いたんじゃないんですか」

「ワタシはタダ……開けといただけさァ」


 現世と幽世の狭間、どこにでもあってここではない何処か。そこにその店はある。そして今日も――


「こ、こんにちは」


 何も知らないニンゲンが迷い込む。店の玄関に立つ少女は、扉を締め切り、辺りを見回した瞬間、ここに来たことを後悔した。塵一つなく、白く浮いた光が揺らめく廊下。土壁を黒々とした梁が囲み、その梁も白の光をたたえている。玄関横の靴置きらしき棚を見れば、こちらは蜂蜜の橙に似た風合いをした木で造られたものらしい。棚の上には、黒い実をつけた枝と、百合の花が、丸い陶器に活けられている。

 少女はそれを見て、幼いころ訪れた格式高い旅館を思い出した。明らかに自分と違うとわかる人達がうごめき、想像も出来ない高尚だろう話題を並べて、自分などいないかのように過ぎ去って行く。この玄関に人は見あたらないと言えど、自分のような一般市民を寄せ付けないかのような空気だけは一致していた。平たく言うなら、少女にとってここは場違いな場である、ということだ。


「し、失礼しました」


 学校の帰り道にぽつねんと建つこの建物を、看板も表札も何もないこの家を、少女は何故だか「店」だと直感し、何の迷いもなく「店」に入った。だが、ここは自分とは格が違う。こんなところにいては、というより、何故自分は店だと言う確証も得ないまま知らない家に入ってしまったのだ? ぱっと見た限りは普通の家に近いし、もし勝手に入ってしまったことを家主に見咎められでもしたら?

 少女は腹の底から湧き上がる疑問と恐怖に身を任せたまま、プリーツスカートをひらめかせ、ドアノブに手をかける。そのまま力をかけこの場から逃げようとするが、後ろからの声に阻まれた。


「あの」


 低く押し潰したような声が少女の肩を震わせ、脳に広がった今後の予定という文字が滑落していく。ギチギチと音が鳴りそうなほどぎこちなく、ゆっくりと首を回した少女は男を見て小さく悲鳴をあげた。

 そこに居たのは、スーツを着た、見上げるほどの大男だった。細まった目、かっちりとした着こなしと前髪。真一文字に結ばれた口元は、少女を威圧し、腰を抜かすには充分だった。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 素敵なお家だと思って、それで……」


 少女の弁解を遮るかのように男は口を開いた。


「……店だと思って?」

「え? え、あ、はい」

「……そうですか」


 男はしばし目線を右上に逸らして思案すると、どういえばいいかと躊躇うように、これ以上目の前の少女を怯えさせないために、口を開いた。


「ならば、貴方は客です。上がってください」


 言葉が言葉であるとわかるまで数秒。こみ上げた恐怖が勢いを無くすまで数秒。客。その言葉を理解するのにまた数秒の間を要した。自分が、このような、格式の高い店に見合う対価を払えるとは思えなかったからだ。


「でも、わたし……」

「対価が払えるかどうかは、主が決めます」


 考えが見透かされたように思えて、ほんの少しだけ、おさまったはずの恐怖がこみ上げてくる。たじろいでも、長く、長く黙っていても眉一つ動かさない男を、いまいち、信用しきれずにいた。それにここは何の店なのか分からない。ひょっとしてもしかして、悪徳商法織りなす危険な店じゃなかろうか……と悲観的な妄想が頭をよぎる。


「ここに惹かれて、来たのではないのですか」

「惹かれて……というか、素敵だなというか」

「ならば、貴方にここは必要です」


 少女がふと顔をあげると、男はまっすぐに、少女の方を見詰めていた。少女はすぐにばつが悪くなり目線を逸らす。そして、男の言ったことと、さっき雲散霧消した今後の予定を合わせて、混ぜ込んで、結論を導きだそうとする。だけれども、導かれたのは感情が一つきり。あとは論理的な危惧も絶対的な拒否も、浮かびはしなかった。

 話だけ聞いたら帰ろう。それだけ決意をして、少女は了承の代わりに靴を脱ぎ始めた。

 男がわずかに微笑む。そして、安心したように、呟くように告げた。


「いらっしゃいませ。主がお待ちです」


 男に導かれ、少女はどこまでも続くかのように思える磨きあげられた廊下を進む。その間少女はあちこちを見回しては見慣れない高価な品を壊さないだろうかと、頼りない足取りで進んでいた。ふいに男が立ち止まり、少女から見て左手の襖を開ける。おそらくそこに主がいるのだろうと考えた少女。だったが、未知への恐怖と好奇心からか、危うく男の背中に頭突きを食らわせそうなほど近づいてしまった。


「お客様をお連れしました」

「遅かったジャないかァ」


 少女はそのまま、光と若い女の声が漏れる方向へゆっくりと顔を向けた。畳敷きの部屋の中央に赤いビロードで覆われた豪奢な長椅子に横たわった女が、弄ぶようなニヤけた笑みをして、長椅子に横たわっていた。

 年頃は二十中ほどに見える。金色の左目、白色の右目。飴色の髪は肩にかかるか否かのところで切りそろえられている。前髪は半分ほど右に流し白い花を模した髪留めで留め、そこから垂れる房は三つ編みとなって注連縄のように存在感を示していた。白に金糸の刺繍が入った着物は、朱色の帯が腰に鈍い光を添えている。足元に目線を移せば、裾が左右非対称であり、右は通常の着物の裾だが、左は太もものやや下辺りでざくりと切られ、端にフリルがついてミニスカートのようだ。左裾から伸びる足はまだ染まっていない絹布のように白く、そして不自然なほどに細かった。


「マタ怖がらせたんじゃなかろうね」

「ええと、まぁ」

「仕方ないねェ」


 無愛想に応対をしながら、男が足音も立てずつかつかと女に近づいて、女の力の抜けきった膝の下に腕を差し入れ持ち上げる。同時に、もう片方の腕を肘置きに支えられた背中に差し込み、抱え込む。己の腕をわずかに浮かせ滑らせるように女の向きを90度、椅子に正しく座る向きに変える。その動きはとても手慣れていて、かつ、ぬいぐるみでも抱えているかのように軽くふわりとした動きだった。

 少女がその動きに見惚れているうちに、女は軽く襟元と裾を直し、少女の方を感情を何処か遠くへやった怜悧な顔で一瞥する。そしてすっと細く深く素早く息を吸った。


「コチラにおいで。お嬢ちゃん」


 その声はまっすぐに、少女に届いた。少女の意識は磁石のように女に惹きつけられ、慌てていつの間にか部屋の中央に用意された赤く房のついた座布団に膝をおり居住まいを正す。女はその様子にクスリと微笑むと、こちらもいつの間にか女の右斜め後ろに休めの構えをして佇んでいる男の方をちらりと見た。男は目線を逸らすと、気付かれないように小さくため息をついた。


「質問は沢山あるダロウ。けどまずは、礼儀に則って自己紹介と行こうカ」


 女はことりとやや首を傾げて言った。作り物の目がついと細まる。キセルをくるりと細い指先で半回転させ、灰皿のキセル受けに音も立てずに置いた。



「ワタシはタチバナ。此処の主人、ココの店主さァ。ヨロシク。ちょいと脚と眼がおぼつかないモンで、そこは勘弁願いたい。こっちで仏頂面晒して構えてんのは偉丈夫。下手なことしない限りは置物ダト思ってくれてイイヨ」


 女は流暢だが所々妙な節のついた口調で朗々と諳んじた。ここが店というからには、こういった自己紹介は慣れっこなのだろう。少女は独り言ちる。しかしそれでも、ぬぐいされない違和感があった。


「偉丈夫……って、変わったお名前ですね」

「アア」


 と、店主タチバナは、さも仕掛けた悪戯が成功したかのように、右の垂れ下がった髪をくるくると弄りながら、笑った。


「渾名だと思ってくれればイイ」

「……はい」

「オマエの名は」

「……あすか、です」


 少女は言葉少なに、俯いて答えた。膝の上で軽く内向きに曲がった指先が更に角度を鋭角にする。元々口数の多い方ではなかったのもあるが、未だこの店と店主を信用するかと言えば否であったし、余計なことを話せば何かの端をきゅうと掴まれるような心地がして、どうにも居心地が悪かった。


「あすかか」


 タチバナは目を伏せ、顎の先に人差し指と中指をあて、少女あすかの名前を数度口の中で含む。そしてにんまりと笑った。


「祝福された、イイ名だ」


 タチバナはにんまりとした笑みのまま少女の方に目線を戻す。そして、顎から外した人差し指をぴんと立てて、自信満々に言った。今から言おうとしていることが至極常識的なことであるかのような口ぶりだった。


「此処は落とし屋。憑き物アヤカシ呪いに歪み、そういった陰の物を祓う店さァ」


 あすかはピンとつま先を音のないように立てた。このままでは自分は悪徳商法に巻き込まれてしまう。ここからどう逃げようかと頭を働かせていたが、タチバナのすいと下がった眉と目線につられ、思考の線がもんどり絡まり、言葉の切れ端すら浮かぶことはなかった。


「アヤシイのは分かってる、逃げようだなんて、してくれるナ」


 先を制された。あすかのつま先は立てたままでいいのか悪いのか、行き場を失い、目線まで宙をさまよった。タチバナはそれを見咎めると目を閉じて小さくため息をついた。


「デモ、このままでは些かカワイソウだし、少しバカリ、証拠を見せてあげようかァ」

「証拠?」

「ウン。ソコラの人間が真似してる形ばかりのインチキ紛い物とは違うサ。イヤア、こう言ったラ逆に怪しいカ……」


 タチバナは頬をポリポリと掻き、どうしたものかと少女から左に目線を逸らす。その先には青々と繁る葉と色とりどりの花が品良くまとめられた庭園が広がっていた。悩みあぐねるタチバナを、鹿威しの音がこんと跳ね上げる。その瞬間、タチバナの淡い橙色の唇が横に薄く引き延ばされ、弧を描いた。

 同時に、偉丈夫が一歩、右足を踏み出した。しかし、それをタチバナが手で制す。わずかに手に遅れて白絹の着物がひらめく。偉丈夫はタチバナに従い、元の位置に戻った。


「あすか」

「なんですか」

「客が来たんダ。迎えに行ってヤッテくれないカ」

「客にさせるんですか」


 二人の視線が丁度合わさる。あすかは斜め上に、タチバナは斜め下に。あすかは不満を露わにした射るような目で、タチバナは相も変わらず人形じみた左右色の違う目で。


「偉丈夫に任せたら怯えちまうヨォ。さっきのオマエのようにねェ」


 偉丈夫が不服、というように少しだけ眉根に皺を寄せる。押しこめるように目を閉じた彼を知ってか知らずか、タチバナは解決法が見つかったことでいたくご機嫌なようだった。


「キチンと証拠、見せてあげるからサ」


 ナ? とタチバナは小学生が秘密の場所をこっそりと教えるときの念押しに似た無邪気さであすかに詰め寄る。ただし、実際の距離は一切詰めないままに、だ。現にあすかの心は困惑と逃避で満ちていた。に満ちていた。眼前にいる店主は店主としてあるまじき行為をしているし、背後の大男は何故か諦めたような目であすかのことを見つめていた。

 静寂が続く。十秒が感覚の内でのみ何倍も引き延ばされる。あすかの背が徐々に丸まっていく。偉丈夫は何か言いたそうにしては目を瞑る。タチバナは微動だにせず、人ではない笑みを貼り付けたまま待っていた。


「行きます」


 あすかが僅かな不機嫌を隠すことなく、単調に言った。タチバナは左目のみをパチリと瞑って、


「行ってオイデ」


 至極ご機嫌な声音と、ひらひらと振られる右手で送り出した。


 後ろからわずかに聞こえる偉丈夫の案内を頼りに、あすかは玄関へ急ぐ。人影が見えた。赤い鞄を背負っていて、頭には黄色い帽子、背丈はあすかの腹の中ほどに頭がくるくらいだ。


「えっ……?」

「ここ、どこ……?」


 店に来た客は、あすかの半分ほどの年頃の、小さな童女だった。

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落とし屋 タチバナ 和葉流 @kazuharyuu

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