第12話

 すっくと立ち上がった清十郎は、武蔵に向かって一礼すると、静かに語りかけた。

「先ずはムサシ殿に言上したい。先日の門人どもの非礼の段、お許し願いたい。師範代共々に留守に致した身共の失態でござった。血気盛んな若者ゆえの暴走とお許し願いたい」

 深々と頭を下げる清十郎に対し、傲然とムサシが言い放った。

「いやいや、とんでもござらぬ。美味な馳走でござった。なよなよとした棒振りは、初めてのことでござれば」

「おのれえ。数々の暴言、もう我慢ならぬ」

 どっとムサシに向かって門人たちが駆け寄った。

「一対一と思っていたが、やはりのことに」

 せせら笑うムサシに対し、門人たちの怒りは頂点に達した。刀に手をかける者を先導するかの如くに、篝火の松明をかざして一人が飛び出した。「止めよ! 恥の上塗りぞ」。梶田の一喝に、渋々と後ろに下がる門人たちの背を軽く叩きながら清十郎が歩を進めた。

「先日の非礼を詫びさせるつもりが、門人たちはムサシ殿の術策にまたしてもはまったようでござるな。梶田、勝負は時の運だ。万が一拙者が不覚を取ったとしても、決してムサシ殿に遺恨を残してはならぬぞ。しかと申しつけたぞ」

「やっとご当主のお出ましか。いかがござろうか。本堂前では、いつ何どき門人の乱入がないとも限らぬ。裏手と申したいところでござるが、それでは見物人に申し訳がない。ここにてお相手願いたい」

 冷笑を浮かべて本堂横を指さした。月明かりだけが届くだけだった。およそ五間ほどの巾で、奥行きは十間か十二間か…。太い幹回りの木が三間ほどの間隔に並んでいる。この場所ならば、ムサシの言うが如くに多人数の乱入はできない。

 体の冷えが気になり始めた清十郎は「体を温めてください」という梶田の進言を退けた己の未熟を思い知らされた。ムサシの遅参もまた、体の冷えを誘わんが為のことかと、後悔の念に囚われた。田舎武芸者と小馬鹿にした己の傲慢さが恥じ入られた。亡父三代目当主である吉岡直賢の今(いま)際(わ)の言葉が思い出された。「臆病であれ!」その意味を、いま知った清十郎だった。

「参る!」の声と共に、長さ三尺はあろうかという丸太を飛び降りざまに振り下ろした。慌てて木刀で受けた清十郎だが、その衝撃に手首を痛めてしまった。なんとか正眼に構えをしたものの、すでに戦意を失った。清十郎の目に怯えの色を見たムサシだったが、右の肩に一撃を加えて脱兎の如くに走り去った。約定どおりの闘いー相手に僅かでも一撃を加えられればそれで勝ちとするーを守ったムサシだった。


 翌日「吉岡清十郎敗れる」の報が、またたく間に京の町を駆け巡った。日頃の吉岡一門の傍若無人さに腹を据えかねていた町人の間から拍手喝采の声が上がった。

 床に伏せる清十郎の枕元で、伝七郎が梶田を詰った。

「なぜ言わなかった。このお役目は、わたしが勤めるべきことぞ。亡き父上より言いつかっていた、隠密裏に運ぶべき事ぞ。。わたしならば万が一のことがあったとしても吉岡の名に傷は付かぬものを。梶田、分かっているな。万が一にも身共が帰らぬ折には、細々でも良い、道場を残すことだけを考えてくれ。間違っても再々度の闘いは挑むでないぞ」

 粗野な弟だと嘆いていた伝七郎が、父の厳命によって陰から支えていたとは思いも寄らぬことだった。

「すまぬ。許せよ伝七郎。知らぬこととはいえ、今までお前のことを‥‥」

 涙ながらに謝罪する清十郎に対し、「良いのです、兄上」。しっかりと手を握りながら頷いた。そしてその日以後、伝七郎の姿が消えた。

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