第45話
――眼鏡の奥に僅かに浮かぶ動揺。
ゆっくりと立ち上がりながら、僕は猪熊を見る。
松本、三上、高田、振り返り三人を見た
雨に打たれながら、何も語らぬ友よ。
僕は膝を引きずりながら、猪熊に向き直った。
――イズル
僕は遠くの地で苦しんでいる彼女の事を思った。
そう思うことで萎えてしまいそうな弱気を振り切り、勝ちたいという気持ちに切り替える。
冷静さを取り戻す、それこそが強い戦士の必須条件、
それこそが生き残ることに繋がるんだ。僕は拳を強く握りしめた。
悪魔王が猪熊を見て言った。
「余は松本に言ったのだ。どうも我々と同じ霊質の存在がお前らの探すハンドルとやらに関連しているようだと、それが目の前にいる猪熊に力を貸している正体だったか」
猪熊が悪魔王に向かって言う。
「なるほど・・・その姿・・・グリモワール『レメゲトン』の第一書『ゴエティア』に記載された七十二人の悪魔の一人・・」
眼鏡を押さえながらギラリと眼を光らせて、悪魔王の姿を見る。
「古代セム人の神バアル(バール)、いや悪魔王バエルと言った方がいいかな」
「お前が信仰する存在は何という神だ?」
「私が信仰する存在・・それはクトゥルフ!!」
言ってから猪熊が両手を空手のように突き出す。
むぉ!!
目に見えない圧が僕の身体を襲う。
――しかし
それは、僅かに自分で感じる部分だけを残して突然消えた。
これは??
今までパペットとのように操られていた目に見えぬ圧力が消えた。
僕は悪魔王を見た。
カエルがゲコっゲコッと鳴いている。見ればカエルの目が黄金色に輝いている。その中で黒くて細い瞳孔が見えた。
これは・・
あのイノシシやミノタウロスの眼差しのようだ。
でもカエルの方が遥かに黄金色に輝いている。
つまりそれだけ『魔』が半端ないってことか・・
「成程、これは中々。ルーン言語を書くことなくこれ程の力を発揮できるとは。いくらルーン言語と自らの肉体をリンクさせているとはいえ、なかなかの力」
悪魔王が蝙蝠の羽根をはためかせながら空へと上がっていく。
「カエルの力はお前の『魔』が届く前に全ての魔力を分解し、この世界で無に還元した。このカエルの防護力の前ではさすがのサタンもベルゼバブも叶わぬ」
「むぅん!!」
猪熊が手を上げて鋭く振り落とす。
その動きに合わせて地面が避けるように空気の刃が一気に迫って来た。
かまいたちのような竜巻じゃない。それははっきりと刃の形になって僕と悪魔王に振り下ろされた。
「うぉぁあぁぁぁぁ!!」
思わず、僕は腕で頭を覆う。
その時、カエルの口が大きく開くのが見えた。いやそれだけじゃない。口から大きな泡が見え、それが一気に膨らみ空気の刃に放たれた。
カエルが放った大きな泡が刃に絡みつく。それは大きくU型に曲がると突然空気の刃を包み、それが大きな円になって空へと浮かび上がった。
ゲコッゲコッ!!
カエルが再び鳴く。
すると口を再び大きく開けて、赤い舌を素早く伸ばし、飲み込んだ。
まるで餌でも飲み込むような動作だった。
喉を鳴らして音を立てながら飲み込むと、大きなげっぷをした。
な・・なんちゅう、
異種格闘技なんだ。
両生類と神の力の攻防かよ・・・
僕は改めて悪魔王の力を知った。
――変態的だ・・悪魔王って
「さてどうする?猪熊とやら?」
悪魔王の言葉に初めて僕はイニシアティブをとった気がした。
やはり悪魔王の力は凄い。
「お前の力は効かぬぞ」
ひょひょひょひょひょ、悪魔王が高らかに笑う。
「そうですかね?」
猪熊が手を突き出し、大きく掌を広げた。
それに悪魔王が反応する。
「むぅ?」
「むぅううううううう!!」
僕は悪魔王を見た。声を出しているのは老人だが、カエルの様子がおかしい。明らかに苦しんでいる。
な、何だ?
「お、おい‼!大丈・・・・」
最後まで言い終える前にカエルの喉が突然大きく裂けた。
カエルの喉から先程飲み込んだ刃が大きく弾けて飛び出して、空へと飛んでいく。それはブーメランのように大きく弧を描きながら再び、悪魔王へ迫って来た。
あたりに血漿のような匂いが充満する。生魚の内臓を裂いた時のような嫌な臭いだった。
「おお・・おのれ、良くも余の身体に傷をつけたな!!」
怒声を含んだ老人の声が響いた時、空気の刃が老人の首を跳ねた。
「爺さん!!」
思わず僕は叫んだ。
老人の頭がゆっくりと首からずれて地面に落ちた。
それはドスンと重い音がした。
「おい!!爺さん、いや悪魔王!!」
僕は急いで駆け寄る。
すると突然黒い塊が僕の身体に一斉に纏わりつく。
「お、おい・・!!・・ん、何だ!!」
言い終わるや激しい衝撃音が僕の身体に響いた。
空気の刃が僕の身体にぶつかったのだ。それを黒い塊がまるで鎧のように僕を守ってくれたのだと分かった。
弾かれた刃は再び空へと弧を描いて上昇していく。
あ、
じゃぁ・・・
ということは、
これは悪魔王の意思・・・
僕の思いに呼応して声がする。
「慌てるでない。余はこれぐらいで死んだりはせぬ」
蝙蝠の翼で空に羽ばたきながら、猫がニャーと甲高く鳴いた。
するとその声に呼応して、黒い塊が僕の側を離れて、一列に並んだ。まるでそれは小さな軍隊の兵士のようだった。
それが見事な隊列を組んで猪熊に向き直った。
地面に転がる首が僕に言う。
「こら、早く持たんか。これでは雨で濡れて気分が悪い」
僕は急いで老人の首を持った。
老人が言う。
「こだまよ、余の王冠を被るが良い」
え・・?王冠?
僕は言われるまま恐る恐る王冠を被った。すると突然身体の四肢の隅々に巨大な力が満ち溢れてた。
それは点滴を打たれた時のようにくするが血管を流れるような感じじゃない。何か魂の殻がはじけ飛んで、新しい摩訶不思議な力がリンクするような、いや、これを言い換えれば同期すると言った方が良いのか
な、なんだこれは!!??
「余の力をお前と同期させた。つまりシンクロということかな」
頭脳の中に様々な螺旋状の数式やら言語やら、今まで人間として感じたことのないものが駆け巡っている。
これって・・
なんなんだよ‼!
全く知らないことを沢山、知ってるんだ・・知らないことなんてないんだ。
頭が空っぽにならない。
何もかも知っている。
知っているんだ。
「当たり前だ。神とリンクするということはこういうことだ。お前は神とリンクした数少ない人間となったのだ」
僕は目を見開いた。
自分でもわかる。
目が・・黄金色に輝いている。
僕は空を見た。
悪魔王の首を跳ねたあの刃を見つけた。
僕はゆっくり手を伸ばすと、それを掴む様に握った。
バンッ!!
激しい衝撃音と共に刃が消えた。
「うわぉ!!」
僕は驚いて思わず、声を上げた。
これが・・
悪魔王、いや古代神とリンクした力なのか。
僕は猪熊に振り向きざま、石を投げるように腕を不意打ちに仕掛けた。
バンッ!!
音と共に猪熊の眼鏡が吹き飛んだ。
僕の意思の塊が猪熊に命中した。
猪熊の眉間から一滴の血潮が流れてくるのが見えた。
その血潮の下で猪熊の相貌がゆっくりと黄金色に輝きだすのが見えた。
いよいよ、最後のギアを入れたのだと僕には分かった。
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