第31話 ジキルとハイド……3

「あんたら、教会や冒険者ギルドと仲が悪いのか?」

「違います。一方的に恨まれているだけです!」


 衛兵は、隊長の名誉を守ろうとするように熱を入れて話した。

「ファキエース隊長は強きを挫き弱きを助ける正義の味方です! しかし、その一方で悪には誰が相手でも容赦も遠慮もなくて、以前、神父の汚職を見逃すことなく糾弾したのです。町の人たちは喜びましたが、それ以来、教会勢力は保安隊に非協力的で、冒険者ギルドにも圧力をかけているのです……これは逆恨みだ! それが神に仕える者のすることですか!」

「私に言われても困るよ」


 ファキエースの影響か、衛兵も負けず劣らず、正義に熱い人のようだった。


「確認ですが、貴方は冒険者ギルドから、何も聞いていないので?」

「私はフリーだからね。連中の都合なんて知らないよ。では報酬は金貨5000枚でお忘れなく」

 言うや否や、ノックスはセイクリッドバーストをファキエースにブチ込んだ。


 心の準備が出来ていなかった衛兵は小さな悲鳴を上げる。


 ファキエースの身体から、黒い煙が噴き出す。


 煙は天井近くで徐々に犬の形を取り、けれどノーフェイスドッグという名前の通り、顔が無い。

 目も鼻も口も無く、まるで、作りかけの彫刻だ。


「い、犬の幽霊!?」


 騒がしい衛兵は無視して、ノックスは、ノーフェイスドッグが次の行動を起こす前に、二度目のセイクリッドバーストを放った。


「■■■■■■■■■■」

 ノーフェイスドッグが空中でのたうち回ると、病室に不気味な音が響いた。

 口が無いので、悲鳴か疑わしい。

 まるで嵐の日に外から聞こえる轟音のような響きが、病室を満たした。


 けれどそれはほんの数秒。


 ノーフェイスドッグが浄化の光で雲散霧消すると、音はやんだ。


 同時に、ファキエースは全身を弛緩させて、動かなくなる。


「隊長!」

 すぐに、衛兵が駆け寄り、安否を確かめる。


 ファキエースは呼吸をしていた。それも、苦しみから解放されたように、晴れやかな顔でだ。体の体毛も、みるみる雲散霧消し、人の肌が現れていく。


「おぉ、隊長……感謝しますぞ、ノックス殿!」

 衛兵は熱い握手を求め、ノックスに感謝を示した。


「どういたしまして」


 チョロイ仕事に、ノックスの声はやや軽かった。



   ◆



 その日の夜。ノックスとルーナは、保安隊の客室に宿泊させて貰った。


 客室は、貴族や軍のお偉いさんなどを招く時に使われる部屋なので、立派な造りだった。

 まるで下級貴族の部屋か、高級宿の一室だ。


 夕食にと運ばれてきた食事は、わざわざ町で一番のレストランのシェフを呼んできて作って貰った、贅沢なものだった。


「では、ゆっくりと味わってください。ヒーローの恩人に感謝を」

 そう言って、シェフは笑顔と共に退室した。


 七面鳥の丸焼きにキノコのソテー、季節の野菜と果物のサラダ、鹿肉の赤ワイン煮込み、一見すると普通に見えるシチューも、一口食べると、その味の豊潤さに頬が緩んだ。


 どれも、昼間に酒場で食べた料理とは格が違う。


「おいしいね♪」

「ああ、確かにこれは上手いよ……しかし気になるな」

「隠し味が?」

 お人形さんのように可愛く小首を傾げるルーナに、ノックスは難しい顔を返した。

「料理の話じゃない。ファキエースのことだ」

「でも、ノーフェイスドッグは師匠が退治したんでしょ?」

 ルーナは、鹿肉をフォークに刺しながら尋ねた。


「そうだが、ノーフェイスドッグは誰にでも憑りつくわけじゃない。あれは、強い本能的欲求に惹かれるんだ」

「本能的な欲求って、たとえば?」

「端的に言えば欲だよ。金が欲しい、出世したい、そして、あいつを殺したい、とかな」

「種の保存に関する欲求も?」

 甘い声音で囁きながら、ルーナはなまめかしく鹿肉にキスをする。


 桜色のくちびるを、いやらしく鹿肉にはわせて、ぱくりと口に含み、これまた煽情的な舌の動きでくちびるをなめた。


「彼は何が理由で憑りつかれたんだ?」

 だが、ノックスには効果がないようだ。


 ルーナは、くちびるを尖らせてすねた。

「むー、師匠のいぢわるぅ、そんなの一見真面目に見えて実は裏ではってパターンでしょ?」

「まぁ、そうなんだが、ノーフェイスドッグは生半可な欲望じゃ憑りつかない。それこそ、狂気のレベルの欲求でないとな……市民や仲間にバレず、いったい……」


 ノックスが真剣に悩み始めると、ルーナはナイフとフォークを進めた。

「ほらほら、早く食べないとせっかくの料理が冷めちゃうよ」

 ルーナは、次々料理を口に運び、おいしそうに食べていく。


「ん、そうだな。ファキエースが何を隠していようと、私らには関係ない」

「そうそう、ファキエースさんが隠れロリコンだろうとハードゲイだろうとケモナーだろうとあたしたちには関係ないんだから」

「関係ないというか関わり合いたくないな……」

 ノックスは下唇を突き出した。



   ◆



 翌朝。保安隊詰め所の玄関で、ノックスはファキエースに深くお礼を言われていた。

「ありがとうございますノックス殿。貴方は私の命の恩人だ」


 美しい金髪を揺らす、ファキエースの精悍な顔立ちは血色がよく、昨日とはまるで別人だ。

 はつらつとした瞳には、隠し事などない、清廉潔白な輝きが満ちている。


「こちらもこれが仕事だからね。礼を言われる程のことじゃない。礼は貰いますがね」

「勿論です。ノックスさんに約束のものを」


 ファキエースの指示に従い、部下の衛兵が、金貨の詰まった革袋を差し出した。


 受け取ったノックスは、その重みと音だけで金貨の量を確認して頷いた。

「確かに。では、我々はこれで」

「はい、またどこかで!」


 ノックスとルーナが背を向けて立ち去っても、ファキエースは二人の姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振り続けていた。


 そして、二人を見送る瞳には、早くも正義の炎が灯っていた。

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