第30話 ジキルとハイド……2

「おい、あの人、魔法が使えるみたいだぞ」

「でも、冷やしただけだし」

「聞くだけ聞いてみろよ」


 ――なんだ? 魔法が珍しいのか?


 確かに魔法は珍しい技能だし、使える人は少ない。それでも、どこぞのド田舎ならともかく、町の警備隊にだって、攻撃魔法の使える人くらいいるだろう。


 やや不穏な気配を感じながらも、ルーナ目当てに近寄ってきた二人を意識する。

レアステーキを切り取る、ご機嫌なルーナを眺め思う。


 真珠のようにつるつるの白い肌、金糸のような髪、サファイアのような青い瞳、顔立ちはやわらかみのある美人で、おまけに同じ女でも劣情を抱きそうな、豊満なバストとヒップ。


 やはり、もっと地味な服か、ボディラインを隠すような服装にするべきか。

 幸い、今は初秋。

 これからは気温も下がる。

 この後、服屋に寄ろう。


 ノックスがそう決意すると、何人かの客が寄って来た。


「あんた凄いな。お礼を言わせてくれ」

「こいつら、いっつも女の客に絡んで、みんな迷惑していたんだ」

「ファキエースさんが寝込んでいるから、調子に乗っているんだよ」

「ファキエースさん、早く復帰してくれないかな」

「あの人がいないせいで町の治安は悪くなる一方だよ」

 最初は笑顔の客たちも、最後は結局、肩を落として溜息をついた。


「だぁれ、その人?」

 疑問符を投げかけるルーナに、客たちは一度、瞬きをした。


「そういえば見ない顔だな。外の人か?」

「ああ。流れ者の傭兵だ。世間では双黒のノックスって呼ばれているよ」

「そしてあたしは未来の奥さんのルーナだよ♪」


 えへん、と立派な胸を張るルーナの頬を、本当はつまみたかったのだが我慢した。

 これだけの人が注目する前でそんなことをするのは、ちょっと以上に可哀そうだからだ。


「彼女は弟子のルーナだ。それで、ファキエースとは?」

「やぁん、冷たくしないでぇ~」


 嬉しそうな顔でノックスに手を伸ばすルーナの額を押さえながら、ノックスは客たちの返事を待った。


「ファキエースさんは保安隊の隊長さ」

「強くて頼れる、この町のヒーローだよ」

「しかも、彼に成敗された悪党は、必ず更生するんだ。教育者としても一流なんだ」

「でも、先月からたちの悪いモンスターに憑りつかれちまって」

「モンスターには、魔法しか効かないとかなんとか」


 ヒーローの休場による治安の悪化。

 町の人々に笑顔が無いのはそれ原因かと、ノックスはあたりをつけた。


「おい、旅の人にまで愚痴るのはやめようぜ」

「そうだぜ。今までがファキエースさんに頼り過ぎだったんだ。保安隊とは別に俺らで自警団を作ろうって話も出ているし」

「ファキエースさんが回復するまで、この町は俺らで守ろうって奴は少なくないぜ」

「そうそう、肉屋の親父なんて、肉切り包丁で戦う練習しているぞ」


 話を聞くだけでも、ファキエースという男がいかに立派だったかわかる。

 一度会ってみたいと、ノックスは少し興味を惹かれた。


「不逞の輩はここですかな?」


 酒場のドアをくぐり、腰に剣を挿した衛兵たちがやってきた。


 氷漬けのあばば状態の男たちを目にするや否や、その目を丸くして驚いた。


「これは、いったいどこの御仁の仕業か?」

「私だ」


 ノックスが軽く手を挙げると、衛兵はルーナには目もくれず、ノックスに詰め寄った。

「貴方は魔法使いですか?」

「ああ。そんなもんさ」


 素っ気なく答えるノックスに、衛兵はさらに顔を寄せて、小声で尋ねる。


「では、浄化魔法は使えますか? お化けなんかを退治する」

「使えるよ。幽霊も悪魔も私の敵じゃない」


 衛兵の目が輝いた。

 それから、やや興奮気味にまくしたてた。


「でで、では食事が終わりましたら、是非とも保安隊詰め所へお越しください。貴方にお願いしたいことがあります」

「わかりました。では、外で待っていてください。すぐに食べ終わります」


 話が早くて助かる。

 ノックスは、この幸運を何かに感謝しつつ、頷いた。



   ◆



 ノックスとルーナが通されたのは、保安隊詰め所の奥にある医務室、さらに、その一番奥の病室だった。


「隊長、祓い屋を連れてきました」


 衛兵が扉をノックしてから、ゆっくりと開けた。


 祓い屋じゃないんだがね、と思いながら、ノックスは目に飛び込んできた人物に意識を引かれた。


 ベッドの上に寝ていたのは、黒い体毛に覆われた男だった。


 下着のシャツとパンツから伸びる手足は黒い毛に覆われて、胸毛も濃い。

 元は金髪だったであろう髪は、その下半分が黒く染まっている。

 苦しそうに呻き、食いしばる歯は、犬歯が牙のように伸びていた。


「彼は?」

「我々の隊長、ファキエース殿です……」

 衛兵は、残念そうに肩を落とした。


「確認だが、彼は人間か?」

 半獣人と化しながら苦しむ男をあらためながら、ノックスは尋ねた。


 この世界には、獣としての特徴を持った人、人のような特徴を持った獣が存在する。

 獣人、半獣人、擬獣人。

 種類は様々だが、彼はそのどれとも違うように見える。


「もちろん人間です。ですが、先月、突然胸を押さえて苦しみだしたかと思うと……」

「ふむ」


 ファキエースの身体を、ためつすがめつ、じっくりと観察する。


 苦しみに目を閉じ、呼吸は荒れている。秋だというのに、額には汗が滲んでいた。


「こいつはノーフェイドッグだな……ルーナ、念のために確認を」

「らじゃ」


 ノックスの指示を待ってから、ルーナは妖精眼でファキエースを検分する。


「うん、師匠の見立て通り、ノーフェイスドッグだよ。この分だと、二、三日中には完全な獣になっちゃうと思う」

「なんですと!?」

 衛兵は、頭を抱えた。


「ノックス殿、なんとかならないのですか?」

「そりゃなるが、何故こんなになるまで放っておいた? ノーフェイスドッグは中級のゴーストだ。教会に依頼すればいいだろう?」


 ゴーストとは、生物的な肉体を持たず、霊的な体、すなわち霊体だけのモンスターを指した言葉だ。


 その体に物理的な攻撃は効かず、魔法、特に浄化魔法が有効となる。


 浄化魔法は、アンデッド、ゴースト、悪魔などを滅する魔法で、これらのモンスターにとっては効果覿面だ。


 そして、教会には、浄化魔法の使い手が多く在籍している。


「それが、断られまして……」

「断った? 冒険者ギルドは?」

「そちらにも、その……」

 衛兵はうつむき、言いにくそうに言葉を濁らせる。


「……なら仕方ないが、私は高いぞ。いくら隊長でも払えるのか?」

「隊長は町のヒーロー、いえ、もはやシンボルです。治療して頂けるのであれば、町から金貨を4000枚でも5000枚でもお支払い致します」

「そいつは景気がいいな。でもそんなに払っていいのかい?」

「はい。教会と冒険者ギルドにもその額で断られましたから」

「なんだって?」


 流石のノックスも、訝しまずにはいられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る