第27話 やりたいこともやれない人生より太く短い人生を……4

 

 翌日の夕方。


 病院の食堂で、ルーナはもそもそとサラダをつまみながら、ノックスを見つめる。

「ねぇ師匠……本当にフロンス君の治療しないの?」

「しない。本人が望んでいないからな」

 コーヒーを飲みながら、ノックスはクールに答えた。


「でもさっきの顔色見たでしょ? 昨日よりも悪くなっているじゃないっ」

「鑑定眼で見たよ。損傷した内臓からの出血が血だまりを作った周辺の臓器に悪影響を及ぼしている。すぐに血だまりを抜いて臓器回復を行う必要がある。」


 ルーナは語気を強めるも、ノックスは仕事の予定を伝えるように無感動だった。


「ならどうして治してあげないの? 本人が望んでいなくても、このままじゃ死んじゃうんでしょ?」

「だが、いま治せばお前はフロンスに一生恨まれるぜ? 画家にとって創作活動は命より重いんだ」

「恨まれてもいいじゃない。死んじゃったら、恨むこともできないんだよ!」


 患者の救済を訴えるルーナを、ノックスはじろりと睨んだ。

「人間はな、生きてさえいればいいわけじゃないんだ」

 戦時にも近い、迫力のある声だった。

 思わず、ルーナは気圧されて縮こまってしまう。


「彼はあの絵を完成させることに命を懸けているんだ。あの絵を描けなければ生きてはいけないだろう。ただ死んでいないというだけでな。お前は、それでも彼を治すというのか?」

「それは……」

「人間てのは、ただ助ければいいものではないし、何が助けになるかも見極めなければならないんだ……時に、善意は人を苦しめる」

 途中から、ややムキになりながら語るノックスは、そんな自分に気づいてハッとした。

「……とにかくだ、大事なのは相手の気持ちを考えることだ。わかったな?」


 噛んで含めるように言いつけられたルーナは、納得できない感情を押し殺すように俯いた。



   ◆



 植物も眠る深夜。


 月明かりだけが頼りの廊下を、ルーナは猫のように音もなく歩いていた。


 音を立てないよう、気配を消しながら、息も殺して、病室のドアを静かに、ゆっくりと開いた。


 首尾よく忍び込んだルーナは、フロンスのベッドに視線を巡らせて、そこに立つ人影に気付いた。

 ルーナはぎょっとして、心臓が止まるような思いをした。



 まるで、いたずらの現場を親に見つかった子供のように体を硬直させるルーナを前に、人影は消音魔法を使ってから、彼女をさらうように抱き上げ、病室の外に出た。

 そのまま人影は、ノックスとルーナに提供されている部屋に戻った。


 抱き上げられたルーナは抵抗しない。

 人影の温もりを知っているからだ。


 人影、もといノックスは、ルーナをベッドの上に下ろしてから、光魔法で部屋を照らした。

 凄味を含んだ表情が下から照らされて、より一層、迫力が増す。


「こんなことだろうと思って張っていた甲斐があったよ。ルーナ、お前、フロンスに何をしようとした?」


 わかっているくせに、けれどノックスは、それをルーナ自身の口から言わせようとする。


「そ、それは……」

 何度もノックスの顔色をうかがいながら、ルーナは両手の指を絡めて、泣きそうな顔で答えた。

「死なない程度に、ちょこっとだけ治そうかなって……」

「何故そんなことをしようとした!」

 明確な怒気を孕んだ声で、ノックスは叱りつけた。


「だ、だってあのままじゃ本当に死んじゃうでしょ! 痛みが残っていればいいんでしょ? じゃあいいじゃない、死なない程度にちょっとだけ治せば!」

 瞳を潤ませながら、ルーナは必死に訴えた。


「違う、日に日に悪化する苦痛とそれによる絶望が、彼に最大のインスピレーションを与えているんだ! どうしてそれがわからない!?」

「だって……だってぇ……」

 言い返せないのが悔しいのか、ルーナは力なく視線を伏せ、声もしぼんでいく。


「明日、一緒にフロンスの部屋に行くぞ。そこで、彼の作業を見守るんだ……」


 そう言って、ノックスは自分のベッドに横たわった。


 ルーナも、自分のベッドに力なく横たわった。



   ◆



 翌日。

 新たに運ばれてきた患者を次々治療して、ノックスとルーナは仕事を午前中に終わらせた。


 そして昼。

 ノックスが調合、と言ったら大袈裟だが、人体に吸収しやすいよう、塩と砂糖を混ぜた水溶液入りの水差しを手に、二人はフロンスの病室を訪ねた。彼の体では、固形物を消化できないのだ。


「そろそろ喉が渇いたろう。休憩するといい」

「ありがとうございます、でも、後でいいですよ」


 土気色の顔で断るフロンスに、ノックスは水差しの先端を差し出した。

「回復魔法を断るなら、せめてこれぐらい飲め。でないと絵を完成させられずに死ぬぞ。それは困るだろう。ほら、飲ませてやる。人肌に温めたから飲みやすいぞ」


 仕方なく、フロンスは水差しに口を付けた。


 ノックスがゆっくり、太陽が昇るように水差しを傾けると、フロンスはおいしそうに水溶液を飲んだ。


「ふぅ、ノックスさんの作る塩砂糖水は美味しいですね」

「それは良かった」


 心の中で、「私流のスポドリさ」と付け加える。


「今日はここで絵を描くところを見物させてもらうよ。邪魔かな?」

「いえ、心強いです」


 部屋の椅子をずらすノックスに、彼は微笑んだ。

 その、苦し気な笑みに耐えられなくなったのか、ルーナが作り笑顔で強引に口を挟んだ。


「あ、でももうほとんど塗り終わっているじゃない。あとちょっとだね」

「いや、これからが本番ですよ」

「え?」

 ルーナの疑問符に、ノックスが答える。

「前にも言っただろう。油絵の具は、何度も重ね塗りをして深みを出していくんだ。塗り絵みたいに色を付ければ終わりじゃない。画家の中には、自分が死ぬまで数十年間も絵の具を描き足し続けた人もいるんだ」

「そんな……それじゃあ、いつ終わるの?」


 色を失った声を上げるルーナに、フロンスはやせ我慢をするように、笑って見せた。


「僕が、満足するまでですよ……」

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