第21話 言うは易く行うは難し……3

 酒場で夕食を済ませた二人は、村長の家を訪ねた。


 ドアを開けた村長は、ノックスの顔を見るなり、目を丸くした。

「貴方は先ほどの、どうされたのですか?」

「なに、ただの営業と好奇心だよ。上がっても?」

「……はい、どうぞお上がり下さい」


 最後の夜なら、家族水入らずで過ごしたいかとも思ったが、家に上げるということは、息子の救済を諦めきれていないのかもしれない。


 村長に導かれるまま、ノックスとルーナは応接室に通され、ソファに腰を下ろした。


「さっそくだが村長。魔神との取引は、あんた自らが?」

「はい……恥ずかしながら……」

 まるで、毒を飲み干すようにして、村長は重く頷いた。


「どうしてまたそんなことを? 魔神に脅されたわけでもないのでしょう?」

「……当時の私は馬鹿でした。いくら追い詰められていたとはいえ、あんな……」

 罪悪感に圧し潰されそうになりながらも、村長はそれこそが贖罪であるかのように、罪を告白した。

「この村は、今でこそ豊かですが、20年前は本当に酷いものでした。村の周辺は湿地帯だらけで、わずかな耕作地帯も、年々やせ衰え、何年も飢饉が続きました」


 村長が言っているのは、おそらく連作障害だろうと、ノックスは当たりをつける。

 作物によって、土から吸収する栄養分は違う。


 だから、同じ作物ばかり育てていると、土から特定の栄養分だけが吸収され続けて、土が痩せてしまうのだ。


 これを防ぐには、育てる作物の種類を毎年変えるか、作物を育てず、土地を休ませるのが良い。


 けれど、耕作地帯の少ないこの村では、土地を休ませている余裕が無かったのだろう。

 来年再来年のことを考えれば、今年は土地を休ませなければならない。


 だが、今、作物を育てなければ、今年の冬を乗り切れず餓死してしまう。

 そんなことが毎年続けば、土地は痩せる一方だ。


「毎年多くの村人が死にました。私の兄も、妹も、仲間たちも、みんな、何も悪いことをしていないのに……あんなにも懸命に働いていたのに……」


 村長の目には涙が浮かび、声も潤んでいく。


「このままではいずれ、残った兄弟たちも死んでしまう。それも無意味に……だから魔神に、将来生まれる子供と引き換えに豊作を約束すると言われた時は思ったのです。どうせ全員死ぬなら、一人の死で全員が救われる方がいいと」


 それから、村長の声から力が抜けた。


「その後の20年は、本当に幸せでした。それが偽りの安寧だとも知らずに……村は豊作に恵まれ、税を納め腹を満たしても麦はあり余り、麦を売った金で村は豊かになりました。かつての生活を忘れるほどの幸福に、私は浮かれ、妻を持ち、子を作り、裕福な暮らしの中で、魔神なんていないのではないか。生贄の話は何かの間違いなのではないか。そんな都合のいい妄想の中で生きるようになりました、けれど」


 昔を懐かしむような、穏やかな声から一転、村長の声は恐怖に震えた。


「三日前、突然村の上空に魔神が現れ言ったのです。四日後の正午に、約束通り村長の息子を貰うと。私は自分の愚かさを呪いました。今の幸せが永遠に続くと思い込んでいたのですから」


 膝の上で握り拳を作り、村長の目からは大粒の涙が溢れ出す。


「心のどこかでは気づいていました。この子は将来、魔神の生贄にしなければならないと。けれど、幸せな生活に浸かる中で、私は息子を愛していました。どうしようもなく! 妹や弟たちと同じように、それ以上に!」


 涙と一緒に熱い言葉は止まらず、村長は嗚咽を漏らしながら話した。


「むしのいい話だと自分でも思います。自ら魔神と取引して! 20年も贅沢をさせて貰いながら、いざ対価を支払う時になってからゴネるなど! それでも、それでも私は!」

「なら、魔神を討伐すればいい。料金の後払いは受け付けますよ?」

「ですがそれでは村が滅びます。妻も、兄弟も! 息子一人と、村の全員を天秤にかけて選べなど……私には!」

「…………」


 私腹を肥やすために子供を犠牲にするような親に助ける値打ちはない。同じように、息子可愛さに大勢の他人を犠牲にする親にも、助ける値打ちはない。それがノックスの考えだ。


 だから、どちらにせよ、村長を助けるのは気が乗らないのだが、村長はどちらでもあり、どちらでもなかった。


「子供を守りたい、村を守りたい、そして暮らしも守りたい……か」

 村長とは対照的に、ノックスの声音は酷く冷淡だった。

「人間て奴ぁ面倒だよ。楽を覚えるとそれが当たり前になって、元に戻ることに耐えられない。まぁ、それは私も同じだけどな」

 一瞬だけ、隣でお行儀よく座っているルーナのことを意識してから、ノックスは提案した。

「いっそ、家族でこの村を出ることを考えては?」


 村長は、力なく首を横に振る。

「無理ですよ……我々は、朝起き畑の世話をして眠る以外の生活を知らないのです……」


 わがままにも思える村長の返答に、だがノックスは侮蔑の感情を抱かなかった。


 【価値観】というものは、呪いに近い。


 情報に溢れた環境で育ち、広い世界を知る人からすれば、村長の発言は酷い怠慢に聞こえるだろう。


 だが、農村の中で完結している人生を歩んできた人にとっては、それが全てなのだ。

 村の外は、他の職業は……外国どころか人外魔境の異界でしかない。

 文明人が、無人島に放り出されるのに等しい。


 村長家族が財産を処分して街に出て、海千山千の商人たちに騙され身ぐるみを剥がされ路頭に迷うという、最悪の想像をノックスが膨らませると、応接室のドアが開いた。


「ピルス!?」

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