コンティニュー
風紀委員――昼のミーティング。
宿題をしっかりと提出した私は、風紀室にいた。
ホワイトボードの前に立った玲華先輩が文化祭に向けたこれからの活動内容の説明をしている。まだ玲華先輩のことを見ると辛い気持ちになるのは変わらない。
文化祭も体育祭と同様、警備がメインになるそうだが、文化祭ではここに来客者対応というものが追加される。道案内や入場の受付などである。中高一貫校なこともあって、今回は中学の校舎にも足を運ばねばならず警備の範囲も広がる。
外部からのお客さんに関しては来るっちゃ来るが、学院の治安維持とかなんとかで生徒の招待制をとっているそう。私は招待する人はいないので関係のない話だが。
本当なら私がこの前出席するはずだった会議でこのことは聞けただろう。
書記として私の代わりに参加してくれた洋子の方を見る。会議に参加したにも関わらず玲華先輩の話に真面目にメモを取っていた。書記としては適任だ。
ミーティングが終了して続々と風紀室から生徒たちが出て行く中、自分も席を立とうとすると千夏先輩は私が座っている席に一枚の紙を置いた。
「未来ー。ここに名前書いて」
紙は半分に折り曲げられていて、かろうじて名前を書く欄だけが見えた。
「なんですか」
「いいから書くのです。書かなかったら呪われるらしいよ」
「誰にですか」
「あたしに」
「……分かりました」
怪しすぎるが呪われるのは嫌なので促されるまま名前を書くと、千夏先輩は嬉しそうにその紙を受け取った。
「あの、本当に何なんですか?」
「いやー未来が素直な子で助かるなぁ。バンドのボーカルやってくれるなんて」
そう言いながら千夏先輩は折り曲げられた紙を元に戻した。三園女子学院文化祭バンド申込書と書かれている。
「は!? バンド!?」
「カラオケ行って確信した。ボーカルやってもらおうって」
文化祭ではメインステージたるものがあって、生徒たちはそこでライブやダンス、漫才、隠し芸の披露など多岐に渡る出しものを行う。
プロのミュージシャンもゲスト出演するということで、ライブ演奏は毎年かなりの盛り上がりを見せるという。
「そんな急に……千夏先輩が歌えば良いじゃないですか。上手いんですし」
約1か月後に控えた文化祭。今から練習して間に合うものなのだろうか。あんまり目立つのは好きではないし、自分に務まるのか少し不安だ。
「あたしはドラムだからー。ボーカルはいたんだけど夏休みに骨折してライブどころじゃなくなっちゃって代理探してたんだよねー。あ、もう名前書いちゃったから拒否権はなしね」
「いつも強引すぎますよ……」
そういえばメインステージ出演者募集なんて書かれたポスターが玄関口に貼ってあったっけな。うちの学校にも軽音部はあるので、そこに所属している生徒が中心となって応募をしているようだ。
千夏先輩は友達が多いので、軽音部から何人か引き抜いて文化祭用のバンドを組み、夏休み前から時間を決めて練習していたんだそう。
千夏先輩は去年は不参加だったらしく今年は相当気合が入っているようだ。
私がボーカル……。多少歌は得意なのかもしれないと思っていたけど突然すぎて動揺を隠せない。千夏先輩のライブで見た秋さんの素晴らしいパフォーマンスを思い出していた。私がやったら棒立ちになってしらけそう。ちょっと検討させて欲しいのだけれど。
「んじゃ、ちょっくら他のメンバーにも名前書いてもらって生徒会室出してくるー」
「ちょ……」
光の速さで千夏先輩は私の前から去っていった。こりゃ私が何言っても聞いてくれないな……。
風紀室内には玲華先輩が1人残っていた。なんとなく気まずい。私も一礼して風紀室を出ようとした。
「宿題は出したようね」
玲華先輩は落ち着いたトーンで話しかけてきた。思わずビクっと体が反応してしまう。
平然でいこう。今まで通りに普通に話せるよう心を落ち着ける。
「はい、なんとか。千夏先輩に手伝ってもらったこともあって。提出が遅れてすいませんでした」
無理に口角を上げて笑って見せた。
玲華先輩は鋭い眼差しのまま腕を組んだ。
「千夏と勉強したのね」
「はい」
勉強というよりは解答を写すし、ケアレスミスに見せかけた解答を作るしで、とてもじゃないが勉強したとは言えないのだけれど……。
「あなたは私と勉強すればモチベーションが上がると言ったわ。どうして一言声をかけてくれなかったの?」
「いえ……えっと……」
そういえば私のことを風紀室で待っていてくれていたって千夏先輩から聞いた。それなりに心配してくれていたんだろう。それ自体は嬉しいことだが、私を1人の後輩として心配していただけに過ぎない。そんなことは分かっている。今の私にとっては素直に喜べることではない。
「千夏と一緒の方がモチベーションが上がるということ?」
「そういうわけじゃないです……突然千夏先輩が家に押しかけてきたのもあって……」
「家?」
「はい」
しばらく沈黙が続く。なにこの空気。
「私はあなたに避けられているように思う。それがどうしてか知りたい」
玲華先輩は溜息を吐きながら伏し目がちに言った。
私は玲華先輩のことを嫌っているわけでは決してない。ここは誤解を解きたいけれど、避けていないとはやはり言い切れない。玲華先輩に近づくと苦しくなるから。しかし、さすがにここで面と向かって正直に避けていたとは言えるわけもなく。
「避けてなんてないですよ……」
「嘘」
「嘘……じゃないです」
「未来、正直に答えて」
「……」
こういうモードになると玲華先輩は逃がしてくれない。私が隠し事をしようとするといつも玲華先輩に見抜かれてしまう。
もう正直に言うしかないか。言い訳を考えるほど私は元気ではなかった。
「玲華先輩って彼氏いるんですよね」
「……! 誰がそんなこと言っていたの」
玲華先輩は目を見開いた。
「誰かから聞いたんじゃなくて、見たんです。彼氏と校門前で合流してるところ。夏休みが終わるくらいの時に」
「……それを見たから、あなたは私を避けたということ?」
玲華先輩の表情は険しくなった。
「避けたというか……落ちこんでたっていうか……」
「それは私が校則を破ったと思ってショックだったから?」
「それも多少はあるかもしれませんけど違います。……私、玲華先輩のことが好きだったみたいなんです」
「……。その好きって……」
強気な口調だった玲華先輩の声は急に小さくなった。
「はい、玲華先輩とだったらキスできるって意味での好きです」
「キ……っ」
玲華先輩は自分の口元を押さえて固まった。
流れで大胆な告白してしまった……。落とすための手段としての「キス」というカードならこれまでも使ってきたが今回は違う。自分からしたいとちゃんと思った。
玲華先輩の顔が赤くなっていくのが見える。あんなに学院にファンがいるんだ、告白の1つや2つくらい受けたことがあるだろうに、なんでこんな驚いた顔してるんだろう。
深呼吸してこれから言うことを頭の中でまとめる。
「私、人の恋愛には口出さないって決めてます。だから玲華先輩がそれが正解だと思うなら応援します。最初は落ちこんだけどもう吹っ切れましたし私大丈夫ですから。いつも通りです。これからは玲華先輩の迷惑にならない程度に頑張っていこうと思ってます」
これにて私のゲームは終わりだ。これはクロージングの呪文。
自分で言ってて切なくなるけれど、これで良い。未練があるって思われると面倒なことになりそうだし。
「……誤解よ」
玲華先輩は口元を押さえていた手をゆっくり下におろした。顔は真っ赤なままだ。
真っすぐな眼差しがこちらに向けられる。
「誤解?」
「勘違いしているみたいだけど、あなたが彼氏だと思っている人は私の兄」
へ?
兄?
「え、でもお兄さんは亡くなったんじゃ……」
「私には兄が2人いるのよ」
思い返してみると、亡くなったのは2番目の兄って前に言っていたような。
彼氏だと思っていたのは玲華先輩の一番上のお兄さんだったということ……!?
あのイケメンの風貌、勘兵衛を思わせる完璧な佇まい。私が勘兵衛推しなのは、勘兵衛が玲華先輩に雰囲気が似ているからだったし、玲華先輩の兄弟ということなら納得してしまう。
頭が真っ白になった。思考が追い付かない。玲華先輩には結局彼氏がいなかった? ……私はただ勘違いして自爆していただけだったということ? それで食事も喉を通らなくなる程落ち込んでいたと……。
「私が校則を破るわけがないでしょう、バカなの?」
「……バカかもしれないです」
どうしよう。逃げ出したい。変な勘違いをした挙句、告白までしてしまった。どうすんのこれ。
「1つ質問があるわ。好きだったと言ったけれどそれは過去形?」
この質問は困る。頭が回らない。
きっぱり諦めるつもりでいたけれど、私がただ勘違いしていたということなら話は違ってくる。
私が好きだったと過去形で言ったのは、玲華先輩に彼氏がいると思っていたからだ。それが彼氏じゃないと分かった今、自分の感情に改めて向き合う――
「現在進行形だったら、私を避けますか?」
「私は誰かを避けるということはしない」
その言葉に少し安心した。告白をした相手に避けられるという話はよく聞くから。でも玲華先輩にとってはいい迷惑かもしれない。
「私、風紀委員は最後まで頑張りたいです。ここで玲華先輩に嫌われたらどうしようもなく辛い……。だから私の気持ちに応えようと思わなくて良いですから拒絶はしないでやってください……。じゃないと風紀委員続けられないです」
「だから避けないと言っているでしょう」
「ありがとうございます。でも、もう変に近づいたりしませんから。私がいるとやりづらいでしょう? 書記は学期ごとに交代できるって聞きました。2学期からは洋子にお願いしようと思ってます」
「それはダメよ」
間髪入れずに返される。
「どうしてですか」
「あなたがいてくれないと…………困るわ」
玲華先輩の顔の赤みはまだ消えていなかったが、悲しげな目をしていた。
「どうして困るんです? 私は仕事ができる方じゃないですし、たくさん迷惑をかけてきました。書記なら洋子が適任ですし、玲華先輩もスムーズに仕事ができるできると思います」
仕事命の先輩なんだから、仕事ができる人と一緒にした方が絶対に良いと思う。
私もこんなことがあって気まずいし……。
「……勝手に勘違いしたのはあなたでしょう? あなたに嫌われてしまったかと私がどんな気持ちでいたと思っているの。そんな自分勝手な理由で書記を辞めるなんて認めないわ」
玲華先輩の声は少し震えていた。
その声を聞いて我に返る。確かに私は少し身勝手だったかもしれない。
「……ごめんなさい。わかりました。継続して書記をやらせていただきます」
玲華先輩は私を必要としてくれている。
だとするならば書記を交代する理由はない。
「で、過去形なの?」
答えはNOだ。
だって私の目の前に立っている人。自分の感情を抑えようと顔は平然を保とうとしているのに顔が真っ赤で全然隠せていない――こんな顔見たらやっぱり好きだって思ってしまう。
「ご想像にお任せします」
玲華先輩は少しは私のことを好いてくれているのかもしれないが、それが恋愛的なものなのである確率は極めて低いだろうし、自惚れると痛い目に合うというのは今回の件で学習した。
過去に好意があったことは少なくともバレてしまった。恋愛的に好きでもない相手にグイグイと来られるのは良い思いはしないだろう。だから今まで通り「攻略」することはしない。ただ、一緒に同じ時を過ごせるだけで十分だ。彼氏がいないと分かった今、もう終わりだと思っていたゲームが継続できる。それだけで万々歳なのだ。
引退までの残された時を、思い出作りの時間に当てる。この先、風紀委員を引退して先輩の記憶から私が消えても良い。恋なんてできないと思っていた私の中にようやく芽生えた初恋の思い出を残しておければそれで良いのだ。
私は心の中で「コンティニューボタン」を押した。
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