5.1話 違和感
目覚まし時計が鳴っている。
俺は、いつも通り手を伸ばして、音の発生源の上側を手で押した。
途端に、音が消えて部屋が静まり返った。
遠くで車のクラクションが鳴る音が聞こえる。
『依吹、朝よ。起きなさい! 起きないと遅刻するわよっ!』
せっかく目覚ましを止めたのに、今度は部屋のドアが叩かれる。
俺は、いつも通り布団を頭の上まで引っ張って、二度目の眠りに落ちていった。
「おはよ、依吹君。今日も眠そうだね」
「おう、志織か。せっかく二度寝したのに、無理矢理起こされたんだよ、おかげで寝不足だ……」
いつもの通学路。半分寝ながら歩いていたら、後ろから肩を叩かれた。あくびをしようとして口を開けていたけど、反動であくびを呑み込んでいた。
呑み込んだあくびと一緒に、眠気もどこかに飛んでいった。ちくしょう。
「ね、依吹君。今日の授業何か覚えてる?」
「今日? 何か特別な授業なんかあったっけ?」
雲一つ無い青空には、飛行機雲が長く伸びていた。
この時間はまだ涼しいけれど、もう少し経つと日差しに晒された路面が地獄の熱さになっていく。
道を走っている自動車から熱気が伝わってきて、今日も暑い一日になるだろうことは、容易に想像できた。左手に持っているカバンの持ち手が、汗で滑りそうになって、慌てて右手に持ち替えた。
志織が、横に並んで歩き始めた。
俺より頭半分位背が低い志織が、首を傾げながら笑顔で見上げてきた。肩まであるストレートヘアーが、風に吹かれて揺れている。
縁が黒い眼鏡の奥には、少しだけ垂れ目の瞳があって、今日は何だか朝から嬉しそうに見える。
着ている服は、高校指定のセーラー服だ。
夏だけあって上はセーラー服とはいえ、白地の半袖タイプを着ている。生地が薄いからか、うっすらとブラのラインが透けて見えていた。
志織の顔を見て、そのまま自然に視線が下がっていたことに今さらながら気づいて、慌てて依吹は顔を前に戻した。
かく言う依吹も、上には白のワイシャツを着ている。
正直、上を半袖にするなら、ズボンも半ズボンにして欲しかった。この時期だけは、女子のスカートが羨ましくなる。
ふと、志織が通学用の手提げカバンの他に、もう一つ袋を持っていることに気が付いた。
何か忘れているような気がする……。
「あっ! 今日って、水泳があったんだっけ?」
「正解、依吹君ちゃんと思い出せたんだね。持って来ていないように見えるけど、大丈夫かな」
「うわ、やべっ。家に忘れてきた」
「だよねー、このまんまだとまた、梶原先生に怒られるよ?」
「けげっ、鬼梶っ! 悪い、ちょっと家まで行ってくる。先に学校に行っててくれ」
「うん、頑張って行ってきてね。先に学校に行ってるよ。
あ、香澄だ。おはよー、一緒に行こう――」
俺はその場で回れ右をすると、全力で家に向かって駆けだした。
家から学校まで、およそ三十分。
既に十分ほど歩いていたので、全力で駆ければまだ余裕で間に合う距離だった。
こんな時に、魔法が使えたらな――。
高校生になっても、魔法に対する憧れは変わっていない。
それこそ子どもの頃には、テレビでみた魔法使いの真似をして、友達同士で呪文を唱えてヒーローごっこをしていた。テレビの中の大人達が当たり前のように魔法を使っているのに、いつまで経っても魔法が使えるようにならない自分が、不思議でならなかった。
まあ、今なら分かるけれど、テレビの中の魔法使い達は、特撮で色づけされた幻の魔法使いだったわけだ。
昨日、スマートフォンで遅くまで読んでいた物語で、五歳の主人公が難なく魔法を使っていた。
小さい頃から両親に魔法を教わって、既にほとんどの魔法が使えるらしい。
そんな小説を読みながら、やっぱり魔法はいいなって。心から思った。
この世界には、魔法は存在していない。
代わりに、科学技術が発達して、生活のほとんどが魔法と同じように便利になった。積み重ねた先人達の努力の結果、人間は空すらも飛べるようになった。
飛行機に乗って、海を越えて世界中どこへでも旅ができる。
道を走る車は生活を豊かにし、物流が世界中の物を運んで、ここに住んでいながら違う国の食べ物すら食べられるようになった。
そうやって考えると、今のこの世界って魔法よりも凄いんだって思う。
「あら、依吹。忘れ物を思い出せたのね、玲二さんに学校まで持って行って貰おうと思っていたのよ?」
「こら依吹。また忘れ物か? お前の忘れ物につきあっていたら、俺が会社に遅刻してしまうだろう」
「もう、そんなこと言ってると、玲二さんも遅刻するわよ」
「すまん、里奈。行ってくる」
依吹が母親の里奈から水泳道具が入った袋を受け取ると、車に乗った玲二が手を振りながら走り去っていった。
正直、朝寝坊は父親に似たんだと思う。
確か依吹が家を出た時に、奥の方で玲二を起こす里奈の声が聞こえた気がする。
「気を付けてね、依吹なら少し走れば間に合うからね」
「ああ、ありがとう。行ってきます、お母さん」
「はい、いってらっしゃい」
玄関先で手を振っている里奈に手を振り返して、依吹は通学路を駆けだした。
ちょうどさっき、志織と挨拶した道にさしかかった時、歩行者用信号に引っかかった。
道が大通りに面しているからか、ここの信号は待ち時間が長い。
少し遠回りすれば、歩道橋があることは知っていたけれど、そっちをまわっても信号で待っていても全く時間が変わらなかったので、依吹は信号を待つことにしていた。
「おーい、依吹ーっ。珍しいなー、忘れ物かー?」
「あー、樹生か、おはよー。水泳袋ー」
首を横に向けると、クラスメイトで親友の樹生が道の反対側にいた。
依吹が水泳道具が入った袋を頭上で振り回すと、樹生が同じように袋を頭上で回しながら青信号の横断歩道を渡ってくる。
そのまま、何の気なしに横を見て、依吹はゾッとした。
「ちょっ、トラック暴走してるし――」
見れば赤信号の交差点を、大型トラックが突っ込んでくるところだった。
交差する道を走る車が、大型トラックにぶつかって宙を舞う。
そんな光景が、まるで走馬燈のようにゆっくりになった。
視線を戻すと横断歩道には、まだ樹生が袋を振り回した状態で、ゆっくり歩いているところだった。
「樹生っ! 戻れっ、トラックが突っ込んでくるぞっ!」
大声で呼びかけたのに、樹生は聞こえていないのかほとんど動いていなかった。
そうこうしている間にも舞い上がった車が、樹生に向かってコマ送りのように飛んで向かっていた。
そのすぐ後ろを大型トラックも追走してきている。
この時点で、気が付いた。
今動けるのは自分だけだ。
依吹は駆けだした。
鞄と袋をその場で手放して、全力で前へ。
すぐに空気の壁にぶつかって、両手を前に付きだしてその壁を左右にこじ開ける。壁はあっさりと左右に割れて、同時に何か強い力で背中が一気に押された。
助けるのが同級生の、それも同性なことにちょっとだけ苛つきながら、風を纏った依吹はその風で樹生を包み込みながら、左手で樹生を抱えた。
右手は同時に横に伸ばして、すぐそこにまで迫っていた車をそっと後ろに流す。
その勢いのまま、反対側の歩道まで駆け抜けて、勢いを抑えながら纏っていた風を上空に吹き飛ばした。
音が、戻ってきた。
「えっ、依吹……なんで……?」
隣で地べたに座り込んだ樹生が、呆然と依吹を見上げていた。
正直俺にも、何が起きたのか一切理解ができなかった。
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