諭吉さん。一葉さん。英世さん。

 水曜日となった異世界側から、まだ火曜日であるという自室へと帰宅するべく、お姫様の部屋の扉を開く。

 その俺の心は、『今日という日が、とてもいい1日になりそうだ!』そんなふうに心が弾み、お日様がより輝いて見える。

 世界ってこんなに美しいんだねー。


「──おはよう! なんとも清々しい朝だね!」


「あんた、どうしたの……」


 部屋に飛び込んできた俺に、お姫様はなんだかおかしな反応をする。顔がなんとなく引きつっている気がする。

 あと、あれだね。昨夜は見れなかった寝巻き姿を見たかった気もするが、すでにドレスに着替えられており、いつも通りのお姫様になっている。残念だが、まあいいさ!


「なにが? ぼくはいつもどおりだよ!」


「簀巻きにしたこと怒ってるの? だったら謝るから、その気持ち悪いのヤメテ」


「おこってないよ。おんなのこのへやにとまるんだから、あれくらいしょうがないよ」


「うわぁ……」


 俺が言葉を発するたびに、お姫様は2つの意味で引いていく。距離にすると5メートルくらい引いてる。部屋の窓に背中がつくくらい引いてる。というか、窓に背中はついている。

 言ったことは全部本当のことなんだが、どうしたんだこいつは? そんなに簀巻きにしたのを気にしているのか? もう怒ってないのにね。


「んじゃ、本当に帰るから! また夜な!」


「……」


 バイバイと手を振るも、反応も返事もない。そうか、そんなに昨夜のことを悔いているのか……──そうだ!


「今日のおやつは何がいいんだい? あー、チョコレートじゃないケーキだったな。ショートケーキにしよう。せっかくだからホールで買ってこよう! 俺は怒ってない。仲直りとは違うが……美味しいのを食べて気にせずいこう!」


 昨夜、お姫様が鍵をかけたクローゼットの鍵は開いていて、扉は簡単に開く。

 奥にはいつもの暗闇が広がっている。

 暗闇。はて? なにかあったような……。そうか、そういえば。


「これ戻ったら、向こうは夜中のままなんだよな?」





「……そうよ」


 未だにお姫様は距離が遠い。

 むしろ俺が離れてしまったのでより遠い。


「二度寝するか」




「──ちょっと待って!」


 今のお姫様に呼び止められるとは思わなかった。

 なんか超引いてるし。顔も引きつってるし。普通じゃないしだし。


「なんだ? おやつをケーキじゃないのにするのか? 今日もプリンがいいとか?」


「ケーキでいい……──じゃなくて! 昨日、何のために泊めたと思ってんの!」


「何ってお礼の件だろ? ちゃんと貰ったよ。王様には次会った時にお礼言うけど、お姫様からも言っといて! ありがとうございます。かんしゃしていますと」


「……もういいわ」


 お姫様は何故だか落胆しているように見える。今日は朝からどうしたというのだろう。姫的な、あるいは女の子的な事情だろうか?

 後者だった場合、俺には何もしてやれない。本来なら話を聞くことすら躊躇われるが、優しい俺は彼女を無視できない。


「本当にどうしたんだ?」


「あんたこそどうしたのよ?」


「だから、どうもしないって!」


「妙に機嫌良いし。ずっと笑顔だし。ずっと気持ち悪いし。貰ったはずのお礼を持ってなくても?」


 まさか勘づかれるとは思わなかった。

 お姫様は名探偵なんだろうか? 姫探偵とかなんだろうか?

 細心の注意をはらい行動していた俺に、不自然なところなんて、まったくと言っていいくらいなかったはずなのに……。


 ──えっ、全てが不自然だと。何も言ってないのに、なんでわかるの?! これはマズイ。


「本当は今日連れてこうと思ってたんだけど、気持ち悪いから明日にする。夜に来るんでしょう?」


「……」


「なるほど。ボロを出さないように黙ってるわけね? いかにも考えそうなことね」


 マズいぞ。名探偵の推理力が高い!

 不自然に事件に遭遇したりしないが、目の前の謎は全部解いてしまう。そんなタイプだ!


「お礼はどこにやったの? この部屋と二クスのところにしか、行っていないはずなのに?」


「…………」


 薄々気づいてはいたけど、お姫様は頭がいいらしい。今の俺が口を開けば、間違いなく悪魔との取引までたどり着かれてしまう……。


 ──あっ、言っちゃった!

 君たちは。何も聞かなかった。いいね?


「パパにお礼を言ってと言うってことは、貰ったのは確か。機嫌が気持ち悪いくらい良いのもそのせい。しかし、肝心の物がない。使ったか隠したかだけど、どちらも考えにくい。これは追求の必要があるわね」


「………………」


 事件が解決される前に撤退しよう。俺の思う名探偵の弱点は推理中だ。

 なんで犯人は大人しく推理聞いてんの? その間に逃げなよ。隙を見て。


「あー、もうかえらないといけない。おひめさま。さようなら〜」


 バイバイと手を振り、ダッシュでクローゼットに逃げ込む。で、自室に戻ったらすぐに閉める。

 少しクローゼットが開かないように押さえていたが、どうやら名探偵は追ってこないようだ。というか、本当に夜だ。


「あ、危なかった……」


 6時間以上は向こうに居たはずなのに、こちらの時計は0時を過ぎたくらい。ほぼ行く前と変わらない。

 ビックリだ。本当に修行できんじゃん。しないけど。


 ……なに? 結局、いくらになったのかって? 誰にも言うなよ。お兄さんとの約束だぞ?


 現在、俺の財布には人生の中で最高額が入ってる。

 法に触れるかもしれないから具体的な額は言わないが、財布には諭吉さんが20人いる。これは、日曜日に俺が消費した額の約10倍だ。


 さて、いくらでしょう。答えはCMの後!




♢9.5♢


 今日は水曜日。臨時収入により、もう早起きして板チョコ買う必要はなくなったのだが、昨日立てた予定通り行動している。


 何故なら、あるとなったら諭吉さんを消費したくないからだ。

 諭吉さんが分かれて、一葉さん英世さんになってしまうと、そこからは……──あっという間になくなる! そう思わないか?


 他にも入り用な物は間違いなく出てくる。そのことも考えると、好き放題は使えない。

 俺の目的はあくまでバレンタインであり、その成功だからだ。


 けっしてケチなわけじゃないからな?

 ちゃんと考えているんだ。


「さて、お菓子コーナーはこっちか」


 予定通りにきたスーパーの中は、朝だがそれなりに人がいる。

 学生に出勤前の大人たち。コンビニより安いし、近くなら出掛けに寄れる。俺のようにな。この店は学校までの道中にあるんだ。


「えーと、板チョコはとりあえず20枚くらいかな? あとは、生クリーム。 ……生クリーム? 板チョコに生クリーム? なんになんのこれ?」


 ルイからの本日の材料が書かれたメールには、生クリームと何度確認しても書いてある。

 まあ、先生が言うのだから買っていきましょう。おつかいもできないようでは、昨日の二の舞になるからね。


「次はデコレーション用のカラーチョコ。つまり色がついてるチョコ。 ……そんなの売ってんの? 何売り場に?」


 俺はどこにあるのか分からなければ、すぐに店員さんに聞く。店の中をムダにうろつくよりいいからな。

 それで案内された売り場は、菓子材料と呼ばれるものが置いてあった。俺の普段の買い物には、まったく関係ないであろうところだった。


 これにて材料はコンプリート。

 メールを確認しながら買ったし、間違いはない。はず。


 ただ、材料から完成形が見えないね。

 甘いものに甘いものをぶち込んで、どうするんだろう?

 板チョコの時点ですでに食べられるのにだ。


 バレンタインに手作りする女子は、こんなことをしてるのだろうか?

 そう思うと……昔はどうだったのだろう。ルイはバレンタインに俺にチョコをくれていた。その当時はなんとも思っていなかった。


 ……最後にチョコレートを貰ったのは、いつだったのだろう?


 そんなことを考えていると携帯が震える。確認すると、相手はその幼馴染大明神様。

 メールで今日の集合時間が伝えられる。たったそれだけのメールだ。


 しかし、以前はお互い持ってなかった携帯。昨日まで知りもしなかった連絡先。

 少し近づいた距離は、昔よりずっと遠い。


 バレンタインを迎える頃には、もう少しだけ、以前のようになっていられたらいいなと思う。

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