東北おばけムナイの話し

イネ

第1話

 東北地方に伝わるのは、座敷ぼっこだの河童だのの話しばかりが有名で、ムナイのことはあんまり知られていません。けれどもそんなのがこっちのほうには居るのです。


 このムナイというのは、河童のように人間に見つからないようにして暮らしているのではありません。人間のいるところにだけ棲んでいるので、いつでも必ず、誰かと一緒に居るのです。

 また、棲む家に幸運をもたらすと言われている座敷ぼっことも違い、ムナイは人々の恐怖を取り去るために現れるのだと言われています。

 恐怖や不安や、あるいはどうしようもない無気力のために動けなくなってしまう人があると、そんな人々のところへ行ってムナイは、これが名前の由来でありますけれども、かわいらしく「ムナイー、ムナイー」と鳴くのでした。

 鳴くといっても、なにか鳥や動物のような声ではありません。人間の言葉で確かに、誰の耳にもはっきり「ムナイ」と聞こえてくるのです。お経を唱えているのだという説もあります。

 けれどもその姿形は、やはり少しぼやけておりました。昼間の星と同じで、見えたり見えなかったり、見ているのに見えていなかったり、自分にはこう見えるけれども、他人の目には必ずしもそうではないために、説明しようとすればするほどややこしくなって、どうにもうまく言えないのでした。

 そのためにある外国の研究者などは、ムナイというのはじつは実体の無いもので、見る人の心の現象に過ぎないのだと言ったりもしたのですが、それも間違いではないのかも知れません。


 例えば夜泣きをする子供のところにも、ムナイはよく現れます。思えば私も、小さい頃は何度となく出会いました。

 子供らの前ではムナイはとにかく跳ねまわります。いつのまにやら布団にもぐり込んでいたり、天井の隅から隅へビューンとすばやく移動したり、電灯にぶら下がってチラッとこっちをみたり、ふわふわの毛が電球よりもまぶしく光ることもあります。姿が見えなくなると子供らは心配して「ムナや、ムナや、こっちゃ来い」と言って探しました。するとまた、いつの間にやら自分の胸元に居て、タヌキみたいにぐうぐう眠っていたりもするのです。子供らはすっかりムナイに夢中になって、そのうちに、夜泣きもなおってしまうというわけです。


 山で迷子になった子供も、必ず、無事に戻ります。けれどもムナイが道案内をしてくれる、という類いの話しは一度も聞いたことがありません。ただ、救助に出た人々は確かに山の中で「ムナイ、ムナイ」という声を聞きましたし、助けられた子供らにたずねると「平気だ。ムナイど一緒にいだがら」と言うのでした。


 ある家では年取ったおばあさんが、亡くなるその日までムナイを、まるで飼い猫のように抱っこしていたといいます。

 このおばあさんは不安でどうにもうまく眠ることが出来なくて、みんなが寝静まっている夜中にも一人さみしく目が覚めてしまうのです。

 そしていつでも泣きたいようにして、まだ朝日ののぼらない暗い縁側にぼんやり座っていたのだそうですが、いつかやっぱりムナイがやって来て、おばあさんのひざにちょんと座るようになりました。

 それを見たこの家のお孫さんがおどろいて「ばば、おっかなぐないが?」と聞きましたら、おばあさんは得意そうに「なんもおっかないのでない、めんこいのだ」と笑って答えたそうです。それからまた「アザラシの子っこだようだ面にも見える」とも言ったそうですが、お孫さんにはまるで違ったふうに見えていたのだそうです。

 おばあさんはそれからしばらくを、ムナイの鳴き声に応えるようにして「ムナーイ、ムナーイ」と歌って過ごしました。そして最期は、とても穏やかな旅立ちだったそうです。


 また、ムナイは人に乗りうつることもするのです。

 以前、仕事で大変お世話になったことのある恩人の、娘さんが病気になったというのを私が知ったのはごく最近のことです。気の毒なことにその娘さんは、なにかとても恐ろしい経験をしてしまったとかですっかり正気を失い、長くて立派に手入れしていた黒髪をある日、自分ですっかり剃り落としてしまったかと思うと、その日からもうまるで死を待つだけのように、床に臥してしまったのだそうです。

 口も利かず、物も食べず、いくら家族が死なせまいと看病しても、生きる気力を奪われてしまった人というのは、何をしても、何もしなくても、見る間に弱ってしまうものです。やがて意識もうつろになってきて誰もがもうだめかと思ったとき、どこからかムナイはやって来て娘さんに乗りうつりました。

「ムナイ」と突然に声を発したときにはご家族はそれはそれはおどろいたそうですが、娘さんはそれから、ペチャペチャと食べ物を口にしたり、にこにこと機嫌よく笑うようになったそうです。このときはまだ人間の言葉を話すことはありません。ただおまじないのように「ムナイムナイムナイムナイ」と繰り返すばかりだったそうですが、一ヶ月ほどたって徐々に会話もできるようになり、布団から起きあがったりするようになって、半年ほどですっかり気力を取り戻したのでした。

 そして今でもムナイは、たびたび娘さんの様子を見にやってきているのだそうです。風の音が地震のように響いて眠れないときや、昼だか夜だかわからないようなぼんやりと恐ろしい雲が広がるときなどにです。


 このようにしてムナイは、逝くべき人からは死の恐怖を取り払い、とどまるべき人からは、生きる不安を取り去ります。

 そして私は思うのですが、やはりムナイには実体などないのではないでしょうか。恐怖というものもそうであるように、人は実体のないものに怯えたり、また、救いを求めたりもしています。信仰のようなものです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東北おばけムナイの話し イネ @ine-bymyself

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ