※第6章 1 私を狂わす香り (大人向け内容有り)

 闇の奥から出てきた鎧兜に身を包んだ兵士は背後に何十頭ものオオカミをひきつれている。そのオオカミの瞳は怪し気に闇夜の中で金色に輝いている。

こ・怖い・・・。

思わず震えながらダニエル先輩にしがみ付くと私の身体を強く抱きしめ、優しく頭を撫でながら、ダニエル先輩は言った。


「大丈夫だよ、ジェシカ。必ず僕が君を守るからね。」


そしてダニエル先輩は声を上げた。


「アラン王子!デヴィットッ!僕はジェシカを守りながら戦うから片手しか使えない!だからよろしくね!」


その時、兵士が私の名前に反応した。


「ジェシカ・・・だと・・・?」


え・・・ま、まさか・・・あの兵士は・・・っ?!」


「ああ、言われなくても分かっている!行くぞ!アラン王子っ!」


デヴィットは右手で剣を握りしめ、馬にまたがったままオオカミの群れに突進していった。


「だから、お前が仕切るなと言ってるだろう?!」


アラン王子も剣を構えたまま白馬に乗ってオオカミの群れへ突っ込んでいく。


「デヴィットさんっ!アラン王子っ!」


私は思わず叫んでしまった。


「大丈夫、ジェシカ。彼等は強いから・・・。もちろんこの僕もねっ!」


言うや否や、ダニエル先輩は手の中から炎の球体を生み出すと、オオカミの群れへ向かって放り投げた。

途端に炎に巻かれるオオカミの群れ。

一方アラン王子は兵士と向かい合って剣で激しい打ち合いをしている。

そしてデヴィットは襲い来る狼たちをものともせず魔法と剣で蹴散らしていた。


「甘いね。こんなもので僕たちを足止め出来ると思っていたのかな?」


ダニエル先輩は次々と炎の魔法を繰り出しながら言った。


確かに・・・私もそれを感じていた。仮にも相手は2人の聖剣士と、剣も魔法の腕も覚えのあるダニエル先輩だ。あんなオオカミの群れと1人の兵士で彼等にかなうとでも思っているのだろうか・・・?


その時—


キイイイイイイーンッ!


辺り一帯、耳を切り裂くような金属音が鳴り響いた。

その音の凄まじさに私は思わず耳を塞ぐ。

え・・・?この音は・・・ま、まさか・・・?


気が付いてみると・・・そこは音の全く無い・・・・無音の世界。

風の動きは止み、ダニエル先輩の動きがピタリと止まっている。いや、止まっているのは先輩だけでは無かった。

デヴィットもアラン王子も・・果ては兵士とオオカミまでが動きを止めている。

こ・・・これは・・・時を止める魔法・・・・っ!!


 そこへ聞き覚えのある声が近付いて来た。


「やはり・・今回もそうだったか・・・・。」


立っていたのは・・・。


「ド・・・・ドミニク・・・様・・・。」


私はその名を口にした―。



「何故だ・・・?ジェシカ。」


一歩一歩公爵は私に近付いてくる。一方の私は馬の身体の上に乗ったままで降りるに降りられない。

公爵が近付いてくるのを今は動く事のないダニエル先輩の身体にしがみ付くのが精一杯だった。


「な・・何故・・・とは・・・?」


「前回の時もそうだった・・・。俺はあの時・・・客室内の・・・全ての部屋の時を止めたはずだった・・・。」


「・・・・。」


「だが・・・ジェシカ。お前の時だけは止める事が出来なかった。そして・・・今も・・・。」


今、公爵は私のすぐ傍まで来ている。そして公爵の瞳は・・・金色に怪しく光っている。だ・・駄目だ・・・。あの目は・・完全にソフィーに操られている・・・。


「何故だ・・?何故・・ジェシカ。お前にはこの術が効かないのだ・・?」


そんな事言われても私には理由がさっぱり分からない。ただ・・・今の私を助けてくれる人は何処にもいないと言う事だけは、はっきりと分かる。


「まあ別にお前に術が効こうが効くまいが関係ない。どのみち・・・城へ連れ去るつもりだったのだから。」


そう言うと、公爵はいきなり私の腕を掴むと馬から引きずり下ろし、気が付けが私は公爵の腕の中にいた。

どうしよう・・・。今の彼は完全にソフィーに操られている・・・。本当は怖くて怖くて堪らないのに・・・何故か公爵の身体からは魔族特有の・・あの香りが色濃く匂ってくる。

その香りは・・・駄目だ・・。私を狂わせてしまう。だって私はこの香りが・・・・大好きだから・・。あの愛しいマシューを思い出してしまうから・・・。


「ジェシカ・・・?」


公爵の戸惑う声が聞こえて来る。え・・?

気が付けば私は自分から公爵の首に腕を回し・・擦り寄っていた。

そ、そんな・・・っ!頭の中では早くこの腕から逃れなければと思うのに、公爵から漂う魔族の香りが私の思考能力を奪っていく。


 私は顔を上げた。

そこには金色に輝く瞳では無く・・・いつもの神秘的なオッドアイの瞳が私をじっと見つめていた。

私はその瞳に吸い寄せられ・・・気付けば自分から公爵にキスをしていた—。



 ここは・・・どこだろう・・・・。

何処かで男女の言い争っている声が響いて聞こえて来る—。


「一体どういうつもりなの?!殺してやるっ!あんな女・・・・今すぐ『魅了』の魔力を奪い取って殺してやるんだからっ!」


え・・?殺す・・? 

『魅了』の魔力・・・・。ひょっとして私の事をさしているのだろうか・・・?


「駄目だっ!いくらソフィーの言う事でも・・・そればかりは聞けない!」


あの声は・・・ドミニク公爵?


「な・・・何よ・・・。私が神殿に行ってる間に・・・貴方はあの女と・・・・っ!この・・・恥知らずっ!これ見よがしにあの女との誓いの光を灯しているなんて、私に対する当てつけなの?!」


あのヒステリックに叫んでいるのは・・・ソフィー・・・?


「いいわ・・・。貴方があの女と幸福の時間に浸っていられるのも時間の問題よ・・・。分かってるわね?貴方は絶対にもう・・私からは逃れられないのだから。

もうすぐ完全に術が完成する。そうすれば、貴方は自我を完全に失い・・・私の操り人形になるのよ・・・。もうこれ以上あの女に魅了されている今の貴方は完全に消え去るのよ。」


「ソフィー・・・。もう俺を解放しては・・くれない・・・のか・・・?」


公爵の苦し気な声が聞こえて来る・・・。


「フン・・・。今に完全に私の操り人形になれば、そんな事で頭を悩ます事も無くなるわよ。でも・・・せめてもの情けよ。残されたわずかな時間・・・せいぜい楽しむ事ね。」


あ・・足音が・・・遠くなっていく・・・。そしてそれと同時に・・・誰かのすすり泣く声が聞こえて来る。胸が苦しくなるようなすすり泣き・・・。お願いだからそんなに泣かないで・・・・。

そして私は急激に意識が遠くなっていくのを感じた—。



 

 何処までも長く続く暗い螺旋階段を私は手にしたランプの明かりを頼りに登っていく。螺旋階段の壁には一定間隔を開けて作られた灯り取りの窓があるが、ぶ厚い雲に覆われた今の世界では全く無意味な物となっている。

果てしなく続くと思われる螺旋階段をようやく登り切った私の眼前には鉄格子が嵌められたドアがある。

私はポケットから鍵を取り出した。


そして鍵穴に鍵を差し込み、カチャリと回す。ああ・・・ようやく鍵が開けられる。

私は部屋の中へ入ると声を掛ける。


「××××・・・。ようやくあなたを助けに来れたわ・・・・。」



そこで私の意識は完全に覚醒した。

・・・?

誰かの・・息遣いがすぐ側で聞こえる。私はそちらを振り向いて言葉を無くした。

何と私の側で眠っていたのは公爵だった。私も公爵もどちらも一糸まとわぬ姿をしている。

そして断片的に蘇って来る記憶。ああ・・・そうだった。私は公爵から漂ってくる魔族特有の香りに魅せられて・・公爵と・・・。

 公爵はよく眠っているようだった。今のうちに・・逃げなければっ!

自分の着て来た服は何処にあるのだろう?

辺りをさがしてみても見当たらない。代わりにベッドサイドには真新しい女性向けの服が置いてあった。そうだ、この際あの洋服を着て・・・。


床に落ちていたシーツを拾い上げると、身体に巻き付け、足音を立てないよう洋服を持って、たまたまた目に止まった衣裳部屋で素早く着替え、そっと出て行こうとすると・・・。


「何処へ行くつもりだ?」


気付くと私はローブを羽織った公爵に背後から抱きしめられていた—。









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