第2章 8 ナイトメアの恐怖
「あの〜貴方のお名前を教えて戴けませんか?」
2人で私の取ってきた果実を食べながら遠慮がちに尋ねてみた。
「あ?俺のお名前が知りたいのか?」
青年は果実を飲み込むと私を見た。
「はい、名前が分からないと貴方をどう呼べば良いのか困るので・・・。」
「ふ~ん・・・。まあ別に名前ぐらい名乗ってもいいけどな。俺の名前はヴォルフだ。」
「ヴォルフさん・・・ですか。色々ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願い致します。」
ペコリと頭を下げた。
「・・・猫のくせに礼儀正しいんだな・・・。しかも随分賢いようだし・・・。だから飼い主は必死になってお前を自分の元に連れてくるように俺に頼んできたのか・・。」
ヴォルフは神妙な面持ちで私を見つめた。それにしても・・先程から飼い主と言ってるのが妙に気になってしまう・・・。よし確認してみよう。
「あの~・・・その、先程から話している飼い主って・・・名前はノア・シンプソですよね?」
「いや、俺はお前の飼い主の名前は知らない。顔と住んでる場所は知ってるけどな。」
え?名前を知らない?そんな馬鹿な・・・。それとも魔界では名前という物は大して重要では無く、特に無くても困らない世界なのだろうか?
「その方って男性ですよね?」
「いや、女だ。」
「はああ?!」
え?私を第3階層まで連れてくるようにヴォルフに頼んだのはてっきりノア先輩だとばかり思っていたけど・・・もしかして違うの?それともノア先輩は女性のように綺麗な顔をしているから勘違いしているのかもしれない。
・・・でもこれ以上追求すればヴォルフに怪しまれてしまうかもしれないので、この話はこの辺で辞めておくことにしよう。
「おい、何だ?今のはああ?ってのは?」
ヴォルフがジロリとこちらを見ながら尋ねて来た。
「いえ、なんでもありません。この果実が余りにも美味しくて変な声を上げてしまいました。」
咄嗟に胡麻化した私。
「そうか。・・・所で何故お前は1人で行こうとしたんだ?」
金色に輝く瞳でヴォルフは私をじっと見つめながら言った。
「あ、あの・・・そ、それは・・・。」
どうしよう・・まさか貴方がもうこのまま死んでしまったのかもしれないと思ったので1人で先へ進もうと思いました・・・何て言えるはずが無い。
「大体、お前のようにか弱い奴が第3階層まで辿り着けることが出来ると思っていたのか?まして、第1階層に住む魔族達は知性など殆ど持ち合わせていない、本能だけで生きているような恐ろし魔族だと言う事は知っているだろう?いくらただの猫でも、ちょっとでも奴らの気を引こうものなら餌にされていたぞ。」
「そう言えば・・・ヴォルフさんは第1階層にいましたよね。わざわざ私を第1階層まで迎えに来てくれたんですね。」
「いや、そう言う訳では無い。俺の本体は第3階層にある。精神体だけを飛ばして近場にいたあのオオカミに憑依させただけだ。まあ・・・最も今は正真正銘、これは自分の身体だけどな。」
「え・・・そ、それではあのオオカミは・・・?」
「あれは第1階層に住む下級魔族だ。俺が憑依した途端、精神を乗っ取られてあのオオカミの魂は消滅したよ。」
な、なんと恐ろしい・・・!魂が消滅?それってつまりヴォルフが憑依した途端、あのオオカミは死んでしまったって事だよね?!いわば彼がオオカミを殺したも同然。
それを平気で言ってのけるとは・・・。私は目の前にいる金の瞳のヴォルフが怖くなってしまった。
「ん?どうした。急に震え始めたようだが・・・?」
「い、いえ!な、何でもありません!」
私の異変に気付いたのかヴォルフがにじり寄って来た。ひえええ!こ、怖いからこっちに来ないで欲しい!咄嗟に半歩後ろに下がる私。
「いや。何でも無い事は無い。お前・・・ひょっとして寒いんじゃないか?猫は寒がりだっていうしな・・・。」
さらに距離を詰めて来るヴォルフ。だ、だからこっちに来ないでってば!
じりじりと壁際に追い詰められる私。そして・・・。
「ハ・・・クションッ!!」
くしゃみが出てしまった。う・・・実は確かにヴォルフが言った通り、本当は先ほどから寒くて堪らなかったのだ。魔界は元は人間の私にとってはすごく寒い世界、ましてや水が天井から落ちてくるような洞窟では尚更寒い。相当分厚い防寒着を着こんでいる物の、寒い物は寒い!。
「ったく・・・仕方が無いな。」
ヴォルフは言うと、突然私の腕を掴み自分の所へ引き寄せた。
え?
そして私をギュッと抱きしめると言った。
「今、俺の身体から暖気を放出してやるから暖まれ。どのみち俺もお前も今は魔力不足だから第3階層に向けて出発するのは今夜はもう無理だ。」
「え・・・今は・・夜なんですか・・・?」
私はヴォルフの腕の中で質問した。
「ああ、そうだ。だから・・今夜は寝ろ。大丈夫、俺が温めてやるから凍死する事は無い。それに魔族が襲ってきても、所詮ここは魔界の第2階層。俺の敵じゃない。」
「はい・・・。」
あれ・・あんなにヴォルフの事怖いと思っていたけど・・・規則正しいヴォルフの心臓の音を聞いていたら、次第に安心感が芽生えて来た。それに身体もすごく温かくなってきたし・・・何だか本当にこのまま眠れてしまいそうだ・・・。そう思っている内に徐々に私の意識は薄れていき・・・・そのまま眠りについてしまった―。
「ジェシカ・・・・ジェシカ・・・・。」
夢を見ているのだろうか・・・誰かが私の名前を呼んでいる・・・。
そこは美しい花畑だった。
「誰・・・?私を呼んでいるのは・・?」
「ジェシカ・・・こっちだよ・・・。」
私は声のする方へ向かって歩いて行くとそこには・・・。
「ジェシカ、会いたかったよ・・・。」
何とそこに立っていたのはマシューだったのである。
「え・・?う、嘘・・でしょう・・・?だ、だってそんな・・・マシュー。あ、貴方は・・死んでしまったんじゃ・・・?」
「嘘じゃ無いよ。ジェシカ。俺だよ、マシューだよ。もう一度、愛しいジェシカに会いたくて・・・気付いたらここに立っていたんだよ?」
マシューは笑顔で言った。
優しい声、穏やかな笑顔・・・ああ、ここにいるのはマシューだ。
「マ・・・マシューッ!」
私は泣きながらマシーに駆け寄り、抱き付いた。そんな私を優しく抱き留めてくれるマシュー。
私はマシューの胸に自分の頬を擦り付けて言った。
「ごめんなさい、マシュー。私のせいで、貴方をあんな酷い目に・・・。で、でも・・良かった・・・・。マシュー、生きていたのね・・・。」
「ジェシカ・・・。俺はね・・・ジェシカに会う為なら・・・何度だって・・・。」
急に突然マシューが私を抱きしめる腕を強めると言った。
「何度でも死から蘇ってくるよ・・・。」
「え・・・?」
その言葉に背筋がゾクリとする私。そして恐る恐るマシューを見上げると、いつの間にかマシューの顔色は土気色に変わり、口元からは赤い血が流れている。そして目は酷く血走っていた。
さらにいつの間にか、そこは無数の墓石が並ぶ墓場へと変わっていた。
「キ・・・キャアアアアアッ!!」
思い切り私はマシューの身体を突き飛ばした。すると大きくよろめくマシュー。
「ジェシカ・・・酷いじゃ無いか・・・。君の為に俺はこんな身体になってしまったっていうのに・・・。」
見るとマシューの身体には深々と剣が突き刺さっており、そこからおびただしい血が流れている。
「イ・・イヤアアアアッ!!」
余りの恐ろしい光景に再び私は悲鳴を上げた。
「ジェシカ・・・俺を怖がらないでよ・・・。1人は寂しいんだ・・・。俺と一緒に来てよ・・・。」
その声はとても生きている人間の声には思えない。
「マ・・・マシュー・・・。わ、私を・・・う、恨んでるの・・?巻き込んで貴方を死なせてしまった私を・・・?」
私は涙を流しながらマシューに問いかけた。
「恨んでいるかって・・・?そうだね・・・。俺がどれ程君を愛していたかは知っていたよね・・・?そんな俺の気持ちを踏みにじって、君はノア先輩を選んだんだ・・。恨んでいるのは当然だろう?」
マシューはゆらゆらと身体を左右に揺すりながら私に語りかける。その言葉のどれもが私の心を深く抉ってゆくようだった。
「ごめんさない、ごめんなさい・・・。」
私は頭を抱えて謝り続けると、すぐ耳元で声がした。
「だったら、俺と一緒にこっちに来てよ。俺の住む世界でずっと一緒に2人で暮らそうよ。」
「ひ!」
いつの間にかすぐ側にマシューは立っていた。そして私の肩に手を回したその時・・・。
「ジェシカッ!!」
え?誰?
顔を上げると、何とそこに立っていたのはヴォルフだったのだ。
「ジェシカ!目を閉じろっ!!」
ヴォルフが突然叫ぶ。
「チッ!」
マシューが大きな舌打ちをした。え?舌打ち・・・?一瞬違和感を感じたが、私は言われた通り、ギュッと目を閉じた。
途端に視界が一気に眩しく光り輝くのを感じた。
「ギャアアアアアーッ!!」
およそマシューの口から出てきたとは思えない恐ろしい断末魔の声に私は思わず耳を塞いだ。
やがて・・徐々に薄れていく私の記憶—。
「ジェシカ・・ジェシカ・・・!」
気付くと私はヴォルフの腕の中で揺すぶられながら声を掛けられていた。
「あ・・・?ヴォ、ヴォルフ・・・さん・・・?」
薄っすらと目を開けるとヴォルフが言った。
「すまなかった、ジェシカ・・・。でも、無事で本当に良かった!」
ヴォルフは私の両肩に手を置くと言った。
「え・・・?わ、私・・一体・・?」
周囲を見渡すとそこは先ほどの洞窟だった。
「え?私・・・墓地にいたはず・・・なのに・・。」
するとヴォルフは言った。
「いや、違う。ジェシカ・・・お前はずっとここにいた。あれは・・夢だったんだ。ジェシカ。お前は・・・『ナイトメア』に狙われていたんだ。」
「え・・・?ナイトメア・・・?」
「そう、ナイトメアだ。悪夢を見せる事によって、魂を奪う魔族の事だ・・・。油断していた。ここが第2階層の魔界だって事を・・・。」
「え・・・それじゃ、私が今迄見ていたのは・・夢だった・・の・・?」
「ああ、奴らは寝ている相手の心の中に入り込み、一番相手が気に病んでいる事を引き出して夢の中で恐怖を体験させる。そして魂を奪うんだ・・・。」
「そ、そんな・・・。」
私は自分の両肩を抱きかかえた。だ、駄目だ・・・怖すぎて震えが止まらない。
「大丈夫だ、ジェシカ!あれは・・・単なる夢だ・・。だから気にするな!」
ヴォルフは言うと、私を安心させる為か強く抱きしめて来た。すると、その拍子に私の猫耳のカチューシャが外れ・・・。
「ウ・・ウワアアアッ?!」
今度はヴォルフが悲鳴を上げる番だった—。
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