第5章 1 目覚めれば、そこは現実世界でした ①

 ピコーンピコーンピコーン

規則的に聞こえてくる機械音・・・私は薄っすらと目を開けた。

真っ白な天井に白いカーテン、そして腕には点滴が刺さっている。

ここは一体・・・?

頭を動かしてみると私の身体にはモニターが付けられていた。


 良く見慣れた光景・・・。

私はまだ薄ぼんやりした頭でゆっくり起き上がり、自分が病院の個室で眠っていた事を知った。

部屋の中を見渡してある物に目が止まり、一気に頭が覚醒する。

う・・・嘘・・・?


 部屋の棚にはテレビが置いてあったのだ。

そう、あの世界では決して無かったこの世界の文明機器・・・。


そこへ若い女性看護師が部屋へと入って来た。ベッドから起き上がっている私を見た彼女は手にしていたボードと筆記用具を思わず落としてしまった。


「か・・・川島さん・・・?目が覚めたんですね・・・!」


川島—

随分久しぶりにその名前を呼ばれた気がした。


「は、はい・・・。たった今・・・ですけど・・。」


看護師は落した道具を拾い上げると言った。


「あ、あの!すぐに先生をお呼びしますので、まだ安静にしていて下さいねっ!」


 そして急ぎ足で部屋から出て行った。1人になった私は溜息をつくと、ベッドに横になった。まさか・・向こうの世界で弓矢で射たれたと思えば、現実世界で目覚めるなんて・・・。

向こうの世界の私はどうなったのだろう?もしかしてあのまま死んでしまい、元の世界で目覚めたのだろうか?

でも・・・これで良かったのかもしれない。私はもともとこの世界の人間。それにあのまま向こうの世界にいたら、遅かれ早かれきっと私は悪女として裁かれていたに違いない。だからきっと、これで良かったんだ・・・。


 その後、主治医の年配の担当医師が現れ、色々私の脈を取ったり、問診をしたり採血したりと慌ただしく時間は流れて行った。



「あの・・・私、どうなったのでしょう?実は殆ど何も覚えていなくて・・。」

私はベッドに横たわりながら担当看護師に尋ねた。


「ええ、そうですよね。無理も無いですよ。川島さん、貴女は2週間前に歩道橋から転落する事故に遭い、頭を強く打ってそこからずっと意識が戻らなかったんですよ。」


「そう・・・ですか・・・。」

え?あの事故からまだ2週間しか経っていなかったの?だって私がジェシカとして向こうの世界で暮らしていた時は、もっと時が経過していた・・・。それとも、あれは全て私の見ていた夢の世界だった?


「きっと、今日も彼氏さんお見舞いに来てくれますよ。驚くでしょうね、川島さんが目を覚ましたのを知れば。でも素敵な彼ですね。毎日欠かさずお見舞いに来てくれていたんですから。」


看護師の言葉に私は尋ねた。


「え・・・・彼氏・・・?」

もしかして健一の事を言っているのだろうか?でも健一とは終わっている。

確かに何度もしつこい位携帯電話に着信があったけれども私はそれらを全て無視していた。でも、あの時一ノ瀬琴美を止めていたのは健一だった。

「まさか、健一が・・・・?」




 今日は1日安静に過ごすように担当医師から言われ、私は久しぶりにテレビを観て過ごしていた。

あ・・・このドラマ私が眠っていた間に2週分空いちゃった・・。シェアハウスに戻ったらPCで視聴しなおそうかな・・?等と思っていると、突然声をかけられた。


「ま・・・まさか・・川島さん・・?目が・・目が覚めたんだね?!」


え?この声は?

テレビを観ていた私はその声に振り返った。そこに立っていた男性は・・。

「赤城さん?!」

その人は私の住んでいるシェアハウスのオーナーだった―。



「良かったよ・・・川島さんの事が心配で毎日面会に来ていたんだけど、まさか今日訪ねてみたら目を覚ましているんだからね。」


赤城さんは私のベッドサイドに椅子を持ってくると、そこに座って話を始めた。


「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。赤城さん、お忙しいのに毎日面会に来て頂いていたんですね・・・。この花も赤城さん・・・ですか?」

私は窓際の花瓶に飾ってある花を見ると尋ねた。


「うん、そうだけど。あ、でも俺はシェアハウスの皆の代表で来ていたんだよ。ほら、彼等の中にはコミュニティ障害で出歩くのを嫌う人間もいるし・・・あ、でも皆川島さんの事をすごく心配していたんだ。だから俺が皆の代表で面会に来ていたんだよ。花だって皆で出し合って買って来てたんだよ。」


「本当に・・・ありがとうございます。」

もう一度、私は丁寧にお礼を述べた。


「・・・・。」


そんな私を赤城さんは黙って見つめている。


「な、何ですか?何か私の顔についてますか?」

あまりにもじっと見つめてくるので私は赤城さんに尋ねた。


「い、いや。ごめん。川島さんの事・・・まだ出会って間もないから、こんな事言えないんだけど・・・何だか雰囲気が変わったね。」


「え?」

赤城さんの言葉に私はドキリとした。


「うん、何と言えばいいんだろう・・・う~ん。つまり・・・。ごめん、やっぱり俺にはよく分からないな。悪かったね、変な事言って。」


赤城さんはアハハハと照れ笑いした。そして、腕時計をチラリと見ると慌てて立ち上がった。


「あ、ごめんっ!川島さん。俺、これから打ち合わせがあるんだ。明日も来るから退院日が決まったら教えて。その日は迎えに行くから。」


「いえ、そこまでして頂かなくても・・・。」


「いいからいいから、俺はシェアハウスのオーナーだから住民の面倒を見るのも俺の仕事だよ。それじゃあね。」

 

 赤城さんは椅子を片付けると、手を振って病室から去って行った。

そうか・・・看護師さんの話していた彼氏さんって赤城さんの事かあ・・・。

きっと毎日面会に来ていたから勘違いしていたんだろうな。


 また再び1人になった私は自分の私物のチェックをする事にした。

誰かが用意してくれたのだろうか。何日か分の着替え等が紙袋に入れられている。

きっと、用意してくれたのはスレンダー美女の大塚さんだろうな。彼女にも退院したらきちんとお礼を伝えなくては。

 さらに探してみると、奥の方からは私の携帯が出てきた。

試しに電源を入れてみても、やはりつかない。・・・バッテリー切れなのかも。

でも幸いなことに充電器も入っている。

私はナースコールで看護師さんを呼んで、家に連絡を入れたいので充電させて欲しいとお願いをすると、そういう事ならと快く返事を貰えた。

 テレビを眺めながら1時間程充電をして電源を入れると、携帯が起動した。

良かった・・・。落下したショックで壊れたかと思っていたけど大丈夫みたいだ。


 早速実家に電話を入れると、すぐに母に繋がった。

母は私が目を覚ましたことを泣いて喜び、退院の日は父と迎えに行くと言って来たが、丁重にお断りした。私の実家は新幹線を使わないと来れない様な場所だ。退院手続きの為だけに東京まで出て来てもらうのは忍びなかった。

そこから30分程電話で話をして、受話器を切った。

 時計を見ると、時刻は夕方の6時になろうとしている。

確か、担当医師からは今日は目覚めたばかりなので夕食は抜きにして下さいと言われていたっけ・・・。

私は立ち上がると、洗面台に行き、自分の顔を改めて見直す事にした。


 黒いストレートの肩までかかる髪・・・二重瞼の黒い瞳・・・うん、紛れもない。物心ついた時からずっと見て来た自分の顔だ。あのジェシカの顔の面影など何処にもない。本当に私は長い長い夢を見ていたのだろうか・・・?



 夜7時—

 雑誌を読んでいると突然廊下をバタバタ走る音が聞こえ、廊下を走らないで下さいと注意されている声が部屋の外で聞こえた。

騒がしいな・・・?一体何ごとなのだろう?

そう思った時、ノックも無しに突然個室のドアが勢いよく開けられた。


「遥っ!!」


「え?け、健一?」


そこには髪もスーツも乱れている健一が荒い息を吐きながら立っていた。


「は、遥・・・。」

そして私を見ると、涙腺が緩んだかのように涙を浮かべる。


「健一・・・?どうしてここに・・・?」

私の問いに答える事も無く、健一は無言で素早く近付いてくると力強く抱きしめて来た。


「遥・・・遥・・・良かった・・目が覚めてくれて・・・。お前がこのままずっと目を覚まさなかったらと思うと、俺・・・っ!」


健一は泣きながら私を抱きしめて、嗚咽している。


「ちょ、ちょっと落ち着いてよっ!それにここは病院なんだからみっともない事やめてよっ!」

身をよじって抵抗すると、健一は慌てたように私から離れると言った。


「ご、ごめん・・っ!仕事してたら遥の目が覚めたって病院から連絡があったものだから、つい・・嬉しくなって・・・。」


健一は目を擦りながら笑顔で言った。

え?どういう事?


「ねえ?何故私の目が覚めたら健一の所に連絡が届くのよ。」


「ああ、それは俺が病院側に頼んでおいたんだよ。遥は俺の婚約者だから目が覚めたら必ず連絡入れて欲しいって。」


その答えに私は驚いた。

「ねえ、どうして私と健一が婚約者になっているのよ。私達別れたはずだよね?」

それなのに健一は私の両手を取ると言った。


「ごめん、遥。俺が悪かった。どうかしていたんだ、今までの俺は。なあ、今からでも遅くないだろう?俺達・・・やり直そう。やっぱり俺には遥しかいないって事に気が付いたんだ。」


熱っぽい瞳で健一は私を見つめて訴えて来る。


「遥・・・。結婚しよう。」


「はあっ?!」

まさかいきなりの爆弾発言。

「ねえ、自分で何言ってるか分かってるの?」


「ああ、よく分かってる。愛してるよ、遥。」


「止めてよ、いまさら。私にはそんな気は全く無いんだから。」

ギュッと握りしめて来る健一の手を私は振りほどいた。


「遥・・・?」


健一は驚いた顔で私を見ている。まさかのプロポーズを断られるとは思わなかったのだろう。


「ああ、ひょっとすると琴美ちゃんの事を気にしているのか?安心しろ。彼女とは別れた。やっぱり俺にはああいうタイプの女は駄目だな。やっぱり結婚するなら遥の様に大人の女性じゃないと。大体、彼女は仕事が全く出来ない女だったんだよ。遥が会社を辞めた後、琴美ちゃんが使えない人間だって事が分かったんだ。遥、お前が今迄琴美ちゃんの仕事のフォローをしていたんだろう?あの子は遥が会社をやめてすぐに派遣切りに遭ってクビになったんだよ。会社の人間は今になって色々言ってるよ。遥を辞めさせなければ良かったって。・・・なあ、どうだ?俺が今から会社に直談判してみようか?遥をもう一度会社に戻して下さいって。」


 私は呆気に取られて健一の話を聞いていた。

・・・それにしても、よくここまでペラペラと口が回る男だ。健一って・・・そもそもこんな男だったっけ?

でも生憎健一の言葉は私の心に何も響かないし、届かない。


「健一・・・悪いけど私は貴方と結婚する気も会社に戻る気も無いから。はっきり言って迷惑なのよ。結婚相手なら他を当たって。そしてもう二度と私に連絡を入れてこないでくれる?」


「え・・・?は、遥・・・。冗談・・だよな?」


健一は呆然としながら私を見つめている。


「冗談でこんな事言う訳無いでしょう?・・・もう帰って。目が覚めたばかりで疲れているのよ・・・。」

私はそれだけ言うと、ベッドに横になり布団を被ると健一に背を向けた。


「ごめん・・・。いきなりこんな話、してしまって・・・。でも、本当に俺はまだお前の事・・好きなんだ。悪かったな。今夜はもう帰るよ。」


健一が椅子から立ち上がる気配を私は背中で感じていた。

帰り際、健一が声をかけてきた。


「遥、また来てもいいか?」


「・・・・。」

私は返事をしない。健一はそれをどう取ったのかは知らないが、お大事になと一言だけ言って部屋を出て行った。


健一が出て行った後、私はベッドから起き上がってドアを見つめた。


「健一・・・。」

ポツリと呟く。

本当は私はどうしたいのだろう・・・。

その日の夜、私は夢も見ずに眠りについた—。



 私が退院するまでの1週間、赤城さんは言葉通り毎回違う花を持って面会に訪れ、退院日も朝から病院へ私を車で迎えに来てくれた。


 退院手続きを無事済ませ、赤城さんの車でシェアハウスに帰る途中—。


「そう言えば、元カレからは連絡が来ているの?」


「ええ・・・。1日1回は必ずメッセージが入ってきますね。」

私は苦笑しながら答えた。

健一は二度と連絡を入れてこないでと言われたのが余程ショックだったのだろう。かと言って連絡を絶つのを我慢できなくて、せめて1日1回なら・・・と自分で決めて私に連絡を入れて来ているのだと思う。以前の私は・・・彼のそういう子供っぽい所が好きだった。


「川島さん?どうしたの?」

急に黙り込んでしまった私を気にしてか、赤城さんが声をかけてきた。


「いえ、何でもありません。少し考え事をしていただけです。」


「ああ、それなら良かった。ひょっとして具合が悪くなってしまったのかと思って心配しちゃったよ。」


「本当に何から何まですみません。今度何かお礼させて下さいね。」


「いいよ、お礼なんて考えなくて。」


「いえいえ、そういうわけにはいきませんよ。何がいいかなあ・・。そうだ!お酒なんてどうですか?日本酒とか?お好きな銘柄とかありますか?それとも洋酒かビールの方がいいですかね?」

あれこれ考えながら赤城さんの横顔をみると、何故か真剣な顔でうんてんをしている。

「・・・?」


そして信号が赤に変わり、車を停車すると赤城さんが私の方を向いて言った。


「お礼って・・・品物じゃ無いと駄目かな?」


「え?」


「川島さんと2人で時間を共有するっていうのじゃ駄目かな?」


赤城さんは真剣な目で私を見つめている。え?それってひょっとして・・・。


「いや・・・。実は俺、こう見えて恋愛映画が大好きなんだけど、男1人で観に行くのはどうしても世間の目が気になるって言うか・・・川島さんが一緒に行ってくれると助かるんだけど・・・。」


あ、ああ!成程っ!


「そういう事ですね。急に真剣な顔になったからびっくりしましたよ。いいですよ?それじゃ今度映画、是非一緒に行きましょう。」


「良かった、それじゃ約束だよ。今は立て込んでる仕事があるから時間が取れたら誘わせてもらうね。」


赤城さんは笑顔で答えた―。


















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