愁いを知らぬ鳥のうた

よしや

愁いを知らぬ鳥のうた

 耳の聞こえない少年が少女の世話役を任されたのは、国が滅ぶほんの数刻ほど前だった。


 障害から愚鈍を装っていた少年を呼び出し、耳が聞こえないと知っているはずの父親が玉座から話しかける。


「下賤な女から生まれたそなたでも役に立つことがあるのだな。国の魔術兵器を扱う仕事だ。せいぜい励め」


 口の動きから会話の途切れなどは分かっていたが、少年は頷くなどの行為を一切しなかった。感情をそぎ落とした瞳で、呆けたように父親を見つめるだけ。

 通じてないと理解した父親は途端に不機嫌になり、近くにいた兵士に指示だけ出してその場を離れた。


 日に三度、魔術塔の檻へ食事を運べと、兵士の雑な文字によって指示が出された。ちょうど昼前だったので、少年は城の厨房へと向かう。厨房では料理人たちが忙しそうに働いており、少年は手近な人間に声を掛けた。


「魔術塔へ持って行く食事を取りに来ました」

「ああ、聞いているよ。済んだら食器はこちらへ持ってきてくれ」

「済みません、僕は耳が聞こえないので……紙に書いていただけませんか」


 相手が読み書きが出来ない可能性を微塵も考えなかった少年に、料理人は片眉を上げた。


「ああ?馬鹿にしてるのか」

「仕方ねぇよ、相手は曲がりなりにも王子様なんだから。ええと……」

「継承権どころかまともに扱ってもらえねえんだから王子とは言えねぇだろ」


 レシピを読むために文字を覚えた別の料理人が助けに入る。メモの端に要件を書いて見せると少年は頷いた。文句を言っている料理人は苦虫を潰したような顔をしているが、少年は気づかぬふりをして厨房を出た。


 滅多に出歩かない末の王子が食事を運ぶ姿を、城の人々は奇異の目で見た。身分が高いにも関わらず小間使いの真似事をする彼への嘲笑や、手を差し伸べた時の打算、弱者に対する卑下を隠すものはいなかった。


 いたずらに手を出すものは流石にいなかったが、そこかしこで何かがささやかれる気配を少年は感じていた。居心地の悪さに顔を歪める事もせず、真っ直ぐに魔術塔へと向かう。


 魔術塔は厳重な警備がなされていた。案内されながら研究室に向かうと、少年が目にしたのは数人の魔術師と檻に入れられた少女。

 国の魔術兵器に食事を運ぶ仕事。少年の頭の中ですぐに少女と兵器が結びついた瞬間だった。


 人を兵器に変えてしまう倫理観の欠片も無い魔術師たちは、少女を実験動物として扱っていた。少年が眉を顰めていると、気づいた魔術師の一人が声をかけてきた。


「ああ、えさを運んできてくれたのか。まったく、忙しいのに世話係が辞めちまって……檻の鍵はこれ。いいか、絶対に猿轡を外すんじゃないぞ。彼女は歌うことで周囲の生物の命を奪う兵器だからな」

「あ、耳が聞こえないので紙に―――」

「さあ、飯だ飯。食い終えたらまた実験だから、皆、早く戻って来いよ」


 数人いた魔術師たちは少年の言うことに耳を貸さず、大きな音を立てて扉を閉めてしまった。

 静けさの中、少年の目の前にいるのは、檻の中にいる少女だけ。少女は初めて見る少年をただただ見つめた。

 真っ白な肌に蒼く豊かな髪。口には声を発せられぬように拘束具が付いていたので、少年から表情は見えない。だが、この世のものとは思えぬ美しい存在に見つめられて、少年は頬を赤らめながら思わず目を逸らす。


「ええと、……そうだ、鍵!」


 渡された鍵は檻を開けるものだと見当をつけ、鍵穴に差し込んで回すとすんなりと開いた。

 檻の中に家具などは一切なかったため、少年は食事を床に直に置く。

 拘束具には食事がとれるように仕掛けが施してあったのだが、少年はそれを知らない。


「そのままだと食べられないだろうから、外させてもらうよ」


 少年の言葉に少女は瞬きをする。後ろに回り込み、拘束具を外すと少年は食事を勧めた。

 少女は自分の口の周りをしばらく撫でていたが、やがて床に座り込んで食事を口にし始める。

 ゆっくりと、液状になっている麦粥を匙ですくい口に流し込む。人間らしく食事を取るのは久々で、手元はたどたどしい。

 その横で少年は一人で話している。耳が聞こえない事や自分の生い立ちを少女に明かしている。


 せっかく任された仕事なので長く続けたい。出来れば、少女と仲良くなりたい。そんな思いを胸に抱き、少年は少しばかりいいところを見せようと自分の些細な特技を口にした。


「耳が聞こえなくてもね、悪い言葉を口にしているなって表情で分かるんだ。この城から出たことは無いけれど、大体はみんな同じ。君はどうかな。何か話して?」


 食事を取り終えた少女は、静かに歌い始めた。歌声は城中に響き、風に乗って広範囲に届く。

 それを耳にしたもの達は眠るように意識を失い、命を落としていった。


 少年の父である国王も周りの騎士や兵士も貴族も大臣も小間使いも料理人も庭師も馬も牛も豚も鶏も魔術師も皆みんな死んでいった。


 それをまだ知らない少年は少女の横で、口元を見ながら適度に相槌を打つ。話をしていると勘違いしているのだ。


「君はとても楽しそうに話すんだね。きっと綺麗な言葉しか口にしていないんだ。聞こえなくてもわかるよ。お願いだ、もっと聞かせてほしい。……僕には聞こえないけれど」


 大好きなのに禁じられていた歌をせがまれた少女は、とても嬉しくて微笑みを浮かべた。


 死に絶えた城に少女の歌声が響き渡る。耳の聞こえない少年に請われて何度も何度も繰り返す。


 彼らを傷つける者のいなくなった二人のいる場所はとても狭く、幸せを感じるのは魔術塔を出るまでの短い時間だったが、愁いを全く覚えぬ美しい世界だった。

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